あなたも私も 気分によって 僕は春樹で 俺は龍

今日の授業の反応は良くなかった。

ひとり普段見ない生徒がいたな。

大教室で一際目立つ少女の隣に。

ずっと寝ていたが彼には見覚えがある。

過去のレポートを見直したが、なかなか

目を見張る文章を書く生徒だった気がする。

一年ほど前にぷつりと授業に来なくなった。

たしか女生徒の方は小豆といった。

目を離せない程の可憐な美少女だった。

あずきか、、しかし変わった名前だな。

今日は「メソポタミアの恋」の本打ちで

大泉にある撮影所にいかないといけない。

午後は雨が降りそうだ。

先日、妻からプレゼントされて

大事にしていた折りたたみ傘が

強風でバキッて折れてしまった。

その後セブンでもう1本買ったら

吹きすさぶ雨と強風でまた折れた。

撮影所の入り口から食堂までの

たった200mの道のりももたず

そして

食べ終わって食堂を出たら

突然晴れていた。

そんな日もある。

最近、今更ながら

村上龍を何冊か続けて呼んでいる。

その話をするわけではないのだけれど。

僕は生まれてからずっと

自分のことを僕と言っているので

もちろん、村上春樹派だった。

妻の報告によると

たまに後輩に向かってかっこつけて

「俺もさあ、そういうことあるんだよね」

と言っているらしい。。

しかし「俺」がしっくり来ていないようだ。

僕は、50になっても、60になっても

そして80くらいになっても僕と言い続けるのだろうか。

きっとそうだろう。

僕はそう思う。

中学生の時「ノルウェイの森」がベストセラーになった。

でも実際にその存在に触れたのは高校3年の時。

僕の斜め前に座っていた女の子(名前は忘れた)の机の上に

赤と緑の本があった。

それはよく覚えているのだけれど、その時は読まなかった。

本の表紙カバーだけが鮮烈に印象に残った。

使い古された机の上にぽつりと置かれていて

受験には不要に鮮やかな存在感を発揮していた。

大学に入ってから「ノルウェイの森」を呼んで

ものすごくはまってしまった。

僕のキャンパスライフと微妙にシンクロしていく風景がとても心地よく

そのイメージを持ったまま女の子と会話をするととても話が弾んだ(ような気がした)

その後、ほぼ全冊読んでいるけれど

20代はなぜか恥ずかしくて村上春樹を好きだと言えなかった。

僕の世代には村上春樹にものすごく共振させられながらも

ひた隠しにしている人が僕の友だちに少なくとも3人いた。

ミーハーだと思われたくなかったのだろうか。

大抵、お酒を飲みながら語り合って夜が深まってきたころに

実は俺、村上春樹好きなんだよねと友人はカミングアウトした。

実は俺も、、

ふたりとも普段、僕と言っていた。

村上春樹好きという恥ずかしさを覆うために

自己防衛本能が「僕」を「俺」と言わせたのだろうか。

今となってはそれはわからない。

18歳から21歳にかけて

僕はちょっと遠出する時「ノルウェイの森」をいつも持ち歩いていた。

本の中の「緑」という女の子は、僕の中のしばらくヒロインであり続けた。

何でこんな話をし始めたのか

今書いているシナリオとは全く関係がない。

プロデューサーは次週視聴率が6%を切ったら

全10回を6回に変更すると顔色も変えずに行った。

君の話はなんか

村上春樹を真似した小説家志望の青年が書いた

薄めすぎたカルピスみたいなんだよな。

煙草を燻らせながら興味なさそうに呟いた。

バレていた。まあ図星だ。

私はそれから村上龍の小説を貪るように読んだ。

そして今は村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読み直し、ちょっとワイルドな気分になってた。

昔、とある映画会社が映画化を意図したが頓挫したようだ。

幻の撮影台本を読ませてもらったことがある。

この作品で強烈な異彩を放つトウジという男の台詞を思い出した。

は、今に、あいつらを黙らせてやるつもりだ」

激しくなった初雪と、火の粉がの影の縁で混ざった。の肌はオレンジ色に火照っている。の影が、を手招きし、待っているかのように感じられた。からだが影を作り動かしているのではなく、影がを突き動かしているのだった。は今目の前に伸びている影を狩るのだ。には何かある。の声、顔の表情、からだの仕草、何かがある。初めて気付いた。獲物は、自身だ。倒して、完全に同化するのだ。そのことを思うと歓喜で背筋に震えが走った。

を見ろ、を見るんだ、をよく見ろ、には何でもできる わかるか?」

引用了

」の波状攻撃が過ぎる。。

これ全部「僕」に置き換えたら、どうなるのだろうか。

か弱い人物像になり、意味が破たんする。

この「」が「」である限り通用する

迫ってくるような文体と人物像が村上龍の魅力だ。

今日の脚本打ちは憂鬱だ。

その憂鬱を吹き飛ばすには村上龍になるしかない。

今僕は、いやまちがえた、、俺はトウジだ。

ならば今「僕」は「」といってもきっとはまるはずだ。

ただ思えば20代前半は村上龍にはなぜか拒否反応を示して一切読めなかった。

自身の男を否定されそうな危険な香りを遠ざけた。

大学1年生の頃、Mr.Childrenが鮮烈にブレイクを果たし

「軽やかに恋愛を謳歌する感じの」初期のアップテンポなデートナンバーを日々カラオケで熱唱した。

「あすなろ白書」を毎週見て木村拓哉が演じていた取手君の切ない男心に共振し

相変わらず「ノルウェイの森」を読み続けていた。

僕のキャンパスライフは、思想もなく、思索もなく、

ただ大衆迎合的にウキウキ気分で過ぎ去っていった。

そんな輩があえなく就職氷河期で抹殺された。

ミーハーの延長で脚本家という道に辿り着いたが

長いあいだ全く芽が出なかった。

その後大学の非常勤講師で生活をやりくりしていたが、たまたまとある脚本新人賞受賞した時の選考委員だったプロデューサーから電話があった。

直前に人気脚本家が降りてしまって私に連絡してきた。

もう予算が尽きていたらしい。

まあ、今回で終わりそうだな。

しかし自分で考えてもなんで「メソポタミアの恋」なんてわけのわからないタイトルをつけてしまったのだろうか。

そういえば「夏の日の1993」という歌を歌っていたグループはどこに行ったのだろう?

よくカラオケで歌っていたな。

ああ、撮影所についてしまった。

憂鬱だ。

トイレの鏡の前で練習してみた。

「いや、俺はそれは違うと思うんですよ!」

明らかにセリフが浮いていた。

目も少し泳いでいた。出直そう。

まあいい、今日も僕は僕で行こうと思う。

いつか必ず俺も使ってやろうと思う。

あなたは僕ですか?

それとも俺ですか?

これからは  あなたも私も

行きつ戻りつ 気分によって 

僕は春樹で  俺は龍


天豆エッセイ詩小説⑦

あなたも私も 気分によって 僕は春樹で 俺は龍

前のお話は

あの夜、突然消えた優子を僕は決して忘れない。


だよ😍

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