「わがまま」ではなく「あるがまま」
column vol.975
昨日は国連の「世界幸福度レポート2023」に触れながら、この国の「幸福の余白」についてお話しさせていただきました。
日本の「寛容さ」の低さを指摘するレポートに対して、昨日は他者への寛容さを育む視点についてお伝えさせていただいたのですが
今日はそこにプラスして「自分への寛容さ」への意識づけを指摘したいのです。
やはり、自分に寛容にならなければ、なかなか人にも寛容になれません…
時に自分に忠実に考えないといけないのです。
「あるがまま」になれているのか?
禅語に「あるがまま」という言葉があります。
その意味は「ありのまま、実際にある、そのままの状態」ということ。
よく「あるがままの自分」という言葉を使いますが、それは「自分の思いや枠をなくした上で、見えてくる自然な状態」を指しています。
自分が無意識に行っている「べき思考」や「決めつけ」などの、自分枠の中に世界をはめ込むのではなく、目に見え、耳に聞こえ、心に感じたそのものの状態を重要視する。
これは「わがまま」とは違います。
わがままは「自分の思い通りに振る舞いたい」という感情ですが、あるがままはあくまでも「事象」に着目しています。
例えば、相手に反対意見を言う際も
は、思い通りにしようとする「わがまま」ですが
なら「あるがまま」。
人格ではなく事象に着目し、最善の選択肢として提案しています。
人は「べき思考」や「決めつけ」によって、自然な思考で物事を考えられなくなります。
例えば「良い上司」であるために、人は何をするでしょうか?
恐らくリーダー本を読んだり、セミナーに行って「理想の上司」を学び、それをお手本にして良い上司を成り切るでしょう。
しかし、本当にそれが自分にとって心から良いと思う上司なのか?
そして、それが自分にとって適した上司像なのか…?
考える必要があると思うのです。
心配なのは「こうあるべき」が先行してしまって苦しくなる人は多いのではないかということです…
自分に過度のプレッシャーを与えない
そんな中、「あるがまま」を仕事で体現されている方の言葉に出会いました。
それは坂本龍一さんです。
坂本さんは「FRIDAY」にて91年9月20日号の記事でこのように語っております。
これは、あるがままの自分でいるための強烈なメッセージだと感じます。
もちろん、坂本さんも人間ですから、自分は日本を代表する世界的アーティストなんだろうと思う瞬間もあるでしょう。
周りの人たちからそう言われ続けたら、誰でもそうなります。
しかし、そういった期待を背負い過ぎてしまうと、自分の方向性を見失ってしまいます。
だからこそ、自分がそうならないために世間に対してクギを刺したのでしょう。
これは我々でも起こることです。
周りからかけられる期待によって自分を見失ってしまう。
例えば、「○○さんがいると、いつもチームが明るくなるね」と言われ続けていると、自分はそうしないといけない人間なんだと思ってしまいます。
そうなると、チームが盛り上がらなかった時は、「明るくできなかった…」と自分を責めてしまうでしょう。
でも、本当は10回に1回でもチームを明るくできれば良いはずです。
なぜなら、全くチームを明るくすることができない人もいるのですから。
理想や期待によって、自分の中で「べき思考」が自分を支配してしまう。
でも、人間できることとできないことはありますし、期待に応えられない時もあるわけです。
そうした時に自分に寛容になれるかが大切なわけで、それがあるがままの自分を受け入れる瞬間をつくった方が良いという話につながるわけです。
自分を許容することで他人に優しくなれる
「べき思考」に支配されてあるがままの自分を見失うと、きっと人にも寛容になることができなくなるはずです。
特に日本人は真面目で自分に厳しい人が多いと感じるので、少し心配です…
ちなみに、日本人は家に対しも「自分らしさ」を表現できていない人が多いとのこと。
〈TABI LABO / 2023年2月20日〉
「IKEA」が世界37ヵ国の3万7000人以上を対象に行なった暮らしに関する調査「Life at Home Report」の2022年版が発表したのですが、日本の結果で特徴的だったのが、「昨年と比較して自分の家をよりポジティブに感じる」「家に自分らしさが表現されている」と回答した人が少ないということです。
その要因を探ると、賃貸事情で壁に穴が開けられず、物理的に自己表現ができていないという環境的なものもありますが、「自分よりも家族を優先する」という日本人の特性もあるそうです。
それは一見美しいことに思われますが、自分を犠牲にすることでストレスが溜まり、家族に対して不寛容になってしまったら元も子もありません。
やはり人間、自分がハッピーでなければ人に幸せを分けたえることはできません。
よく利他主義は、他人を幸せにすることで結果、自分にも幸せが返ってくるという考えですが、その逆もあるはずです。
人を幸せにするためにも、まずは自分が幸せであった方が良いわけです。
もちろん、あるがままの自分だけを追求しても、人間関係難しいでしょうから、他人本意に生活することは必要なのですが、どこかで息抜き的にあるがままの自分をつくらないと息苦しくなってしまう…
息苦しいと人に対して「私も息苦しい中がんばっているのだから、あなたも…」と不寛容になってしまいます。
そうならないためにも、自分を労わる時間も必要であるということですね。
そうして他人にも、自分にも寛容であることを意識づけしていく。
それが良きバランスなのではないと感じています。
そうした視点も併せ持ち、冒頭に紹介させていただいた昨日の記事を併せて読んでいただけると嬉しい限りです。
そういった視点も幸福の余白を埋める考え方だと思います。
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