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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#パウロ

聖霊を受けるという意味を問う

聖霊を受けるという意味を問う

使徒19:1-7 
 
所はエフェソ。但し「アポロがコリントにいたとき」とわざわざ前置きされています。アポロは、この直前で登場しています。雄弁家でした。イエスについて熱心に語り、人々に、イエスがメシアであると論ずる力をもっていました。疑うユダヤ人たちも、その議論においては、アポロに勝つことができなかった、と記者はその才能を持ち上げています。
 
そのアポロが、先にエフェソで宣教活動をしていたのです

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人からではなく、神から

人からではなく、神から

ガラテヤ1:11-17 
 
パウロは、人間から、人間の福音を受けたのではありませんでした。これだけでも、かなり特殊なことであったことでしょう。人の口が伝えるままに、伝聞の宗教を信じてしまうことが、世間では多いのです。人を信用することは美徳なのかもしれないのですが、殊神の事柄については、大きな誤りとなりかねず、危険が伴います。
 
パウロは、「イエス・キリストの啓示を通して」福音を受けた、と言って

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共に苦闘するパウロ

共に苦闘するパウロ

フィリピ1:27-30 
 
私は今にも殺されるかもしれない。だが、できれば、もうしばらく生きていたい。生きてあなたがたに会いたい。こんなパウロの心の揺れを吐露するような文面が見えます。その後、視点をフィリピ教会の人々へと移します。教会も、また苦しいではないか。敵によって苦しめられているではないか。だが、その苦しみすら、神から与えられているのだ。
 
私たちは他人に対して、このような言い方をすべき

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勝利は約束されている

勝利は約束されている

コリント一15:50-58 
 
動かされることはない。あなたの足元は盤石だ。主の僕として自分が、いまここでどうするとよいかを頭に思いながらも、それを実践することについては、ためらいを覚える必要はないのだよ。パウロが言っていることを現代風にアレンジすると、このようなメッセージとなるのではないでしょうか。それが可能なのは、勝利が与えられているからです。
 
私たちは、救いという方法により、すでにこの

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神の霊がもたらす救いに与る

神の霊がもたらす救いに与る

コリント二3:4-11 
 
パウロは手紙を書いています。それは神が書いたとも見られます。神は手紙をどう書くのでしょうか。神は例によって、人の心にそれを書くのだ、とパウロは考えているようです。パウロが何かよいことを書いたとしても、それはこの神のなした業に過ぎません。なぜならこの手紙は、パウロの肉の心を書いたのではないからです。
 
もし人間の生の力でのみ書かれたものであったのなら、その手紙の言葉は

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パウロの弁護から信仰へ

パウロの弁護から信仰へ

ペトロ二3:13-18 
 
神の日、それは世の終わり。それを私たちは待ち望んでいます。新しい天と地が、ここに降りてくるのです。私たちはそのときを、平和に迎えましょう。平和とは、信が揺らいでいない、ということです。不道徳に陥らず、足場を固めている、ということです。凡ゆる妨害や惑いに負けず、神の救いを確信し、見失わないようにしていたいのです。
 
パウロの思想をペトロが支えている、という設定で教会の

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輝いて生きよ

輝いて生きよ

フィリピ2:12-18 
 
「この世で星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」周りが暗いからこそ、輝きが明るく感じます。「ゆがんだ邪悪な時代」を嘆く必要はありません。パウロにとり、弱小集団としてのキリストの弟子たちは、当時マイナーの極みであったにしても、世に於ける神の光の子でありました。よほどの確信がなければ、主張できないことでした。
 
しかし、パウロがこの福音を伝えた人々のことは、

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キリスト賛歌と復活

キリスト賛歌と復活

フィリピ2:6-11 
 
「~しなさい」という形で勧めることの多かった、パウロの口調が変わります。聖書協会共同訳では、ここが詩のような形になるようにセットされています。特別に目立たせる効果があります。「キリストは」で始まるこの一連の教義的な内容は、「キリスト賛歌」と呼ばれることがあります。信仰が実に美しくまとめられているものだと驚きます。
 
イエス自身は、もちろんこのことを口に上らせることはあ

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教会の当事者は誰なのか

教会の当事者は誰なのか

コリント一3:1-9 
 
パウロにとって、コリント教会というところが特別であったことからかもしれません。自ら切り拓いたとされますから、その不都合な面に細かく口を出してしまうのも、やむを得ないだろうと思われます。社交辞令を送るわけにはゆかないのです。あんたらはまだ子どもだ。そうぶつけます。子どもじみた教え方しかできない、と吐き捨てたいのでしょう。
 
ここでは「肉の人」のままだと暴言も見せています

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愛さえあれば

愛さえあれば

ローマ13:8-10 
 
なんだか思いつくままに綴っているようにも見えますが、キリスト者の新しい生活がどのようであるべきか、パウロが次々と繰り出している場面です。パウロ自身はあたりまえとしていたのでしょうが、権力者への従順さは、特に近代社会となって物議を醸しました。それに続いて、ここで言うのです。人を愛するのだ、と。
 
人を愛するなら、要するに律法を全うすることになるのである、というのです。こ

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信仰による義について

信仰による義について

ローマ4:13-25 
 
パウロは、アブラハムの例を引きます。ローマに住む人々への手紙ですが、ユダヤ文化を前提としています。アブラハムの子孫は世界の相続人になるという約束がありました。アブラムが主を信じ、それがその義と認められたというのです。人間のしたこと、つまり律法に従ったからそうなった、とするのなら、なんと空しいことか。パウロが言います。
 
確かに律法は、人間がそれに従えないことを思い知ら

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伝えたいのはイエスの復活

伝えたいのはイエスの復活

使徒13:16-43 
 
パウロの第一次伝道旅行は、さほど広範囲へ向かっているわけではありませんでした。何をどう目指しているのか私には分かりませんが、アジアの内陸へと進み、ピシディア州のアンティオキアにて、安息日の会堂でメッセージを頼まれたのでした。この長い一幕を一度に読みます。パウロの説教が、たっぷりと掲載されているわけです。
 
ストーリーのためでもありますが、この内容が、教会の信仰のために

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「行い」の反対は

「行い」の反対は

ガラテヤ2:15-21 
 
パウロはここで、自らと手紙の相手とがユダヤ人であることを前提にして話を始めています。ですから「異邦人のような罪人」ではない、と言っているのは差別的な冷たい言い方であるというよりも、ユダヤ人を説得するためのことだ、と理解しておこうと思います。ガラテヤ教会に対しては、律法の行いによる救いを否定する目的で書き送りました。
 
律法を守り行うことで、人は神から救われる、つまり

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かつてと対比して知る希望

かつてと対比して知る希望

ローマ5:1-11 
 
パウロ神学などと言うと、パウロ本人は苦笑いをするかもしれません。もしそれがあるなら、やはりこのローマ書を挙げることが近道でしょう。中でも5章から6章は、人の救いという的に迫る要点が詰まっているようにも見え、見逃すことができない箇所だといえます。信仰による義そのものは、それまでに触れられ、アブラハムのことも書かれていましたが。
 
信仰によって義とされると、どういうことにな

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