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江戸期~昭和初期の経済成長(市場経済側の経済的な視点からの日本酒)その2 本日の紹介酒 櫻正宗 灘の生一本 純米酒 (兵庫県 灘)
※日本酒の画像は、櫻正宗㈱HPより引用
非常に厳しかった市場での酒質の競争
この頃、江戸へお酒を卸すには、上方の銘醸地である伊丹・池田・摂津富田・西宮・灘等の銘醸地の間で熾烈な酒質の競争が行われていて、現代の語の「下らない」の語源は上方から江戸へ下れない酒でありました。
仮に下れたところで仮に下れたところで、上方の酒同士での競争はもちろん、中国酒(愛知県の知多地方や三重県の四日市近辺)や関東
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その6 灘で生酛造りの技術として確立するまで 本日の紹介酒 仙介 純米大吟醸 (兵庫県 灘)
慶長の遣欧使節のその後
結局、アマルガム精錬法を徳川幕府は入手しましたが、1620年に遣欧使節が日本に帰った頃には、家康公は既に亡くなり日本は鎖国の方向へ進んでいたので、その後この慶長の遣欧使節の事もあまり表に出る事は無く歴史の中に埋もれてしまいました。
柱焼酎の技術一方で、柱焼酎の技法が歴史の表舞台に出て来るのは、元禄期の徳川綱吉公の時代であり、この頃にはある程度完成した生酛による酒造りに関
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その5 慶長の遣欧使節団とシェリー酒 本日の紹介酒 菊正宗 上撰 生酛 本醸造パック (兵庫 灘)
慶長の遣欧使節団は長期間スペインのシェリー酒の醸造所に滞在していたこの使節団は長期に渡りスペイン内のシェリーの醸造所に滞在した事が(伊達政宗の遣欧使節 松田毅一著)には出ていました。直接、日本酒造りと関係ないと言われればそれまでだし、シェリー造りでは日本酒と全く同じでは無いですが、ワインにブランデーを加える目的は、お酒の味わいをスッキリさせる事と、お酒の保存性を高める事です。
山卸を足踏みで行う
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その3マニュファクチャーによる生酛造りが行われるまで 本日の紹介酒は天野酒クール(大阪府 河内長野市)
初期の生酛造りは試行錯誤の末従来よりも安定した乳酸発酵できる方法を色々試して模索したのが、寒造りの酛立て法を用いた南都諸白の酒造りで、伊丹に於いてさらに改良を加えられた山卸の手法を用いて、その後生酛の酒造りの技術として進化していきます。勿論そこに至るまでに色々試し試行錯誤しながらたどり着いたと考えられます。
菩提元から進化した水酛の技法また、その後も大正時代に至るまで酒造りの技術として用いられた
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その1生酛造りのお酒の味わいとは 本日の紹介酒 香住鶴 山廃純米 (兵庫県 香美町)
生酛造りのお酒の味わいとは生酛造りのお酒について、よく目にするのが生酛本来の味わいとか生酛らしい香りとか、伝統的な古式造りとか、よく目にします
実際にテイスティングしてみると、結構厚みが有って重たい味であったりしますが、本来の生酛の味わいってそもそも重たい味わいなのかを考えると疑問があります。
私の考える本来の生酛の味わいとはでは、私の考える本来の生酛の味わいとは、味に深みと柔らかさがあり、後