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「やりたいことを仕事に」という幻想と幸福の為の意思決定

 人は誰しも「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いたがりますが、実際には自己評価ほど当てにならないものもありません。さらにおもしろいのは、あなたのことをまったく知らない他人でも、かなりの確率で正しい評価ができてしまうところです。

鈴木祐『科学的な適職』(グロスメディア・パブリッシング、2019年)




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この本はすでに有名で、Amazonでキャリア本の売れ筋ランキング1位になっているくらい売れており、いかに良著なのかは僕が力説するまでもないだろう。

企業の短命化と人間の長寿化にVUCAが重なった現代。転職がメジャーな選択肢になり、会社で働くすべての人が「職選び」という課題に向き合う必要が出てきた。

しかし、職業選択の自由が与えられた歴史は浅く、僕らは最適な職業を選ぶ能力をまだ持ち合わせていない。自由を求めるが、いざ選択肢が無数に与えられると僕らはそこから最適な解を選ぶことができず、最終的にその自由を放棄する。

そんな僕らに本書は、解決策を提示してくれている。幸福になる為の仕事に辿り着くことを目的とし、様々な研究データを用いて科学的な観点から、統計的に職選びに失敗しないためにはどうすればいいのかが書かれている。僕らがなぜ職選びで失敗してしまうのか、では具体的にどうすれば最適な職に辿り着けるのか。

僕は今回読んでみて、この本は仕事においてだけでなく、人生における意思決定をより良いものにするためにも活用できる一種の哲学書のようなものに感じたし、「人間が幸せになるには?」という問いに答えた幸福論にも感じた。幸福を望むすべての人に読んでほしい一冊だ。




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この本の中でいちばん僕がキリトリたい一文はこれ。

「好きを仕事に!」や「情熱を持てる仕事を探せ!」は、かように多くの実験で否定されたアドバイスであり、人生の満足度を高めるソリューションにはなりません。

鈴木祐『科学的な適職』(グロスメディア・パブリッシング、2019年)

数年以上前から異常に聞くようになった「好きを仕事に」「ライフワーク」「やりたいことで生きる」「好きなことして稼ぐ」などのメッセージ。僕は聞くたびに違和感を持ちながら、そのモヤモヤの正体を掴めずにいた。

「やりたいことを仕事にしていることの正義感」が増し、その空気が必要以上に僕らをあおる。あたかもやりたいことを仕事にしていない人を悪いと言わんばかりに。

この風潮に僕はさらにモヤモヤを強めた。

そんな中、僕が出会ったこのメッセージは、僕のモヤモヤを晴らすには十分すぎた。結局、「好き・やりたいことを仕事に!」は幻想だったのだ。これは僕がこれまで読んできた本の知識や経験が繋がって導かれた結論だった故、辿り着いたときのしっくり感がその信憑性しんぴょうせいを物語っていた。

これについて頭の整理も兼ねてつづってみようと思う。




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なぜ「やりたいことを仕事に」は幻想なのか。

その理由は3つ。

・期待を抱きすぎてギャップに苦しむから
・やりたいことは情報で作られる一過性のものだから
・みんな初めから「やりたいこと」をやっていた訳ではないから

「やりたいことを仕事に」と聞くと、僕らの頭はつい「やりたいこと“だけ”をやれる仕事」をイメージしてしまう。当然、そんな仕事はどこにもない。シュートしか打ちたくないといって守備をしなかったり、走らない選手はサッカー選手になれないのは当たり前の話だ。

そして、「やりたい!」は(ごく少数の人を除き)僕らが現在持っている情報の中から生まれる。クリケットを知らない人が急にクリケットをやりたい!とはならないように。

アイデアも情報の編集作業。現代において僕らの「やりたい」のほとんどはSNSやネットの情報を見て、それに感化される形で生まれてくる。だから、また明日には違うものがやりたくなっている可能性もある。「やりたい」というのはそれくらいアテにならない一過性のものなのだ。

僕は20年近くサッカーをやっているが、サッカーをやりたいと思って始めた記憶はない。振り返れば20年のうち13年間くらいは嫌々サッカーをやっていた時間だったなと思う。ただ、今は、サッカーが好きでドイツに来てしまうほどになった。それは情熱は投下したリソースに比例して生まれてくるものだからだ。なので、本当の意味で何かを好きになり、情熱を持って取り組めるようになるまでにはそれなりの時間がかかるのだ。

今、好きなことややりたいことをやっている人も実はこの順番でその状態になっていることが多いのではないだろうか。



では、なぜ「好きを仕事に!」というようなメッセージが放たれるのだろうか?

そこにも理由がある。

・脳は都合よく記憶を書き換える
・メッセージによって自分を肯定できる
・一定の需要があり、市場規模が大きい

僕ら人間の脳にはたくさんの「バグ」が存在する。

行動経済学では「バイアス」などと言ったりするが、僕らは特定の場面においてかなり非合理的な判断をすることがわかっており、ビジネスではこれを利用し消費者の購買行動を操っていたりする。そのバグのうちの一つに「都合よく記憶を書き換える」というものがある。

もともと特に理由などなく、もしくは周囲の人から勧められて始めたことも、時間を費やすうちに「やりたいこと」に変わる。このとき僕らは、現在進行形でやりたいことを仕事にしている自分に言い聞かせるように「自分は初めからやりたいことを選んだ」という記憶に書き換えてしまう。そして、「やりたいことをやろう!」というメッセージを発信するようになる。

これは彼らが嘘をついているというわけではない。人間の脳に秘めているバグが知らぬ間に記憶をすり替えてしまい、あたかも初めからそうだったかのように勘違いしてしまうのだ。

発信をすることで自己を肯定することもできる。加えて、この類のメッセージはキャッチーで分かりやすくインパクトが強い。それなりの需要があり、出版における市場規模も大きい。

脳のバグによって気付きづらいのに加えて、このメッセージを放つことのメリットが発信者側に多分にある故に、この幻想はなくならない。発信者が増えれば増えるほど、その幻想は大きなものとなり、社会の空気を作っていく。

参考文献
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)
井筒陸也『敗北のスポーツ学』(ソルメディア、2022年)
ふろむだ『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ダイヤモンド社、2018年)
林修『林修の仕事原論』(青春出版社、2017年)
鈴木祐『科学的な適職』(グロスメディア・パブリッシング、2019年)
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社、2017年)
井筒陸也『できることvsやりたいこと問題の結論と、両方ない人への救済
』(note)

けんすう『やりたいことがなくて、立ち止まってしまう20代の人向けの記事』(note




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「やりたいことを仕事に」が幻想だったように、意思決定の際に僕が信じていた基準や哲学は間違っていたのかもしれない。「自分がいちばん自分のことを分かっている」と信じ込み、人の意見を聞かずに決断したり。「自分が正しい、Aの方向に行きたい」と思った瞬間からAに行くと良い偏った情報ばかりを集めていたり。

僕のこれまでの意思決定プロセスが間違っていたことに気づくことができた気がする。それは、これまでの結果が悪かったからといった理由ではなく、そもそもの意思決定の仕方そのものに対しての知識が不足していたからに他ならない。

改めて、自分の意思決定を見直すことができ、今後何度も訪れる決断の機会で最適な選択をすべく、本書に提示されていたワークやフォーマットを活用し、実践していこうと思う。

すべては幸せになる為に。



かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、20歳で渡独するもコロナで帰国。鎌倉インターナショナルFCでプレー後、23歳で再び渡独。渡独直後のクラウドファンディングで106人から70万円近くの支援を集め、現在はサッカー選手としてプロを目指しドイツ5部でプレー。好きなテレビ番組は『家、ついて行ってイイですか?』『探偵!ナイトスクープ』

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。