かくいたくや

1999年生まれ|東京都出身|プロの夢破れ、ドイツ田舎の孤児院で働くサッカー選手|随筆…

かくいたくや

1999年生まれ|東京都出身|プロの夢破れ、ドイツ田舎の孤児院で働くサッカー選手|随筆文のようなものを書き綴ります。

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    響いたnote記事をまとめています。

  • No Book No Life

    読んだ本の感想を綴ります。

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夢は叶っても叶わなくてもどっちでもいい

理想と現実。 ここの狭間をどう生きるか。生きていくとはそういうことかもしれない。 どこかで折り合いをつけるもよし、理想を追い続けるもよし。生き方はそれぞれだ。 ここの狭間で上手に自分なりのバランスを取ることができればいいが、苦しむ人も多い。それが自死につながったりしてしまうこともある悲しい世の中だ。 この「理想(夢)と現実の狭間でどう生きるか」という問いが、一つ僕の人生のテーマだろうと最近思うようになった。 今の僕なりの答えとしては、「この狭間でもがくことそのものに価

    • 鬱憤を書く

      どうやら僕は幸せになってしまったみたいだ。それも、ドーパミン的幸福ではなく、オキシトシンによる幸せを。 ドイツにある小さな村で、同じ毎日の繰り返し。これといった刺激の少ない日々を過ごしているが、どうやら僕はそれで満足しているようだ。 お金があるわけでも、家庭があるわけでもないが、それとなく不自由なく暮らしていて、それで僕は十分満たされていて、、、、 ただ、それと引き換えに文章を書きにくくなり始めている自分に気づく。 というのも、僕はこれまで、自分の憤りや不満を文字に乗

      • ドイツで蒸発しないように

        いつものように髪を切りに行く。僕が住んでいる小さな田舎村にある小さな床屋に。 僕ももうこの村には3年ほど住んでいて、いつも髪を切ってくれるイケてるおじさんとは顔見知りだ。散髪中にフランクに話すほどの中ではないが、電話で予約をとるときも特に名前など聞かれない。いつも予約帳になんと書いているのか気になる。「日本人」とでも書いているのだろうか。 まぁいい。 髪が長いのは鬱陶しいから、1、2ヶ月に1回くらいのペースで一応、床屋にいくようにはしているのだが、僕は床屋に行くのが嫌い

        • 言語学習アプリ『Cake』へ忌憚のない意見

          言語学習アプリ『Cake』を運営する会社のグローバルマーケティング担当者から「Cake Plusを無料でご体験頂き、忌憚のないご意見をNoteに記載いただけたら」とのことで、プロモーション記事の執筆依頼があった。 僕は、ドイツ語学習者として、言語学習というマーケットにアプリで参入するというビジネス的側面や、そもそもの構造的に言語学習とアプリの相性はどうなのかなど、面白そうなテーマに頭を悩ませ、考えを巡らせられるきっかけが生まれたことに、僕の知的好奇心をそそられてしまった。

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        夢は叶っても叶わなくてもどっちでもいい

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        • Takuya‘s selection
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        • No Book No Life
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        記事

          別にそんなに幸せになろうとしなくていいのよ

          ことの始まりは凪良ゆうの『汝、星のごとく』。これで小説にも凪良ゆうにもどハマりした僕は、YouTubeを漁り彼女が尊敬してやまない作家としてあげる山本文緒に辿り着く。 その中で表紙とタイトルで直感を信じてジャケ買い。『自転しながら公転する』という本に出会うこととなった。 運命というものがあるとするならば、確実にこの本はしかるべきタイミングで僕のところにやってきている、というスピリチュアル感満載の出会いに心を躍らせていたのだが、そんな神秘的な出会いとは裏腹に本は全然進んでい

          別にそんなに幸せになろうとしなくていいのよ

          セミプロからのオファーを断りました

          ドイツではサッカーのシーズンが残り3ヶ月となるこの時期に、クラブと選手間で来シーズンを見据えた契約更新やら移籍やらの話が行われる。 クラブは現在所属選手との契約更新に加えて、来シーズン獲得したい選手に話をもちかけ、興味がありそうなら正式にオファーを出す。 選手側もこの時期に、来年も現チームでプレーするのか、移籍するのかの判断を迫られ、移籍するならオファーが来るか、ステップダウンするか以外は自分でアタックして探していくことになる。 アマチュアはよほどのことがない限り契約は

          セミプロからのオファーを断りました

          似非独人

          ドイツ語で映画『きみに読む物語』を見た。なかなかによかった。 視聴後に気になったのはやはり映画のタイトル。 原題は『The Notebook』で、ドイツ語タイトルだと『Wie ein einziger Tag』となっている。einzigというのはドイツ語で「唯一の」とか「たぐいまれな」という意味で、独題を日本語に訳すなら「特別な1日のように」などとなるのだろうか。 原題『The Notebook』に対して、『きみに読む物語』という題を作った天才に、日本語の素晴らしさを教

          日本語にしがみついている

          だいたい僕はわがままだ。気が向かないとやらないし、人から勧められたことなどやりやしない。 そして、めんどくさい。読みたくない本をダラダラと読み続けていたり、書きたくもないはずなのに書いたりしている。今。 とはいえ、モチベーションなんてものは幻想で、実のところ動き始めたらなんとかリンやらなんとかミンとやらのホルモンが自分を気持ちよくさせて、それをあとからモチベーションなどという言葉で作り上げているだけで、そんなもの動く前にありゃしない。 ということで、僕は「書かないといけ

          日本語にしがみついている

          ドイツで育つヤツら

          僕はドイツの田舎にある児童養護施設で働いている。 そこには何らかの理由で親と一緒に住めなくなった子どもが暮らしていて、僕ら大人が365日24時間代わりがわりで面倒を見る。家庭内で親に特別仕事という仕事が割り当てられていないように、僕らも仕事内容はこれといって決められたものはない。誰かが食事を作り、気づいた人が洗濯を畳み、子どもの学校や習い事の送り迎えをし、お風呂に入れて寝かせる。本当に親代わりのような存在だ。 ここで働き始めて半年が経ち、職場での子どもしかり、友達の子ども

          ドイツで育つヤツら

          呟かない、書く

          年始には目標を立てるのが一般的だが、どうやら違うぞとなり、数年前から僕は目標ではなく方針を立てることにしてみた。ただ、それも数年やってみて意外と微妙だなという感触があったので、今年は、年始に“やめること”や“しないこと”を決める、というのをやってみようかなと思い始める。 そこで決めたのが、「呟かない」ということ。 僕は生粋のツイ廃(Xに変わってなんという名になったのやら)で、思ったこと考えたことをすぐに口に出す代わりにTwitterに投稿してきた。 それはドイツで生活す

          呟かない、書く

          2023年買ってよかったものTOP10

          1年の振り返りとして買ったものを見直すこの試みも3年目。 今年も振り返ることで自分の購買行動を見直していこうと思う。 第10位 ビットコイン 今年の頭から暗号資産に超少額超長期積立投資を始めたら2023年の今年が非常に成績がよかった。以上。 第9位 フライングコプター スペインへ旅行に行ったときに惹かれて、その場でぼったくり覚悟で購入した遊び道具が異様にお気に入り。 バルセロナでの広場で、かつ夜の空にこれが非常によかった。 第8位 無印のサンダル 夏の旅行前に

          2023年買ってよかったものTOP10

          “独”孤児院の子、恵まれてるやん

          僕はドイツの田舎にある孤児院で働いている24歳日本人。 ドイツ語ではキンダーハイムと言って、直訳すると「子どもの家」となるのだが、まぁ日本でいう児童養護施設のようなもので、僕は個人的に孤児院と言っているのだが、例えば ・“親がいない子ども”(親が早くに亡くなってしまったり) ・なんらかの形で“親と一緒に住めない子ども”(アルコール依存症や経済的事情など) がその家で一人一部屋与えられ、共同生活を送る。 現在、家には6人の子供がいて、6歳男女、10歳女、14歳男、16歳

          “独”孤児院の子、恵まれてるやん

          星を編む

          ※ネタバレを多分に含む記事です。 本屋大賞2023を受賞した凪良ゆうの『汝、星のごとく』に続編が出たとのことで、音を超える速さでamazonを開き、一瞬の迷いもなくポチった。価格が1万円でも買っていただろう。そのくらい『汝、星のごとく』は自分の頭を体温を熱を心を持っていかれた作品だったのだが、読んだ感想を前回noteにアップしたときの記事を読み返すと寒気がした。こんな浅くてチープな文章を書く自分を殺してやりたいと思ってしまったのだ。 まぁいつ何時も、自分の過去の文章という

          正欲とニンゲン

          僕は普段「自分に起きるすべてのことには意味がある」と思って生きている。本当かどうかはわからないし、厳密には一生分かるわけがないし、誰も知る由のないことなのだが、そういうスタンスを取ることで僕は少し生きやすくなる。 僕ら人間というのは非常に良くできていて、生存するために様々な機能を備えたり手放したりしながら世界に適応し生き残ってきた。人間には様々なバグが備えられているし不完全だと感じることも多々あるし、戦争をして互いを殺し合うが、それすらも人間という種類の動物全体で考えたとき

          正欲とニンゲン

          偶然アソビが仕事になったけど

          僕の今の仕事は主に子どもと遊ぶことだ。 毎日毎日同じ子どもと同じゲームをして遊ぶ。それをもうかれこれ4ヶ月続けてきたのだが、仕事中にそれ以外やることがなくて暇だからという理由が半分、普通に子どもが可愛いし楽しいからという理由が半分で、そこまで苦ではないので、子どもと遊ぶという点に関して少し自分の中に才能のようなものすら感じ始めている。 そこで、いつかの自己啓発本で読んだ「遊びを仕事にせよ」的なメッセージが頭をよぎる。今もかもしれないが、一時期こういった類のメッセージが強烈

          偶然アソビが仕事になったけど

          週6で顔を潜めるサッカー少年

          僕は4年前に大学サッカーを辞めて、ドイツでサッカーをする決断をし、そこから日本に一時帰国した時期もあったがなんとかドイツで5チームを渡り歩き、様々なチームでプレーし、今に至る。 様々な環境に身を置くことで、自分を観察でき、自分を深く知ることができたり、今までに気づかなかった学びを得られることができたり、全てが良い経験なのだが、僕がその中で感じた「頻度」というものについての考察を書き留めておきたい。 日本の大学でサッカーをやっていたときは週6の頻度で活動があったのだが、ドイ

          週6で顔を潜めるサッカー少年