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日本語にしがみついている

だいたい僕はわがままだ。気が向かないとやらないし、人から勧められたことなどやりやしない。

そして、めんどくさい。読みたくない本をダラダラと読み続けていたり、書きたくもないはずなのに書いたりしている。今。

とはいえ、モチベーションなんてものは幻想で、実のところ動き始めたらなんとかリンやらなんとかミンとやらのホルモンが自分を気持ちよくさせて、それをあとからモチベーションなどという言葉で作り上げているだけで、そんなもの動く前にありゃしない。

ということで、僕は「書かないといけない」という謎の焦燥感に駆られ、小さい一室に暖色の灯りを灯しながら、頭が活性化するという胡散臭いスピリチュアル水泳帽のような帽子をかぶりながらカチカチ文字を綴っていく。


もうトータルでドイツ生活は3年半。今の生活は1日どっぷりドイツ語に浸かり、留学当時憧れていた生活を手に入れたのかもしれない。

日本語はスマホの中でしかほとんど使わないので、頭の中には日本語が滞在し、徐々に口と頭を繋ぐ日本語の神経が鈍っていくのを感じる。

いっそのこと完全に日本語と縁を切ってドイツ語に身を染めることもできる。ただ、日本語を忘れたくない自分がいる。日本の文章に魅了され、日本のコンテンツに楽しみを見いだせなくなった世界に僕の逃げ場所が用意されているとは到底思えない。

どこまでも日本語に依存した人間なのにも関わらず、ドイツにいる自分。やはりめんどくさい類の人間だ。

ドイツ語にどっぷり浸かる生活をしているとはいえ、僕のドイツ語は超がつくほどの中途半端だ。3年半いりゃペラペラでしょなんて、モチベーションという言葉くらい幻想だ。海外に行っただけでなんにもしなきゃ日本にいるのとほぼ変わらない。

ということで、まだまだドイツ語を勉強しなきゃいけないレベルの人間だし、足りていないことは明らかなのだが、僕は日本語で本を読んでいる。

まさかこんな未来は想像できなかった。

過去の浅はかなまだ若かったときの僕がこれまで何度も書いてきた夢100リストのようなものには「英語がペラペラになりたい」「ドイツ語が話せるようになりたい」などというのが必ずランクインしていたのに、いざそうなれる環境を手に入れた僕は、ドイツ語を放棄し、むしろ日本語にしがみついているのだ。

その引力はむしろドイツ語に浸れば浸るほどドイツ人になろうとする僕を逃すまいと強くなり、僕を日本人で在らせようと働く。本を日本語で読み、動画を日本語で見て、日記を日本語で書き、パソコンで日本語で文章を綴らせる。

昔から国語が大の苦手で、大の嫌いで、国語の成績なんていつも中の下だったはずなのだが、こうして誰に何を言われたわけでもないのに、自分の貴重な空き時間を使ってまで文章を綴っているから不思議でならない。

「人生なにが起きるかわからんなぁ」というのは自分という存在が自分にとっていちばん得体の知れない存在だからなのかもしれない。

中学高校の頃の国語の先生。見てるかな。喜ぶかな。今の僕の文章を見てなにを思うのかな。


かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。