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サッカー人生卒業論文(仮)

サッカーの夢を諦めた僕だが、今だにサッカーに熱狂していて、、、、

とはいえ、そこにいるのは夢を追っていた頃の純粋な僕ではなくて、世界の厳しさを知り、社会の汚いところも見て、そこで少なからず汚れた自分で、サッカーを利用しながら様々な恩恵を受けることで生きている今の僕。

25歳とサッカー選手としては若くない年齢。まだまだ10年はサッカーやってやるぞ、なんて意気込んでいる僕がいるのだが、最近になって僕が残りのサッカー人生を通してやりたいことの片鱗が見えてきた。

それが、『サッカー人生卒業論文(仮)』を書くことだ。もっというと、これを書く文化を作りたい。

もう少し良さげな名前があったらいいなと思うので(仮)としているのだが、これはその名の通りサッカー選手が引退をするタイミングで世間に発表するもので、自分がサッカー人生を通して何を学んだのか、を文章として世の中に示すもの。社会にサッカー選手のサッカー人生をもっと還元させていこうじゃないか!という。

アマチュアでもプロでも、最近は引退する時にSNSで挨拶の文章を綴ることが当たり前のようになってきたが、これとは別にこの論文を発信する文化ができたらいいなと。

“論文”としているので、「サッカー人生を通して何を学んだのか」を綴る自伝のようなものでも、有名なサッカー選手が出版する自己啓発書のような類の文章でもなく、「サッカー人生を通して見つけた新しい発見」を書いた研究論文のようなものが好ましいなとイメージしている。

自伝や自己啓発書のようなものは、よっぽどの認知を獲得した人でないとそもそも読んですらもらえない。読んでもらったところで、社会になんのインパクトも与えない。それはつまり、社会へ選手のサッカー人生を還元できていないということになる、僕の中では。

一方で2023年サッカー本大賞を受賞した『闘争競争理論』(河内一馬・著)をはじめ、ビジネス書の分野でも『ファクトフルネス』や『人新世の資本論』など、革新的な内容であれば、書き手が有名であるかに限らず社会にインパクトを残すことができるだろう。

これらの詳しいからくりについては『イシューからはじめよ』(安宅和人・著)に詳しくまとめられているので、この本に則って発見を見つけ論文を構築すれば、無名なサッカー選手でだろうが社会に影響を与える内容を書くことができ、社会に還元するという面で上手くいきそうな気がしている。

もちろん、これはサッカーに限ったことではなく、スポーツと置き換えて違う競技の選手たちがやってもいいだろう。むしろ、この文化が広まった先には、日本のスポーツが日本社会や世界にさらに影響を与える存在になっていくのではないだろうか。無論、妄想の域を超えないが。

とにもかくにも、まずは僕がやってみようと思っている。まだ、どんな内容について書くかなどの方向性も全く白紙でしかないが。

今はまだ妄想の段階で、こうなったらいいなという範疇を出ないが、僕がサッカー選手を引退するときの理想はこの論文を発表するとともにサッカー人生を終えることで、この論文が書けたタイミングが引退のタイミングとももしかしたら言えるのかもしれない。

そんな淡い未来をぼんやりと描いている。無論、5年や10年のスパンで僕が成し遂げたい未来として想像していて、今すぐにどうこうという話ではないが。

これを思いついたのも、僕が大学を中退していて、卒業論文とやらものを書かずにここまできてしまった自分を悔やんでいるからなのかもしれない。ここで大学中退なりに良い論文がまとめられれば、その自分と決別できるだろうし、少なからず大学中退した方が良い人生を歩んでいるぞ!と世間に訴えることができる気がしている。(誰もおまえの人生にそもそも興味ねぇぞ。)

まぁ、そんな個人的な事情は置いておいて、そんな世界を作れたら素敵だなぁとぼんやりと思っている。


かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。挑戦の末、夢を諦め、現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。