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“サッカー留学研究”を始めます

ここ最近の投稿は、僕のサッカー人生の終活がテーマだった。

もちろん僕の頭の中もここ数ヶ月はそのことが大半を占めていて、ぼんやりと何かが降ってくるのを待っていたり、能動的に見つけに行ったりと、スタンスをコロコロ変えながら模索をしていた。

先日、たまたま引越しをし、新居での生活が始まったのだが、初日、一睡たりとも寝付くことができなかった。その日は、引越しで重い荷物を持ちながら階段を何十往復もしたので身体は限界に近く疲れていたのにも関わらず眠れる気がしなかったので、僕は諦め、パソコンを開いた。

なにか文章を殴り書き、頭を空っぽにすれば、頭の思考は止まり、すっきりと眠れるようになるのではないかと考えたからだ。

結果、それでも眠れず、朦朧とした頭で仕事に向かい、その後の練習も最悪なパフォーマンスで終えて帰宅。どうやら体調が悪いので体温を測ってみたら38度。

興奮して寝れなかったのではなく、ただ単に熱があり、体調が悪かったから寝れなかったのだとその時気づいた。

ただ、そのときに書いた文章が幸か不幸か、僕のサッカー人生卒業論文に大きく通じてくる内容で、僕は体調回復をそこそこに、文章と向き合う。

そして、数日向き合い、それが僕の研究テーマになった。

タイトルにある通り、僕は『サッカー留学』についての研究を始める。サッカー留学の実態を突き止め、解き明かし、問題提起をする。

まだぼんやりしているので、この領域の中で良いイシューを見つけ、定め、何について解くのか、何を明らかにするのかをもっと深く探っていく。

上記の記事『サッカー人生卒業論文(仮)』の中で僕はこんなことを書いていた。

これはその名の通りサッカー選手が引退をするタイミングで世間に発表するもので、自分がサッカー人生を通して何を学んだのか、を文章として世の中に示すもの。社会にサッカー選手のサッカー人生をもっと還元させていこうじゃないか!という。

“論文”としているので、「サッカー人生を通して何を学んだのか」を綴る自伝のようなものでも、有名なサッカー選手が出版する自己啓発書のような類の文章でもなく、「サッカー人生を通して見つけた新しい発見」を書いた研究論文のようなものが好ましいなとイメージしている。

自伝や自己啓発書のようなものは、よっぽどの認知を獲得した人でないとそもそも読んですらもらえない。読んでもらったところで、社会になんのインパクトも与えない。それはつまり、社会へ選手のサッカー人生を還元できていないということになる、僕の中では。

「サッカー留学」というものが十数年前からカジュアルになり出してきたサッカー界。アマチュアの名のない選手にも与えられる選択肢の一つになった。きっとこれからもこの流れは加速していくだろう。

そのタイミングで、「サッカー留学」というものを一度整理し、実態を解き明かす必要があるのではないか、それが僕のできる、僕が歩んできたサッカー人生を通じてできる社会への還元なのではないかと。

そんなわけで、数日前から研究を始めた。

研究を通して『サッカー留学の社会学』(※タイトルは仮)と題して、サッカー人生卒業論文を書き上げるのが、ここ直近での僕の成し遂げたいことの一つ。書籍という形で10部でも出版できたらこの上ない成功だ。

目安はこの2年。この2年で書き上げる。

さて、2年もこの熱量がもつか。三日坊主で終わるか、乞うご期待。


かくいたくや
1999年生まれ。東京出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。挑戦の末、夢を諦め、現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。「サッカー留学」についての研究もしています。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。