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メモ なぜ抑止の研究では拒否的抑止と懲罰的抑止が区別されるのか?

現在の安全保障の研究では、抑止(deterrence)が基本概念として広く使われており、拒否的抑止(deterrence by denial)と懲罰的抑止(deterrence by punishment)という分類が一般的になっています。しかし、このような区別が必要とされる理由については、必ずしも十分に知られていないかもしれません。

抑止戦略の研究で拒否的抑止と懲罰的抑止の区別を導入したのはアメリカの政治学者グレン・スナイダー(Glenn H. Snyder)の功績によるものです。なぜ、スナイダーがこのような抑止形態の区別を提案したのかといえば、それは懲罰的抑止に過度に依存することが、戦略的な安定性を維持する上で必ずしも有利ではないと考えられていたためです。

Snyder, G. (1959). Deterrence by denial and punishment. Research Monograph, No. 1, Woodrow Wilson School of Public and International Affairs, Center of International Studies, Princeton University Press. 

1959年に彼が発表した学術論文「拒否と懲罰による抑止(Deterrence by denial and punishment)」の序論では、アメリカのソ連に対する抑止が、圧倒的な規模で報復することが可能な軍事的能力、特に核戦力を保有することに依存していると指摘されています。このため、アメリカ軍は陸軍や海軍より空軍を重視し、その長距離核打撃能力を強化する国防政策をとっていました。スナイダーは、このような抑止形態に問題があるとしています。

スナイダーは抑止形態を比較するため、ソ連が軍事行動をとるかどうかを考えるときに、(1)軍事的応答の確率、(2)応答の結果として相手が被ると期待し得る費用、(3)獲得領域の評価、(4)領域的目標達成の成功確率の4種類の判断材料があると想定しています。アメリカが懲罰的抑止を行う場合、ソ連は(1)の確率が一般的に小さく、つまり本当に戦時に報復を実施する確率を小さく見積もりがちになると考えられます。ただ、(2)の費用については報復を受けた場合のソ連の損耗が大きくなると予想されるため、それに応じて大きくなると考えられます。それでも、全体として見れば、(4)で示されるソ連が予想する成功確率は大きくなってしまうことをスナイダーは懸念していました。

拒否的抑止は懲罰的抑止とは逆の性質があります。つまり、拒否的抑止の場合、(1)の確率は大きくなり、アメリカが軍事的に対応することの信憑性が高まります。ただ、この場合は地上でソ連軍の進撃を防ぎ守る戦い方を予定しているので、核兵器が直ちに使用されるわけではありません。そのため、(2)の費用に関してソ連は先ほどよりも小さく見積もると考えられます。それでも、拒否的抑止に直面している潜在的な挑戦国は、以前よりも軍事的行動によって領域を獲得することに自信を持つことは難しくなると考えられるため、(4)の値は小さくなるはずだとスナイダーは考えました。スナイダーが主張していたのは、それぞれの抑止形態の欠点を利点によって補い合うことです。

アメリカがソ連の攻撃を抑止するために、核兵器を運用する航空戦力の役割を重視していましたが、スナイダーは東ドイツと西ドイツの国境地帯を超えてソ連軍が進撃を開始した場合、それを拒否できるようにするためには、西ドイツに大規模な陸上戦力を配備し、防衛線を支えることができなければならないと考えていました。1959年当時、そこには北大西洋条約機構の下で運用されることが予定されていた14個から15個ほどの師団を配備していましたが、師団として実質的な戦闘力を発揮できる部隊は10個師団にも満たないと指摘されており、ソ連軍に対して防御することは困難であることが予想されていました。このように、拒否的抑止は戦時において敵の進撃を阻む「盾」として機能するような戦力の構築が必要とされています。スナイダーは「拒否部隊の抑止効果は、主としてその規模、位置、そして機動力の程度によって変化するものである」と述べています(p. 34)。

「一般的に述べると、拒否的抑止と懲罰的抑止は敵の費用便益の計算に異なる影響を及ぼす。拒否的抑止は、軍事的な応答の確率が大きいことによって特徴づけられる性質があり、それは敵が戦果を得ることを阻止する効率により優れているが、その反面として敵に対して課す費用は相対的に小さなものになる。懲罰的抑止は、敵に非常に大きな費用を課すが、我が方の決意が不確かなものであり、敵が領域を獲得することを阻止する効率で劣っている」

(p. 38)

このような違いを理解すれば、スナイダーが拒否的抑止と懲罰的抑止を組み合わせることによって、アメリカ軍の態勢を見直し、より抑止の効果を向上させようとしていたことが理解できると思います。この問題は1950年代から1960年代にかけて西側で活発に議論されたものであり、抑止論の研究史の一部となっているものです。リデル・ハートの議論を紹介した核戦力は通常戦力の代わりにならない『抑止か、防衛か』(1960)の紹介も併せて参照してみてください。抑止論で部隊運用の重要性を指摘したミアシャイマーの議論を紹介している核戦力によらずに抑止することを目指す『通常戦力の抑止』の紹介も参考になると思います。

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