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メモ 冷戦の最初期に書かれた核戦争の戦略論『もう時間がない』(1946)の紹介

核戦略の分野でウィリアム・ボーデン(William Liscum Borden)の知名度はバーナード・ブローディに比べると劣っているかもしれません。少なくとも学部生向けの授業で彼の文献が取り上げられることは皆無に近いでしょう。ただ、研究史における彼の功績は決して小さなものではなく、核戦略の発展に関する見通しも的外れなものばかりではありませんでした。

ボーデンは冷戦が始まったばかりの1946年の著作『もう時間がない:戦略における革命(There will be no time: The Revolution in Strategy)』で核戦争における攻撃目標の選定、つまりターゲティング(targeting)の問題を分析し始めた先駆者と位置付けることができます。

もともとボーデンは第二次世界大戦でアメリカ陸軍航空隊の操縦士としてヨーロッパでの作戦に参加した経験がありました。そのため、1945年に原子爆弾が広島と長崎で使用されたことを報道で知ってからは、核兵器が航空戦略に大きな変化をもたらすと確信し、どのような対応が求められるのかを研究するようになりました。

『もう時間がない』を執筆した当時、核戦争は前人未踏の研究テーマであり、参考にできる学説はほとんど皆無でした。ボーデンは、ジュリオ・ドゥーエ以降に蓄積された航空戦の研究成果と、第二次世界大戦の技術革新を踏まえ、このテーマに大胆に挑戦したといえます。弾道ミサイルV2が登場して間もない時期だったにもかかわらず、ボーデンが核兵器を弾道ミサイルで運搬することが当たり前になると予見できたことは興味深いところです。

1945年に日本に対して使用された核兵器は、爆撃機で運搬され、攻撃目標の都市上空で投下されていましたが、ボーデンはヨーロッパでドイツがイギリスにV2で弾道ミサイル攻撃を繰り返していたことを知っており、それが航空機で迎撃することが不可能なほど高速で目標に到達することを知っていました。爆撃機を運搬手段とするのであれば、戦闘機で撃墜を図ることも可能ですが、弾道ミサイルが核攻撃で一般的に使用されるようになれば、それを食い止めることは極めて困難だと思われました。

したがって、核戦争で受け身になれば、国民に甚大な損害をもたらす恐れがあり、それは許容できる損害をはるかに上回ることも十分に想定されました。そこでボーデンは、核戦争を遂行する場合は主動の地位に立ち、敵を先制することが戦略的に重要だと主張しています。ボーデンは人口密集地や産業集積地に対する核攻撃は軍事的な意味が乏しく、それでは自国に対する敵の核攻撃の損害を限定できないと指摘しています。

ボーデンの考えでは、常に敵国の核兵器を減殺することを優先すべきであり、自国の核兵器をさまざまな基地、地下施設、あるいは海軍の艦艇に分散しておき、反撃能力を常時保持していなければなりません。彼の議論はまだあまり洗練されたものではありませんが、1964年にアメリカが採用した損害限定戦略の原型に類似しています。敵が保有する核兵器を可能な限り使用前に撃破し、味方の損害を軽減できるようにすることを目指している点で、ボーデンは損害限定戦略の考えを先取りしています。

ただ、ボーデンの議論の前提にあるのは抑止を維持することではなく、戦争を遂行することであり、この点で抑止戦略とは厳格に区別するべきでしょう。ボーデンの核戦争論は1960年に『熱核戦争論』を出版したハーマン・カーンに引き継がれており、彼も核戦争の過程でどのような軍事行動をとることが最適なのかを検討する必要があるという姿勢で研究を進めています。

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