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論文紹介 国家の能力ではなく、決意の強さが国際紛争の結果を大きく左右する

国家間の紛争の結果を考える場合、多くの人々は国家間の相対的な能力の優劣によって説明しようとしますが、これは必ずしも適切であるとは限りません。なぜなら、このモデルは優れた能力を持つ国家が、劣った能力を持つ国家を屈服させることを自明のことであると想定しているためです。歴史は、このような前提が疑わしいことを示しています。圧倒的な能力を持つ大国であっても、ベトナム戦争におけるアメリカの事例、あるいはアフガニスタン紛争におけるソ連の事例のように、敗退に追い込まれることがあります。たとえ戦争に至らない事例であっても、国際紛争で中小国が大国の恫喝に屈服しないことは、十分に考えられることです。

能力モデルに対する批判は古くから行われており、代替モデルとして決意の強さに注目するモデルが提案されています。この記事では、決意モデルの妥当性を裏付け、国際紛争の結果を考える上で決意が重要であることを示した1983年の論文「決意、能力、国家間紛争の結果、1816-1876」の内容を紹介してみようと思います。

Maoz, Z. (1983). Resolve, capabilities, and the outcomes of interstate disputes, 1816-1976. Journal of Conflict Resolution, 27(2), 195-229. https://doi.org/10.1177/0022002783027002001

国際紛争の結果を考える時に能力モデルが発揮する利点とは、その理論的な前提が直感的に理解しやすいことです。このモデルによれば、国家間で利害対立が生じ、紛争状態になった場合、その結果を決めるのは、国家間の能力の優劣であると想定します。つまり、優勢である国家が劣勢である国家を戦争によって打ち負かすにせよ、あるいは戦争に至らない紛争でとどまったとしても、屈服させることが可能であると考えられています。能力モデルをより詳細に調べると、脅威モデルと勢力移行モデルの2つのモデルに区分することができます。

脅威モデルでは、国家間で何らかの紛争が始まると、より有利な結果を得るために、まず能力の優位を追求すると考えます。例えば、軍事的優位をすでに獲得している場合、その優位が崩されないようにします。場合によっては、相手が実力をつける前に、攻撃に踏み切ることも考えられます。このモデルとよく合致するのは、1956年の第二次中東戦争の事例です。エジプトがチェコスロバキアと武器貿易で合意をまとめ、ソ連製の装備品の導入を開始したことを受けて、エジプトを敵視していたイスラエルは、それまで保持してきた軍事的優位を喪失することを恐れました。そのため、イスラエルはエジプトに対して開戦に踏み切っています。ただし、この事例ではアメリカが事後的に紛争に介入し、イスラエルを非難して、圧力をかけたことから、イスラエルはエジプトに大きな軍事的損失を与えた上で撤退しています。

勢力移行モデルは脅威モデルと異なるのは、国家の能力の変動をより長期的に考察し、例えば特定の装備品の取得の有無などを問題にはしないことです。勢力移行モデルは国家の能力が拡大する速さに注目し、この際に軍事的能力だけでなく、経済的能力も考慮に入れます。このモデルによれば、軍事的、経済的に能力を高める国家で、国際政治において現状に不満を持ち、現状変更を図る国家が戦争に訴えるようになると予測されます。このモデルで説明が可能な事例としては、戦間期におけるドイツの政策が挙げられます。ドイツは1933年以降に経済再建と軍備拡張を推進し、現状を打破する能力を準備した後に開戦に踏み切りました。第二次世界大戦の始まりだけでなく、19世紀のプロイセンの台頭や、20世紀初頭における日本の台頭といった歴史的事例にも適応可能なモデルです。

能力モデルとは異なる決意モデル(resolve model)では、能力ではなく、意図を重視しています。このモデルを理解するためには、1945年に第二次世界大戦が終結してから、核の時代が始まり、戦争の烈度を制限する限定戦争の戦略思想が発達したことを知っておくことが重要です。限定戦争では、あらゆる能力を無制限に行使することが許されません。なぜなら、戦争で使用する能力を無制限に拡大し、エスカレーションが進行すると、核兵器の使用を伴う全面戦争に事態が発展する恐れがあるためです。全面戦争となって核兵器の応酬が始まれば、もはや双方に許容困難な損害が出ることは確実であるため、国際的紛争の規模を注意深く管理することが行われます。

このような状況下で選択すべき戦略の分析が進んだのが1960年代であり、トーマス・シェリングハーマン・カーンなどの業績から、戦争を戦力の衝突として捉えるのではなく、どれほどの決意があるのかを競い合う交渉過程として理解する視点が有効であることが分かりました。決意モデルは、冷戦以降の国際紛争にしか適用できないわけではありません。このモデルでなければ説明が困難な歴史上の事例は決して少なくありません。1936年にドイツが非武装地帯となっていたラインラントへ軍隊を進駐させ、駐留を開始させた事例は能力モデルでは説明が困難であり、決意モデルが必要となります。当時、フランスにはドイツより優れた軍事力がありましたが、第一次世界大戦のような事態になることを恐れていました。そのため、フランスとしてドイツの軍事行動に毅然とした対応をとることができず、ついに開戦は見送られました。

著者は、これら2種類のモデルにどのような実証的妥当性が認められるのかを比較するために、それぞれのモデルから検証可能な仮説を導き出しています。能力モデルによれば、国家間の紛争において開戦した侵略国が勝利を収める確率は、侵略国が持つ能力が標的国の能力に対してどれほど優勢であるのか、その比率によって決まると考えられます。ここで述べている能力は、軍事支出と軍事要員で測定されます。

しかし、決意モデルは侵略国が能力で標的国に優るとしても、侵略国の勝率が高いとは限らないと考えるので、まったく異なった仮説が導き出されます。その仮説とは、国家間の紛争において開戦した侵略国が勝利を収める確率は、侵略国と標的国の決意の強さによって左右されるものであり、それは敵対行為の強度や、関与した事件の数によって測定されます。敵対行為の強度に関しては、最大でどれほどの敵対行為をとったのか、また平均してどの程度の敵対行為を維持していたのかで測定しています。1816年から1976年までに発生した164件の国際的な紛争から無作為に選び取った標本を使用し、どちらのモデルから導き出した仮説の方が支持されるのかをプロビットモデルに基づく回帰分析で検証しました。その結果、国家間の能力は国際紛争の結果とは関連がありませんでした。むしろ、より強い決意を示し、断固とした対応をとることができる国家が国際紛争において勝利を収める可能性が高いことが明らかにされています。

著者の分析結果によると、1905年の日露戦争、1919年から1920年のポーランド・ソビエト戦争、1948年、1967年、1973年の中東戦争、1965年のインド・パキスタン戦争、そして1965年から1973年まで続いていたベトナム戦争は、決意モデルの重要性をよく示している事例であり、いずれも弱者が強者を打ち負かした戦争です。国家間の能力、特に軍事力は紛争の結果を有利にするものであると考えられてきましたが、著者は自身の分析で能力の格差が紛争の結果と関連が見出せなかったことは重要な研究成果であると位置づけています。このような結果になった理由について、著者はあまりにも能力の捉え方が狭かった可能性があると読者に注意を呼び掛けており、広義の国力で能力を測定する場合、結果がまた違ってくる可能性があることを認めています。また、国際紛争の結果として、どちらが勝者となり、どちらが敗者になったのかを判別する方法は研究者によって異なることも考えられます。

こうした限界はありますが、国際紛争における国家の決意が重要であることは確かです。もし国家が他国の圧力に押されて自国の立場を取り下げ、妥協する姿勢を示すことになれば、それは相手から弱気になっていると認識される恐れがあり、より不利な条件を押し付けられるリスクがあります。これは、前回の記事で紹介したケチケメート(Kecskemeti)が議論した無条件降伏の議論の妥当性にも一定の限界があることを示しているでしょう(戦略理論で降伏の論理を説明したStrategic Surrender(1958)の紹介)。彼が述べたように、確かに無条件降伏は極端な要求ではありますが、それを国家としての立場だと明示したならば、それを軽々しく取り下げるべきではありません。そのような曖昧さは敵に弱さと見なされる危険があるためです。交渉上の立場を弱めることがないように合意に辿り着くことは、今も昔も変わらない外交のジレンマです。

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