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なぜ一つの戦略で、抑止と防衛を同時に達成することが困難なのか?

軍事学で取り上げられる問題の多くは、トレードオフ(二律背反)の問題として捉えることができます。トレードオフとは、一つの目標を達成しようとすると、他の目標を達成することができなくなる状態をいいます。例えば距離が離れたA地点とB地点に味方の部隊を配置する場合、どちらにどれほどの戦力を配置すべきかを考えなければなりません。これは戦術の領域における典型的なトレードオフの問題です。

これと同じような問題が戦略の研究でも見られます。達成すべき目標が抑止であるか、あるいは防衛であるかによって、戦略的に最適な構想が違ってくるためです。Shimshoni(1988)の研究を取り上げながら、この論点について解説してみましょう。

Jonathan Shimshoni. 1988. Israel and Conventional Deterrence: Border Warfare from 1953 to 1970. Ithaca: Cornell University Press.

この研究の目的は、核戦力ではなく、通常戦力で抑止を実現するための戦略を明らかにすることにあります。著者は抑止が有効であるためには、相手から攻撃を受けるかもしれない側が、潜在的な侵略者に損失を与えることなく、自らの防衛能力を示すことが不可欠であることを確認しています。

「抑止とは特定された強制の事象(coercive phenomena)の一種である。つまり、それは防御者が自らの能力を黙示、暗示、明示し、または見せつけることで、相手に暴力的な行動を実行し、あるいはそれを拡大しようとする意図を思いとどまらせることである」(Shimshoni 1988: 5)

もし「防衛者と侵略者のいずれもが直ちに核兵器を使用できない状況」を想定すると、危機的な状況で相手を抑止する手段は核戦力ではなく、通常戦力です(Ibid.: 2)。この際に、抑止を目指すため、自国の防衛能力を相手に認識させようとするのであれば、自国の戦力や態勢に関する軍事情報を相手に提供することが外交上必要です。

その軍事情報が信頼に足るものであればあるほど、侵攻に伴って支払うことが予想される費用は増大し、戦争の先行きに不透明感が増すでしょう。これらの判断材料を相手に与えれば、開戦を思いとどまらせる効果が期待できます。しかし、もし軍事情報を提供しても相手が開戦を思いとどまらなかったとすれば、自国の軍事情報を相手に提供したことが、かえって自国の防衛活動に不利となる可能性もあります。このジレンマを著者は次のように述べています。

「防衛者にとっては大きなジレンマである。抑止するためには、防衛者は事後的に優勢であり、また自らに抑止力があるように見せなければならない。しかし、実際に優勢な立場に立つためには、自らの能力のほとんどを秘密にしておく必要があるのである」(Ibid.: 18)

したがって、危機的な状況の中で戦略を選択する際には、達成すべき目標が抑止なのか、防衛なのかを決めることが重要です。実際には開戦直前まで抑止を完全にあきらめることは難しいので、著者は間違った情報を伝達する欺騙(deception)を組み合わせることで、抑止を図ろうとする可能性を指摘しています。

本来であれば、抑止のためには相手に信頼できる正確な軍事情報を提供することが有効なのですが、戦時に移行した後で自国に不利益となることを避けるために、自国の防衛能力の実態を秘匿し、誇張するのです。

「通常戦力のダイナミックな特性を考慮するのであれば、侵略者と防衛者の双方は、相互に敵情を把握できない可能性があることに応じ、戦力の編成、教義、戦術を絶え間ず変化させようとする傾向を見せる。情報の不正確さは避けがたいものになるが、これは慎重を期すために必要な情報を得ようとしたとしても、相手が欺騙を実施するためである」(Ibid.: 18)

欺騙は抑止を図りつつも、防衛の目標を追求する戦略として理解できますが、もし相手が情報活動によって不正確な情報ばかりを提供されていることに気が付けば、かえって自国の攻撃能力に自信を深めるかもしれません。相手を欺くことは防衛において有効な戦略ですが、抑止の面では失敗のリスクを拡大させることを覚悟しなければなりません。

戦略の目標として、抑止と防衛が必ずしも両立するものではないことは、危機交渉の難しさを理解する上でとても大事なポイントです。どちらを優先すべきかは、戦略よりも上位に位置する政策に基づいて決めるべき事項でしょう。

見出し画像:U.S. Department of Defense

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