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戦う決意を見くびられると、戦争のリスクが高まると論じた『戦争の起源と平和の維持』の紹介

古代ギリシアの戦争史の研究で知られる歴史学者ドナルド・ケイガン(Donald Kagan)の『戦争の起源と平和の維持(On the Origins of War and the Preservation of Peace)』(1995)は、歴史的アプローチを駆使して戦争の原因を探求した研究です。

ケイガンはこの著作でペロポネソス戦争ポエニ戦争第一次世界大戦第二次世界大戦キューバ危機といった事例を定性的に研究し、いずれの場合でも当事国の指導者が場当たり的な対応に終始することが戦争の発端となるのではないかと論じています。

Kagan, Donald. (1995). On the Origins of War and the Preservation of Peace. New York: Doubleday.

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ケイガンの研究の特徴は、戦争が発生する経緯を各国の当事者の視点から記述し、それぞれの意思決定の過程でさまざまな思惑や心情が影響を及ぼすことを指摘したことでしょう。

政治学では、戦争の原因を説明するために、国際システムの構造や国内の政治システムの特性で説明する理論が数多く提案されていますが、その多くはケイガンが注目するような心理的要因を考慮に入れていません。ケイガンが著作の中で取り上げた事例は時代や地域で偏りがありますが、いずれも詳細な事例研究に必要な史料が豊富に蓄積されており、重厚な記述ができます。

ここでは一例として第4章の第二次世界大戦に関する事例研究の成果を紹介します。

ケイガンが見たところ、第二次世界大戦の根本的な原因は、平和を維持するために必要な軍事的、外交的な努力を放棄し、国際連盟のような不完全なメカニズムに漠然とした期待を抱いていたことにありました。本来であれば、平和を維持するには、国家間の軍事力の優劣を見極め、勢力均衡を作り出すことが必要です。

しかし、1933年にドイツでアドルフ・ヒトラーが政権を掌握し、再軍備を着実に進める中でも、イギリスやフランスには、新たな脅威に断固として立ち向かうという決意が欠けていました。両国に平和を維持するための決意が欠けていたことが、結果として第二次世界大戦の勃発を避け難いものにしたとケイガンは考えています。

当時のイギリスの政治家の間には、戦争を回避するためには忍耐が必要であるという考え方が広がっており、またそれが知識人の間でも支持されていました。悲惨な第一次世界大戦を経験した人々は、武力によって平和が維持できるという思想を嫌悪するようになっており、すでにイギリスは1920年代から軍備の縮小を推進していました。

フランスはイギリス以上にドイツの脅威を深刻なものとして受け止めており、軍備の必要を認識していましたが、やはり第一次世界大戦の経験がトラウマとなり、軍隊の運用においては攻撃を避け、防御に徹するべきであるという考えが支持されていました。そのため、フランスは自らの軍備を国境地帯に張り付かせ、一切の攻撃的な作戦運用を拒絶するようになっていたのです。

平和を維持する役割を担うべきイギリスとフランスが、いずれもドイツに対して積極的な軍事行動に出ることがないと知っていたからこそ、ヒトラーはドイツ軍を拡張して1936年にラインラントへ軍隊を進駐させ、1938年にオーストリアを併合し、またドイツ系の住民を保護する名目でチェコスロバキアを支配下に置くことができました。

このようなケイガンの見解は、当時のドイツ軍の内部でイギリスやフランスが攻撃を仕掛けてくれば、敗北は避けられないという懸念が出されていたことからも裏付けることができます。ヒトラーがチェコスロバキアを解体してドイツの支配に組み入れようとしたとき、チェコスロバキアがフランスと相互防衛を約束する条約を結んでいたことが問題となりました。当時のフランスはイギリスの援助がなければドイツと戦争を始めるつもりはなかったので、チェコスロバキアの運命はイギリス政府の出方にかかっていたともいえます。

当時、ドイツ陸軍の参謀総長ルートヴィヒ・ベックは覚書の中で、イギリスとフランスがその潜在的な戦力をもってドイツを攻撃すればドイツが敗北することは不可避であるという見積りを書き残しています。ドイツ軍の首脳部が懸念していたにもかかわらず、ヒトラーが要求を押し通すことができたのは、彼はイギリスとフランスが大した戦意を持っていないと見透かしていたために他なりません。

こうしたケイガンの解釈は、国際社会の平和と安定を維持するためには、侵略的な政策決定者に侮られないことが重要であることを示しています。他の事例と比較してみても、ケイガンは第二次世界大戦は「不必要な戦争」であったというチャーチルの見方は正しかったと考えており、平和を維持したいのであれば、こちらにも戦争の用意があることを相手に認識させることが賢明な方法だと論じています。

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