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抑止は必要だが、決して完全なものではない『今こそ抑止力を(Deterrence Now)』の紹介

1945年、アメリカは日本に対して初めて核兵器を使用した攻撃を実施しました。その凄まじい威力を認識した研究者は、将来の戦争でも核兵器が使用される危険があることを認識し、未然に核攻撃を思いとどまらせる抑止を重要な研究テーマと位置付けてきました。

当初、抑止の研究では理論的な分析が主流でしたが、冷戦が終結してからは計量的、定性的な分析も増加し、その詳細なメカニズムが解き明かされつつあります。その研究成果を集約したパトリック・モーガンの『今こそ抑止力を(Deterrence Now)』(2003)は、これから抑止を学ぼうとする方にとって必読の一冊です。

Morgan, P. (2003). Deterrence Now. Cambridge University Press.

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まず、本書は用語を整理するところから始まっています。抑止(deterrence)とは、ある結果が生じることを恐れさせることによって行動を思いとどまらせることをいいます。抑止とよく似た用語に強制(compellance)があり、これは威嚇によって、それまで実施していたことを止めさせる、あるいは無理やり実施させることをいいます。抑止は始まっていない行動を思いとどまらせることで成功しますが、強制が成功するためには、それまでとは異なる行動を採らせなければならないので、より難しいと想定されています。ただ、この二つは重なり合う部分が多いので、著者は厳密に区別しない立場をとっています。

抑止の議論を整理するためには、抑止論(deterrence theory)抑止戦略(deterrence strategy)を区別することが重要です。この二つを区別していない論者は、抑止論にさまざまなバリエーションがあるかのように論じることがありますが、これはあまり正確な理解ではありません。著者は、抑止論はあらゆる抑止戦略に根拠を与えるために構築された理論であり、以下の6つの要素から構成されてきたと説明しています。

1 深刻な紛争(severe conflict)
2 合理性の仮定(the assumption of rationality)
3 報復的脅威の概念(the concept of a  retaliatory threat)
4 許容不能な損害の概念(the concept of unacceptable damage)
5 信頼性の観念(the idea of credibility)
6 安定性の問題(the problem of stability)

抑止論は、冷戦時代にアメリカとソ連が全面的な核戦争に突入する可能性があると想定して構築された理論です。最悪の事態を避けるためには、抑止が一日も欠かさず有効であることが必要であり、誰かが気まぐれに、あるいは真剣に核攻撃を検討し始めたときに、それを確実に思いとどまらせる態勢にあることが求められます

著者は、抑止の概念を理解するためには、平素から常時発動している抑止を一般抑止(general deterrence)と呼び、すでに特定の国が武力行使の標的となる国を選び出し、攻撃の準備を進めている際に発動される緊急抑止(immediate deterrence)と区別することを提案しています。これは抑止戦略がどれほど抑止に役立っているのかを評価するときに便利な区分であり、ある大国がどの国よりも大きな軍事力を保有し、世界各地で兵力を機動展開できる態勢を維持することは一般抑止に大きく寄与すると考えられますが、攻撃の兆候をいち早く察知できる早期警戒システムを整備し、重要な情報を迅速かつ確実に国家の首脳部へ通報し、部隊を短時間のうちに作戦行動が遂行可能な態勢に移行できるだけの即応性がなければ、緊急抑止を期待することはできません。

抑止論の重要な基礎は抑止する側も、される側も合理的な意思決定者であるという仮定です。抑止論の研究領域では、それぞれの行為主体は選択可能な行動の費用と便益、そしてリスクを計算し、自らの利得を最大化する行動を選択する者であると理論的に想定されていました。これは抑止論が抑止戦略という処方箋を出すために構築された問題解決型の理論として出発したことを反映しています。少なくとも合理的な行為主体を想定することによって、報復の可能性を伝えた際に、相手の決定に影響を及ぼすことができると考えられます。ただし、ここでは信頼性の問題に直面します。相手に報復する可能性があることを伝えたときに、相手が報復の可能性を信じなければ、抑止は成功しないでしょう。そのため、自国の報復に信頼性を持たせることが大きな課題となります。

もう一つの課題は安定性であり、この概念も抑止論の重要な構成要素でした。ある潜在的な侵略者を抑止したいので、自国は報復の準備を進めていると想定しましょう。自国の準備を目撃した潜在的な侵略者は、自国が攻撃を仕掛けてから報復してくるのではなく、先制攻撃を加えようとしていると誤認するかもしれません。すると、自国から先制攻撃を受けないうちに、急ぎ攻撃を仕掛けた方がよいと考えるかもしれません。抑止は戦争を未然に防ぐことを目的としていますが、このような場合には戦争を不可避なものにするかもしれません。この抑止の安定性の問題は、安全保障のジレンマ(security dilemma)のバリエーションの一つとして理解することも可能です。

以上が抑止論を構成する基本的な考え方ですが、冷戦が終結し、核戦略の運用の実態が明らかになるにつれて、抑止論と抑止の現実に大きな乖離があることが分かってきたことを著者は説明しています。例えば、冷戦期のアメリカとソ連の首脳部は、軍隊を高度な警戒態勢に置くことが何を意味しているのかを正しく理解してはいませんでした。それどころか、政策決定者は危機に直面した際には合理的な費用と便益を計算して行動しておらず、感情的、直感的に行動することの方が一般的でした。アメリカ軍の核戦争計画である単一統合作戦計画(Single Integrated Operational Plan, SIOP)は大統領の意向を必ずしも反映した内容ではなく、アイゼンハワー大統領はその計画の非現実性に呆れたほどでした。1980年、アメリカの戦略航空軍団司令部で使用されていたコンピューターの誤報により、爆撃機が緊急発進し、あと少しでソ連を攻撃する恐れがあったことも紹介されています。

このような冷戦の歴史を踏まえれば、冷戦を通じて核戦争が起こらなかったことは必然的だったというよりも、偶然的だったように思えてきます。ここから、さまざまな知見が得られますが、抑止論にとって特に重要な意味を持つのは、抑止する側も、抑止される側も決して合理的な行為主体ではなかったということです。著者が検討したところ、挑戦者の侵略に対する動機の強さは、しばしば抑止論で見過ごされてきました。しかし、挑戦者が侵略に強い動機を持っている場合、抑止は予期しない結果を引き起こす恐れがあります。抑止は従来の抑止論で想定されていたよりも、ずっと不完全なものであり、たとえ一時的に成功したとしても、同じメカニズムが恒久的に発動するとは限らないと著者は警告しています。

冷戦が終結して以降、核保有国は大量破壊兵器の重要性を低下させ、実質的な軍縮の動きを見せてきました。大量破壊兵器の拡散を防止する制度の構築も着実な前進を示しており、ミサイル防衛の普及も抑止の安定性を向上させる要因になると考えられています。あらゆる抑止の態勢がまったく信頼できなくなったというわけではありません。結論で著者は次のように書いています。

「私が抑止の研究に取り組んできたのは、次のような大きな懸念があったためである。抑止は私たちの安全保障の重要な要素であり、それを理解すること、可能な限り実践することが極めて重要なことであり続けている。しかし、抑止を理解するということは、抑止というものが本来的に不完全なものであるという事実を目の当たりにすることを意味している。抑止は一貫性をもって機能するものではない。それを完全に信頼できる外交の道具になるように修正を加えることも、また作り替えることも、十分にはできないのである。したがって、抑止はより多様な政策手段の一部と位置付けた上で、注意深く使用しなければならない」(p. 285より評者訳)

参考文献

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