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核戦力によらずに抑止することを目指す『通常戦力の抑止』の紹介

抑止(deterrence)とは一般に自国に軍事的能力があることを知らせることで、他国が意図する先制攻撃などの軍事行動を思いとどまらせることをいいます。歴史的には核戦力の関連で使われるようになった概念でしたが、今では通常戦力も抑止の手段として位置づけられています。

国際政治学で通常戦力による抑止の研究に関心が集まったのは、1980年代に入ってからであり、米国の政治学者ジョン・ミアシャイマー(John Mearsheimer)の『通常戦力の抑止(Conventional Deterrence)』は先駆的な分析でした。今回はこの著作を紹介してみたいと思います。

John. J. Mearsheimer. 1983. Conventional Deterrence, Ithaca, N.Y.: Cornell University Press.

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ミアシャイマーは核戦力だけが抑止を行う手段ではなく、通常戦力も抑止に寄与してきたと論じています。そもそも、抑止の本質は、相手国の政策決定者に、自国に対する軍事行動によって得らえる利益を大きく上回る損害を被ると思わせることで、未然に戦争行為を防ぎ、自国の安全を確保することでした。このことをミアシャイマーは次のように述べています。

「軍事行動の結果に対して、潜在的な攻撃者が感じる恐れこそが、抑止の本質である。より具体的には述べれば、抑止とは軍事行動に伴う費用と危険の効果であり、攻撃者が軍事行動の成功率を低く、また目標の達成に必要な費用を高いと確信している場合に最も効果を上げやすい」(Mearsheimer 1983: 23)

この抑止の考え方は政治学の研究で広く用いられている合理的選択理論の立場とも合致します。ある攻撃的な政策決定者が実際に戦争を始める決断を下したということは、少なくともその政策決定者の立場から見れば、戦争を始めることで将来的に期待されるリターンが、見込まれるコストを上回ったことを想定することができます。つまり、「非常に一般的に言えば、戦争は攻撃が防御に対して優位を持つ時に最も発生しやすいと考えられる」のです。

したがって、通常戦力で抑止を成功させたいならば、攻撃を図る相手の意思決定を支える根拠、つまり戦争の結果として期待されるリターンを大きく上回るコストを支払わなければならない軍事的リスクを認識させるように、防御する側が通常戦力を活用しなければならないのです。

次の問題は、それを実現する方法を明らかにすることですが、ミアシャイマーは3種類の方法を区別して検討しています。一つ目の方法は、自国が保有する通常戦力の規模を、抑止したい他国の保有する通常戦力の規模より大きくなるように拡張することです。このように数量化された基準には客観性があり、定量的な分析も可能であるという利点があります。ミアシャイマーは攻撃部隊が任務を完遂するに必要な戦闘力は、防御部隊の戦闘力の3倍以上であるとする古い戦争の経験則も紹介しています。

二つ目の方法は、自国の通常戦力の技術効率を抑止したい他国の通常戦力のそれよりも上回るようにすることです。通常戦力の規模が同等か、それ以下であるとしても、使用する武器や装備の性能で優位に立っていれば、結果としてより大きな戦闘力を発揮できると考えられるので、これも抑止の成功に寄与すると考えられます。特定の装備は攻撃と防御の均衡を変化させる効果を持つという説もあり、この点についてもミアシャイマーは検討しています。

三つ目の方法は、通常戦力を運用する戦略を適切に選択するというものです。通常戦力の量や質を操作するのとは異なり、部隊を配置し、機動させる方法を適切にすることによって、その実質的な戦闘力を増大させることが可能です。ミアシャイマーは大まかに電撃戦略消耗戦略に類型化して戦略を分析しています。電撃戦略は機動力の発揮を重んじており、敵部隊を物理的に破壊することよりも、戦略的包囲で敵部隊を後方から遮断してしまうなど、戦意を喪失させる心理的効果を追求します。反対に消耗戦略は火力の発揮を重んじており、敵部隊の人員、武器、装備を物理的に殺傷、破壊する戦略です。

この著作でミアシャイマーが主張したことは、これら3種類の方法のうち、最も重要なのは通常戦力の数的規模や技術効率ではなく、軍事戦略だということです。注目されるのは、電撃戦略を採用する国家は、抑止戦略を採用する国家に比べて、はるかに抑止が難しいことを述べている箇所です。

「政策立案者は戦場で部隊の運用方法を選択し、攻撃者が防御者と交戦した時に予想される状況の推移を考える。つまり、潜在的な攻撃者は、自らの能力だけを考えるのではなく、防御者の能力や、戦闘が発生する地域の特徴も考えなければならない」(Ibid.: 63)
「もし潜在的な攻撃者が、敵よりもはるかに大規模であり、しかも電撃戦を遂行することが可能だと信じているなら、危険があったとしても、抑止はほぼ確実に失敗する。攻撃者の電撃戦略が失敗したとしても、依然として大きな数的優勢を保持している」(Ibid.: 65)

ミアシャイマーの理論によれば、第二次世界大戦(1939~1945)を防ぐことができなかった原因も、通常戦力による抑止が難しい戦略をドイツが採用したためでした。当時、ドイツ軍の戦い方は機動的な兵力運用によって迅速に敵の後方を遮断するというものであり、ミアシャイマーが考える電撃戦略そのものでした。これに対抗するには、抑止する側、つまりイギリスやフランスも電撃戦略を採用する必要がありましたが、フランスは消耗戦略に固執していました。

ミアシャイマーは電撃戦略は目まぐるしく状況が流動する中で兵力を運用しなければならないために、消耗戦略よりも不確実性が大きくなることや、指揮官に高い能力を求めることにも留意しています。しかし、電撃戦略は消耗戦略に比べて高い戦闘効率を期待することが可能であり、作戦に使用する兵力や装備の効果を大きく増幅することができます。電撃戦略という用語を使うことは避けていますが、ミアシャイマーの議論は後にビドルの研究でも取り上げられており、そこでも機動的な作戦運用が高い戦闘効率をもたらすことが実証されています(兵力や武器ではなく、運用が勝敗を決める最も重要な要因である:『軍事力』の紹介)。

ミアシャイマーの議論に戻ると、彼は自らの研究成果を踏まえ、1980年代のヨーロッパでソ連軍の侵攻を抑止するための条件について考察しています。当時、ヨーロッパでは東西の緊張状態が高まっており、ソ連軍が西ヨーロッパの防衛線を突破して深く後方に進出してくる可能性が懸念されていました。このような戦略を採用する相手を抑止することは難しいものの、ミアシャイマーとしては米国としても通常戦力の運用を適切にすることができれば、ソ連軍の電撃戦を開戦当初に頓挫させ、消耗戦に持ち込むように戦局を誘導することで、抑止の有効性を高めることが可能だと主張しています。

通常戦力による抑止が重要であること、そして通常戦力の抑止効果は、その運用方法によって変化する可能性があることは、今や広く研究者に認められているところです。国際政治学の研究では、戦争の発生リスクを判断する際には、各国の軍事バランスを質や量で判断することが一般的ではありますが、より厳密な判断が必要な場合は各国がどのような構想で軍隊を運用しようとしているのかを知っていることが欠かせません。

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