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論文紹介 中国が台湾に仕掛ける認知戦はどのようなものか?

認知戦(cognitive warfare)とは標的とする聴衆となる個人や集団の認知を操作し、その思考や行動を制御することを目的とする活動です。今日の国際環境で注目を集めている概念の一つであり、中国やロシアがメディアを通じて、組織的な認知戦を遂行していると考えられています。認知戦はハイブリッド戦(hybrid warfare)の中心的な要素でもあるため、これを分析することは安全保障研究において重要なテーマです。以下の論稿は、特に中国が台湾に行っている認知戦の実態を調査した研究になります。

Hung, T. C., & Hung, T. W. (2022). How China's cognitive warfare works: A frontline perspective of Taiwan's anti-disinformation wars. Journal of Global Security Studies, 7(4), 1-18. https://doi.org/10.1093/jogss/ogac016

中国は以前から台湾統一を実現するため、政治的、経済的、軍事的な手段を組み合わせていました。そのため、認知戦は中国の対外政策において完全に新しい要素とはいえません。国際社会や台湾社会の世論を誘導するため、計画的に情報を発信することは、建国当初から行ってきました。しかし、この論稿の著者らはその手法が最近、より複雑化したと考えており、また一定の有効性も示されていると注意を呼び掛けています。その手法を著者らは4種類に区分しています。

第一に、中国は台湾が独立を追求した場合、武力行使も辞さないという姿勢を繰り返し表明することによって、台湾の人々に対して心理的な圧力をかけるようになっています。台湾の世論調査では、台湾が独立を宣言すれば、中国が武力攻撃に踏み切ると考える割合が増加する傾向にあることが示されています。2017年の時点で、そのように考える人は41.3%でしたが、2020年には61.8%に増加しました。この変化は、武力を用いた威嚇に信憑性が付与されていることを示唆しています。

第二に、中国は経済的・社会的手段を通じて台湾が中国に依存を深め、中国に従わざるを得なくなるように誘導しています。中国と台湾の交流事業はこれまでにも行われていましたが、近年の展開としてメディアの関係者や芸能人を中国に招待し、政治的な教育を行った上で、中国市場へのアクセス、収入と引き換えに、台湾の独立を支持してはならないと説得するようになったことが注目されています。これは中国が相互理解ではなく、台湾社会の内部に中国の協力者を獲得しようとしていることを示しています。台湾の裁判所ではスパイ事件で、このような交流事業をカバーとして利用したことを指摘し、中国が台湾における協力者を獲得しているという司法判断が示されたこともあります。

第三に、中国は宗教的干渉を通じて中国の思想を台湾で拡散させることを試みているとも指摘されています。これは中国の認知戦であまり知られていない要素です。台湾には、中国沿海部を中心に信仰される女神、媽祖を信仰する道教の一派があり、台湾の人口のおよそ7割がこの信仰と関わっていると見られています。宗教活動を利用する手法としては、中国と台湾の歴史的、文化的な一体性を強調しており、台湾の世論を平和統一を支持するように誘導しようとしています。著者らは、この中国の手法はロシアやトルコの事例と比較可能であるとしつつも、ロシアやトルコの事例とは異なり、中国のエリートは国内において媽祖信仰にまったく帰依しておらず、あくまでも認知戦の手段として利用していることが特異であるとも指摘しています。

第四に、ウェブ上で偽情報を拡散させる活動にも力を入れるようになっています。中国が注力しているのは、台湾の失策を強調し、中国の優位を印象付けることです。著者らが注目しているのは、近年の中国のコンテンツ・ファームが、有用性のある情報の中に政治的メッセージを埋め込む手法を発達させていることであり、検索エンジンGoogleで上位に表示されるように内容が最適化されています。そのため、意識しないうちに中国寄りの情報に接触する頻度を上げることで、それを閲覧した人々の認知を操作しようとしています。

中国の認知戦の基礎にあるのは、特定の態度を形成するため、繰り返し台湾の聴衆に刺激を与えるという手法です。ある一定の方針に基づいて設計された情報刺激を繰り返すことで、意識的、無意識的に聴衆の行動を操作可能なものに作り替えることを目指しています。このようなメカニズムは、すでに多くの民間の企業が行っているプロモーションと基本的に同じものであり、一定の成果を上げていると著者らは考えていますが、同時に限界もあるとも指摘しています。

これは台湾の人々が中国では厳格な情報の統制が行われており、人権保障に問題があることが共通の知識となっているためだとされています。したがって、台湾の人々が中国の公式見解を鵜呑みにすることはありません。ただし、中国は台湾において政府に対する不信感を煽り、社会を分断させるような情報を拡散させており、これは一定の成果が出ています。著者らは否定的プロパガンダの特性として、肯定的プロパガンダよりも聴衆の感情に対して直接的に訴求できるように設計されているためだと説明しています。

著者らは今後、中国はこれまでの手法をさらに発展させてくることを予想しています。人工知能の技術を用いた個人最適化は特に警戒すべき可能性であり、また欧米に対する認知戦も拡大していくと予想されています。このような動きへの対策として、中国の影響力をいかに可視化していくかが重要であり、同時に台湾の個人が認知戦の環境に適応できるように、批判的思考を強化するような教育努力の充実させなければならないと考えられています。こうした取り組みは、日本の安全保障においても必要とされるでしょう。

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