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なぜ情報分析で思考の癖を自覚しておくことが必要なのか?

真に有意義な情報を獲得するためには、自身の先入観を排し、客観的な観察を行って、明確な根拠に基づく論理的な思考を進めることが重要です。しかし、人間の認知能力には多かれ少なかれ限界があり、また情報資料の評価や判定を誤らせる思考の癖に惑わされることも少なくありません。

アメリカの中央情報局(CIA)で情報活動に従事したリチャード・J・ホイヤー(Richards J. Heuer)は『情報分析の心理学(Psychology of Intelligence Analysis)』(1999)で情報分析の実務で注意を要する思考の癖、認知バイアスにどのようなものがあるのかを解説しています。

Heuer, R. J. (1999). Psychology of Intelligence Analysis. Center for the Study of Intelligence, Central Intelligence Agency.

著者は情報分析の当事者は、自分自身が依拠する推論の過程を自覚し、その限界を理解しておかなければならないと主張しています。情報収集の努力によって必要な情報資料を確保することはもちろん重要なことですが、現実に十分な情報資料が集まることはほとんどなく、しばしば内容に欠落がある情報資料や、あるいは内容に矛盾がある情報資料で対処しなければならないためです。

このような場面で自分の判断力を過信することは危険です。曖昧で複雑な情報資料に対処しようとすると、認知バイアスが作用し、頭の中の情報処理が歪められるためです。これは対処しようがない問題ではなく、著者は「認知バイアスは、ある判断に対する感情的、知的な要因から生じるのではなく、情報を処理するための潜在的な思考の手続きから生じる」と述べています(p. 111)。つまり、認知バイアスの働きには一貫性があるので、意識的に対策を講じておけば、その影響を抑え込むことが期待できるのです。

著者は情報分析の業務で実際に直面する典型的な問題として、情報源が不確かな情報資料の価値をどのように判定するかという問題を取り上げています。

「人間の思考は、入り組んだ確率的関係を扱うことが難しいので、そのような情報を処理するための負荷を減らすために、人々は単純な経験則を活用しようとする傾向がある。正確性と信頼性が不確かな情報資料を処理する場合、分析者は単純なイエスかノーのどちらかで判断する傾向がある。つまり、分析者がその証拠を受け入れないのであれば、完全に拒絶する傾向があり、彼らの思考においてもはや何の役割も果たさなくなる。その証拠を受け入れるのであれば、その正確性や信頼性に関する判断が確率に依存している性質を無視し、手放しで受け入れる傾向がある」(p. 123-4)

このような認知バイアスに対応するためには、利用できる証拠が完全に信頼できるという想定に基づいて、どのような事象が発生するのかを予測し、それが現実に発生する確率を正確性と信頼性の低さに応じて引き下げるという戦略が有効です。つまり、無意識のうちに不確実性を無視する傾向を受け入れた上で判断を下してから、判断の根拠になった証拠の正確性、信頼性の低さに応じて判断が実際に現実と合致している確率を95%、50%などと引き下げるのです。初歩的なテクニックの一つにすぎませんが、これだけでも曖昧な状況で白黒をはっきりさせたくなる認知バイアスに対処する方策として効果が期待できます。

確率的思考が情報分析で認知バイアスに対処する上で重要であることが分かりましたが、それをどのように推計するべきなのでしょうか。著者によれば、ある事象の確率を判断するときに、人間は自分の記憶の中から手がかりを探します。そして、それに類する事象を思い出し、あるいは想像することが容易であればあるほど、人はそれが起こる確率を高く見積もるようになるのです。これは多くの人々が生きていく中で自然と身に着ける利用可能性バイアスであり、ほとんどの場面で上手く機能しています。実際にその事象を自分で観察した頻度が高まるほど、思い出すことは容易になるはずなので、思い出すことの容易さによって、発生の確率を高く見積もることで、おおむね妥当な判断が可能なのです。

ただし、発生する頻度が極めて低いにもかかわらず、暴力的な事件や衝撃的な事件であったために、記憶によく定着している場合、実際よりも発生する確率を過大に予測する可能性があります。逆に、あまり強い印象を与えない出来事が高頻度で起きていても、思い出すことが難しいために、発生する確率を過小に予測することも考えられます。この種のバイアスは、過去に類例がない大きな変化を予測する上で大きな障害になる可能性があり、著者はCIAで働いていたときの経験を踏まえて次のように述べています。

「ソビエト連邦の崩壊を想像することは困難であった。なぜなら、そのような出来事は過去50年間の我々の経験とあまりにも異なっていたためである。今日、ロシアで共産主義態勢が復活することを想像することは難しいだろうか? 旧ソ連の記憶がまだ鮮明に残っていることもあって、さほど難しいことではない。しかし、それが実現性を予測する根拠となるだろうか?」(p. 148)

著者は、このバイアスは将来を見通そうとする際に、妥当なシナリオを思いつくことが難しい場合、その発生の確率を低く見積もる効果もあると指摘しています。あり得そうにないシナリオだと感じたときに、その発生の確率を無意識のうちに引き下げるバイアスが働くことは、情報分析の実務にとって極めて危険な傾向であり、敵に奇襲を許すことに繋がりかねません。そのため、著者は情報分析において、新しい考え方を受け入れることができるように、開かれた発想を保持することが重要であると主張しています。

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