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現代の戦略理論で指導者が持つ認識の重要性がどのように考察されているのか?

戦略の研究で著名なトーマス・シェリングは、古典的著作である『軍備と影響力』において、現代の戦略家の課題にさまざまな検討を加えました。その課題の一つは自国と利害が異なる相手国の指導者の考え方を知ることであると論じており、それは軍備の規模、装備の種類などよりも戦略的に大きな意味があると指摘されています。

この事象を理解するための事例として、シェリングは1960年代初頭の米ソ関係に生じた軍備の水準をめぐる駆け引きに注目しています。

ソ連の最高指導者としてニキータ・フルシチョフは政権を発足させてから、核兵器関連の研究開発を強力に推進し、1957年には世界初の人工衛星であるスプートニク1号の打ち上げを成功させました。この打ち上げ成功はソ連軍がアメリカ本土を射程に収める弾道ミサイルの技術を獲得したことを意味したため、アメリカ社会では衝撃的なニュースとして受け止められました(スプートニク・ショック)。それまでアメリカではドワイト・アイゼンハワー大統領が米ソ間の軍拡競争の激化を避けることを理由に、ミサイルの研究開発予算を抑制していましたが、結果としてアメリカがミサイル戦力においてソ連よりも不利になったことが政治問題になりました(ミサイル・ギャップ論争)。シェリングは、アイゼンハワー大統領が軍備拡張に反対した意図を次のように考察しています。

「アイゼンハワー政権のほとんどの期間において、米国の国防予算は西側の軍事力強化に置いて自己抑制的であった。これは、主たる関心が経済にあったからかもしれないが、軍拡競争を悪化させるのは好ましくないという動機もあったというのが公平な見方である。1959年に想定された『ミサイル・ギャップ』によって米国の報復戦力の脆弱性に対する深刻な懸念が生じ、戦略空軍が空中待機態勢の急速拡大に強烈な関心を示したときでさえ、政権は突貫の軍事プログラムに乗り出すのに後ろ向きであったのだが、それは、軍拡競争に波風を立てるのを好まなかったからだという形跡がある。さらに言えば、ここ数年にわたる米国における民間防衛に対する多くの禁忌には、軍拡競争に新たな次元を加えること、全面戦争を心配して取り乱しているとみられること、そして防衛予算を不安定化させることを好まないという事情があったのだ」

邦訳『軍備と影響力』261-2頁

この政策を見直すことを強く要求した政治家が民主党のジョン・F・ケネディでした。ケネディはこのような事態に至った責任を大統領選挙で追及し、1961年にはアメリカ大統領に就任しました。ケネディ政権は、同年に発生した「ベルリンでの挑発行為に対する反応」を理由として、夏に「国防予算の明白かつ劇的な増額」に踏み切りました(262頁)。すると、その夏が終わる前にフルシチョフ政権も国防予算の増額を発表してきたのです(同上)。この相互作用に関してシェリングは「このプロセスは無言劇中の交渉にとてもよく似ている」と述べています(同上)。実際、ソ連はどれほどの予算を国防に支出するのか具体的な数値を明らかにしませんでした。つまり、フルシチョフは国防予算を増額するという姿勢だけを示してきたことになります。

こうしたソ連の行動から分かることは、「自らの戦力を増大させること、あるいは増大させようとしているように見せること、あるいは米国の予想より大きくなろうとしていると主張する上で説得力のある方法を見出すことが」自らの交渉力を強める方法であるとフルシチョフは考えていたということです(263頁)。軍拡競争を引き起こせば、それは米ソ双方にとって大きな財政的な負担になることは明白です。また、アメリカはもともと軍備拡張の意図を持っていませんでした。それでもソ連は自国が理想とする軍備の比率を満足させようと強硬な措置を選択してきたのは、指導者が持つ信念、認識、情報が国家の対外行動の選択に影響を及ぼすために他なりません。

シェリングが注意を呼び掛けているのは、このプロセスの結果は機械的な計算で決まるものではなく、指導者が持つ「認識や情報の正確性、評価プロセスにおけるバイアス、軍事調達の決定におけるリードタイム、そして、省庁間の不和、予算の争奪、同盟国との交渉、その他によってもたらされるすべての政治的・官僚的な影響」によって左右されるということです(同上、266頁)。つまり、指導者の行動を形成しているのは事実ではなく、「不完全な証拠に基づく信念や見解」であるということです(268頁)。このような視点で見れば、アメリカの戦略として目指すべきは、軍備の優越それ自体ではありません。本質的に重要なことは、フルシチョフの考えを変えさせることです。シェリングは、「もしソ連が自身のプログラムによって西側プログラムにどの程度のリアクションをもたらしたのかを自ら理解できないのなら、おそらくわれわれはソ連にそのことを教えてやることができよう」とも述べています(269頁)。ここで「教える」という言葉に込められているのは、単に情報をやり取りするだけでなく、それによって既存の考えを変えさせるというニュアンスが含まれています。

軍備の水準、特に核戦力の水準でソ連がアメリカに対して優位に立とうとすれば、ソ連軍の核兵器の第一撃でアメリカ軍の核兵器による報復を完全に封じることが必要ですが、シェリングはソ連軍がこのような戦力を持てる可能性は低いと評価しており、結局「いかなる事態においてもソ連はおそらく、第一撃を行うに値するレベルにまで米国を無力化するに十分な第一撃能力を自分たちは持つことはできないという考えに行きつくだろう」と述べています(同上、269-70頁)。ただ、そのような考えをソ連の指導者に受け入れさせるためには、学習にある程度の時間を要するとも示唆されています。

このように、シェリングの戦略理論では、国家間で展開される相互作用を理解する上で、指導者の情報的過程が考慮されており、戦略家の課題が軍備の規模や装備の種類を状況に応じて最適化するだけではないことを明らかにしています。このような洞察は、戦略を研究する際には、国家の指導者の人間的な性格、偏見、誤解などにも目を向けておかなければならないことを教えてくれると思います。

参考文献

シェリング著、斎藤剛訳『軍備と影響力:核兵器と駆け引きの論理』勁草書房、2018年

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