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論文紹介 戦況の変化が交戦国の交渉行動に及ぼす影響を分析する

戦争が始まると、交戦国は相互に武力を用いて争いますが、そこでは交渉も進められています。したがって、戦争を理解するためには、交戦国がどのように戦闘を実施しているかを知るだけでなく、どのように交渉を行っているのかを知ることが重要です。Min氏の「痛みがある言葉(Painful Words)」は、戦場における軍隊の活動が、交渉行動のパターンを変える要因であることを論じた研究論文であり、戦時外交や軍事戦略に興味がある方であれば、一読の価値がある内容だと思います。

Min, E. (2022). Painful Words: The Effect of Battlefield Activity on Conflict Negotiation Behavior. Journal of Conflict Resolution, 66(4-5), 595-622.

これまでの研究では戦争を交渉の過程としてモデル化してきましたが、著者はこのモデル化の仕方に疑問を投げかけています。というのも、研究者は戦時において交渉を行う頻度や期間をほとんど考慮してこなかったためです。実際、戦争における交渉ではこうした時間的な要因が重要な意味を持っています(論文紹介 戦争において国家は敵国とどのように外交を進めるのか?を参照)。戦争は時間がかかる交渉過程となる場合が少なくなく、しかも、あえて交渉を長引かせるような行動をとる交戦国もあります。

戦争は極めて非効率な交渉手段であるため、それを長引かせることは、交戦国の双方が負担する費用を増加させることになりますが、あえてそれを実施することがあるというのは理解しがたいかもしれません。著者は、和平に繋がらない非効率で不誠実な交渉を行うことも、自らの強さを相手に示すための戦略的行動として捉えることができる場合があり、それを一概に非合理的行動と決めつけるべきではないという立場をとります。むしろ、そのような行動も含めて戦時における交渉がどのように進められるのかを検討することが重要だと論じています。

戦争において非生産的な交渉行動が行われることは、過去の研究でも指摘されています。イクレの古典的な著作『すべての戦争は終わらなければならない』(1971)でも、和平の合意を形成することに直接的には寄与しない交渉行動があることが指摘されていました。ピラーの『平和を交渉する(Negotiating Peace)』(1983)も、あらゆる交渉が和平にとって望ましいとは限らないことが認識されていました。著者は、これらに限らず、さまざまな交渉の研究が不誠実、非効率な交渉を通じて自らの立場を強化する手法があることを示しています。これらを踏まえ、著者は交渉行動を実質的(substantial)なものと、冷笑的(cynical)なものに二分します。

実質的な交渉行動は、包括的な和平を実現するという目標を達成するため、具体的な提案を出して、それについて協議を行うことをいいます。このような交渉行動を選択する当事者であっても、必ず合意に到達できるとは限りませんが、紛争の解決に関連する有意義な議論を行うことに意欲を持っています。これに対して冷笑的な交渉行動は、和平の実現に向けた努力に関与しないことをいいます。相手が出してきた提案を拒否し、また大言壮語を繰り返し、敵対的な言葉を使い、またプロパガンダを使用します。外交的な観点だけで見れば、冷笑的な交渉行動は無益なものに思えますが、戦争を遂行する手段の一つとして外交的手段を捉える場合、それは同時に併用される軍事的手段を補完する手段であるため、冷笑的な交渉行動にも有用な側面があると考えられると著者は主張しています。

交戦国は敵と味方のどちらが戦略的に優勢なのかはっきりとは判断できず、どのような行動方針を選択すべきかが明らかではないという状況にしばしば直面します。その際に判断の頼りとなるのが情報ですが、交戦国が利用できる情報は限られています。著者は、戦闘そのものから情報を得る場合と、交渉から情報を得る場合があると指摘した上で、戦闘は敵と味方の勢力関係に関してバイアスがより少ない情報をもたらすと特徴づけています。ただし、戦闘から得られる情報は不確実であり、それだけでは相手にどれほど余力があるのかを正確に知ることができないことがあります。交渉では敵の言動を通じて、どれほど戦い続けることができるのかを探り、有益な情報を手に入れることができる場合があります。ただし、それは大きなバイアスを含む情報であり、相手によって操作されている可能性があります。冷笑的な交渉行動は、相手に渡す情報を操作することで、状況を誤認させる効果が見込まれます。

著者の分析がユニークなのは、冷笑的な交渉行動の効果をこのように考えた上で、戦闘状況と連動してそれが実施されると予想したことです。著者は、戦闘を通じて交戦国は互いの軍事的な優劣に関する情報を得ると考えますが、戦闘の捉え方については部隊の移動と損耗の増加という二つの視点があるとしています。移動と損耗の両方がほとんど変化しないような静止状態は、大規模な戦闘が引き起こされておらず、どちらも積極的に戦闘を通じて情報を得ようとしていないことを示しています。著者は、このような戦況をベースラインとしつつ、実質的な交渉行動が起こりやすい戦況の変化を特定しようとしています。

実質的な交渉行動が起こりやすくなると考えられる戦況として、最初に考えられるのは部隊の移動がほとんど見られず、損耗が拡大している状況です。つまり、どちらも前線を突破して機動的に部隊を動かすことができない状態であり、例えば砲兵や航空機の火力で相互に損耗を与え合っているような状態がこれに該当します。このような場合、著者は費用の負担を避けるために、実質的な交渉行動を選択する可能性が高いと予想します。

実質的な交渉行動がもたらされるもう一つの可能性は、部隊の移動が急増し、戦況が流動的になることです。前線に大きな動きがなく、どちらの部隊も移動していないような戦闘は、交戦国にとってあまり大きな情報的価値がありません。大きく前線が動くような状況になれば、それはどちらが有利であるのかをはっきりと示すことになるため、交戦国の双方がどちらが優位に立っているのかという点について共通の認識を持つことが容易になります。そのため、この場合に実質的な交渉行動が選択されやすくなるとされています。

それでは、部隊の移動が活発である上に、多くの損耗が出るような場合は交渉行動のパターンがどう変わるのでしょうか。興味深いことに、著者はこのパターンでは、交戦国の交渉力が劇的に変化し、かえって実質的な交渉行動が選ばれなくなると考察しています。これは意外な議論だと思われる方が多いところだと思います。著者の見解によれば、このようなパターンでは、有利な交戦国は自らの部隊をさらに前進させることで自らの交渉力をさらに高めることができるかもしれないと期待し、反対に不利な交戦国は部隊を後退させつつも、反撃に転じるチャンスを模索することになるため、実質的な交渉行動を選択肢から除外してしまいます。したがって、このような場合に冷笑的な交渉行動が選択されることが多く、非効率な交渉が行われることになります。

著者は、自らの理論の妥当性を調べるため、朝鮮戦争の事例分析を行っていますが、長くなるのでこの記事では詳細な内容には立ち入りません。ただ、著者の理論は朝鮮戦争の事例と合致しており、冷笑的な交渉行動が増加するのは、部隊の移動が活発になり、かつ損耗が急激に増加するような場合であったことが指摘されています。戦争の研究では、開戦前後と終戦前後のみ外交行動に注目し、その間は専ら軍事行動に注目しがちですが、著者の研究成果を踏まえれば、このような捉え方は一面的すぎるかもしれません。戦闘の様相が流動的であり、かつ消耗的である場合は、冷笑的な交渉行動を通じて交戦国は重要な情報を取得している可能性があるためです。

見出し画像:by Army Sgt. Lianne M. Hirano, Army National Guard

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