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なぜ平和を取り戻すために戦い続ける必要があるのか?

戦争は国民に多額の財政的、経済的な負担を強いるだけでなく、多数の犠牲者が続出する事態であり、しかも、その結果を見通すことは極めて困難であるという特性があります。これほど欠陥がある対外政策が世界の歴史を通じてこれほどまでに繰り返されてきた理由について研究者はさまざまな説明を試みてきました。

最近の政治学の研究で定説的な地位を占めている理論があります。それによると、(1)互いの軍事的な実力に関して認識を共有できていないこと、(2)交渉の結果として約束を取り交わしたとしても、それを確実に履行する保証がないこと、(3)そもそも争いの原因となっている利益を双方にとって満足できるような形で分割できないこと、以上の3点が戦争の原因として特に重要です(合理的な国家が戦争を選ぶ3条件を説明したフィアロンの交渉モデル)。したがって、戦争を終わらせるためには、これらの要因を取り除くことが必要です。

ここでは(1)の要因に注目した考察を書き残しているオーストラリアの歴史家ジェフリー・ブレイニーの議論を紹介してみたいと思います。

双方の認識が一致しないとき、戦争が始まる

彼は、軍事的な能力に関する交戦国の双方の認識が一致しなければ、戦争を終わらせることができないと論じています。

「戦争は通常は交戦国が互いの相対的な実力について『同意』するときに終結する。そして、通常は交戦国が互いの実力について『同意しない』ときに始まるのである。同意するかどうかは、いくつかの決まった要因によって左右される。それゆえ、これらの要因は注目すべき戦争の原因であるが、同時に注目すべき平和の原因にもなり得るものである」(p. 122)

この文章を読み解く上でポイントになるのは、互いが保有する能力に関する情報を完全に共有できているならば、戦争で利害の対立を解消することは、外交だけに頼るよりも余計な費用を支払わなければならなくなるということです。

もし戦争の結果がどうなるのかはっきりと見通せるほど両国間の能力の格差があるならば、劣勢な国家は最初から優勢な国家との戦争を避け、利害の対立を収拾するために譲歩する方が戦争で余計な犠牲を出すよりも有利だと考えるはずです。

戦争の問題が根本的に解決しがたいのは、どちらが軍事的に優位に立っているのか判然としない場合があるということです。

双方とも自国の軍事的能力に対して自信を持ち、もし戦争になったときに結果として勝利を収めるのは相手ではなく自分であると信じている場合、どれほど戦争を避けようとしたところで、両方が納得できる妥協点に辿り着くことはありません。なぜなら、どちらも相手こそ譲歩すべきであって、自分が譲歩する立場ではないと考えているので、いつまでも合意に辿り着けないのです。

認識の不一致をもたらす数々の要因

軍事的能力に関する各国の認識に影響を及ぼす「要因」としてブレイニーは7種類の典型的な要因を取り上げています。

(1)軍事力とそれを戦争の特定の地域で効果的に運用する能力
(2)参戦せずに局外に置かれた諸国がとる行動の予測
(3)自国と敵国の内部における統一や不和に関する認識
(4)戦争の実態と苦難についての記録の鮮明さ
(5)経済的な繁栄と戦争を遂行する上で必要な経済力の認識
(6)ナショナリズムとイデオロギー
(7)戦争と平和のどちらを選ぶかを決定する指導者のパーソナリティや心理的特性(p. 123)

これら7種類の要因は「相互に影響し合う」ものであり(Ibid.: 124)、状況の変化によって劇的に変化する性質があるため、本質的に不安定なものだといえます(Ibid.)。どれほど不安定なものであるかを述べるために、ブレイニーは次のような説明を書き残しています。

「国家は敵が国内で生じた不和によって弱くなったように見えたので戦うべきだと信じていたが、自国の内部で不和が起きると平和を求めるべきだと信じた。国家は繁栄しており、自信に満ち溢れていたので、戦うべきだと信じ込んだが、繁栄が遠ざかり、自信が失われると、平和を求めるべきだと信じ込んだ。国家は有力な競合国がどこか別の国と戦っており、介入することができないと知ったので、戦うべきだと信じたが、競合国が今や立ち向かおうとしてきたので恐れから平和を求めるべきだと信じた」(p. 122)

ここで強調されているのは、国際政治で国家の軍事的な強さというものは、時と場合によって、あるいはまったくの偶然によって変動する性質があるということです。戦争が始まってから、予想外に援軍を差し向ける国が現れるかもしれません。戦争が始まってから動員を開始したのに、ほとんど戦場で戦力として使い物にならないこともあるでしょう。

このような不確実さ、不透明さがあるため、両国の軍事力の格差がわずかになっているような場合、双方の認識に生じたギャップを埋めることは難しくなります。

互いの強さを明らかにするための最後の審判

最終的に、このギャップを埋めるためには、国家は戦争という審判を経なければならなくなるのだとブレイニーは述べています。

「戦争は最後の審判であり、どの国家がより強いかを明確にする最終的な試練である。そのため、全面戦争(general war)は敵対する両国の相対的な強さを測定するだけではなく、同盟国として交戦する国家の相対的な強さをも測定する。個別の同盟国の力についてはあまり正確に測定することはできないかもしれない。しかし、少なくとも、それは長く続いた平和よりも有用な指標を与えてくれる」(p. 120)

ブレイニーは第二次世界大戦が世界的な災難であったことを踏まえつつも、それは各国に貴重な情報をもたらしたことを指摘しています。アメリカとソ連は同盟国としてドイツと戦いましたが、戦争の末期に至るまでの間に、互いにその実力をはっきりと認識するようになっていました。このような認識があったからこそ、両国は全面戦争になった場合に生じ得る結果に対して慎重な予測を立て、武力衝突を避けようとしたと説明されています。

以上の議論を踏まえ、ブレイニーはあらゆる戦争の原因の根底にあるのは、楽観主義であるとも述べています。自国の実力に対する過信は、あらゆる戦争が始まるときに一般的に見出される特徴であり、戦争のメカニズムは交戦国のどちらが自国の能力を過信していたのかを明らかにするメカニズムとして今でも機能しています。ただ、敗北を重ねても、それは偶発的な、あるいは一時的な敗北にすぎないとして、自国の能力に対する自信過剰な見方を頑なに変えない場合もあります。そのような国家を終戦に導くためには、さらに多くの証拠を突き付ける必要があり、そのために交戦国は戦い続けざるを得なくなります。

参考文献

Blainey, G. (1988). The Causes of War, 3rd edition, New York: Free Press.(邦訳『戦争と平和の条件:近代戦争原因の史的考察』中野泰雄、川畑寿、呉忠根訳、新光閣書店、1975年)

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