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合理的な国家が戦争を選ぶ3条件を説明したフィアロンの交渉モデル

戦争は、多くの人命を犠牲にするだけでなく、多額の費用がかかり、また大きな危険を伴う行為です。それは一見すると非常に非合理的な行いに見えます。しかし、国際政治学では自国の外交上の要求を相手に押し付け、あるいは譲歩を引き出すための戦略として合理性を持つ場合があることが分かっています。

スタンフォード大学のジェームズ・フィアロン(James Fearon)教授が1995年に出した「戦争の合理的説明(Rationalist Explanations for War)」で戦争が合理的な行為となる条件が特定されています。これは今でも研究者に広く参照されているモデルであり、私自身も学部生向けの授業で取り上げています。

この記事では、このフィアロンの数理モデルとそこから得られる洞察がどのようなものかを簡単に紹介してみたいと思います。数理モデルを使った研究なので、少しだけ数式が出てきますが、決して難しい計算をしているわけではないので、気楽にお読みください。

Fearon, J. D. (1995). Rationalist explanations for war. International Organization, 49(3), 379-414. https://doi.org/10.1017/S0020818300033324

交渉モデルで考える戦争の非合理性

フィアロンの議論を辿るための第一歩として、ここにAとBという2ヵ国がそれぞれ軍備を保有し、領土が隣接している単純な国際関係を想定してみましょう。Aは現状を変更したい挑戦国、Bは現状を維持したい標的国と呼ぶことにします。

挑戦国は標的国が持つ一部の領土を奪取することを望んでいます。その領土を2ヵ国が同時に領有することは不可能なので、両国の利害は対立しています。このような場合、挑戦国が選択できる戦略は大きく二つに分けて考えることができます。一つは領土の獲得を断念して平和を維持する戦略であり、もう一つは武力を行使する領土の明け渡しを要求する戦略です。

もし挑戦国が領土の獲得をあきらめるならば、標的国も特に何ら行動を起こす必要がないため、そのまま両国の相互作用は決着するシナリオとなります(平和)。しかし、挑戦国が何らかの形で領土を要求し、威嚇を行うならば、標的国の対応によってシナリオの展開が分かれます。

第一に考えられる展開は、標的国が挑戦国の要求を受け入れ、領土を明け渡すシナリオであり(宥和)、もう一つは標的国が要求を拒否し、徹底抗戦するシナリオです(戦争)。以上から、将来的に起こり得るシナリオとしては、平和、宥和、戦争の3パターンに大別できることが分かりました。

それぞれの場合に両国が受け取る利得を考えてみます。もし平和のパターンにシナリオが推移するなら、挑戦国は何ら利得を得ることができず(挑戦国の利得=0)、標的国だけが利得を得ます(標的国の利得=1)。反対に宥和のパターンにシナリオが推移するなら、挑戦国は要求しただけの領土(要求の範囲は0から1までの値をとるx)を得るので(挑戦国の利得=x)、それだけ標的国は領土を失うことになります(標的国の利得=1-x)。

標的国が威嚇を受けても宥和を選択せず、戦争が勃発するパターンに入ると、両国とも大きな戦費を負担する状況を覚悟しなければなりません。

ここでは議論を単純にするために、領土を支配することで得られる便益の1/4の費用がかかると想定することにします(両国の戦争の費用=0.25)。戦争の勝敗は確実ではなく、それぞれの国力に応じて勝率は変化すると考えられますが、ここでは両国とも能力が互角だと想定します(両国にとっての戦争の勝率=0.5)。以上の議論に基づいて、平和、宥和、戦争のそれぞれのパターンで、挑戦国と標的国が期待できる利得がどのように違うのかを計算すると以下のようになります。

1 平和のパターン:挑戦国の利得=0;標的国の利得=1
2 宥和のパターン:挑戦国の利得=1;標的国の利得=1-1
3 戦争のパターン:挑戦国の利得=0.5-0.25;標的国の利得=1-0.5-0.25

このように状況を整理してみると、挑戦国と標的国がそれぞれが、どのような戦略を選択することが合理的なのか判断できます。

まず、挑戦国が領土の要求を諦め、平和を維持する戦略を選ぶことは不利な戦略です。なぜなら、もし標的国と戦争状態になった場合であっても、挑戦国の利得(より正しく述べると確率を考慮に入れた期待利得)は0.25もあるためです。平和を維持する場合に得られる利得は必ず0になるのですから、挑戦国は戦争を覚悟した上で領土を要求する方が合理的です。

ただし、挑戦国として最も有利な選択を行いたいのであれば、0.25を上回る利得を追求する方が有利です。このためには、挑戦国が領土を要求した際に、標的国の対応を戦争ではなく、宥和へと誘導できるように注意深く交渉を進めることが必要となります。

戦争状態になれば、標的国も挑戦国と同じように0.25の利得を得ることが期待されています。もし挑戦国の要求を受け入れても、自国の利得が0.25を下回ってしまうようであれば、標的国としては外交を継続して宥和を模索するよりも、戦争を始める方がよいということになります。したがって、挑戦国は標的国に突き付ける要求をどの程度にするべきかを決めた方が有利であると言えます。

以上から、挑戦国が標的国から宥和を引き出すために最適な要求の範囲(x)は、0から1の間ではないと分かります。要求の範囲は0.25を上回り、かつ0.75を下回る範囲のどこかです。このxの範囲をフィアロンの交渉モデルでは交渉可能区間と呼びます。合理的な戦略を選択する挑戦国と標的国が対峙する場合、費用がかかり、かつ危険を伴う戦争が発生する事態を避け、この交渉可能区間に収まる範囲で外交的な決着をつけてしまうことが最適な戦略だと言えます。

ここでは単純化のため、戦争の費用を0.25、戦争の勝率を0.5と恣意的に設定しましたが、フィアロンは別の値を使ったとしても、それが0より大きければ外交的手段で決着をつける方がよいとの判断が変わることはないと論じています。一般化すると、挑戦国が考えるべき交渉可能区間は、戦争の勝率から挑戦国が自ら負担しなければならない戦争の費用を差し引いた値より大きく、それと同時に戦争の勝率に標的国が負担しなければならない戦争の費用を加えた値よりも小さくなります。

戦争が合理的な選択となるための3つの条件

フィアロンの研究が興味深いのは、戦争が非合理的な行為となる状況を確認した上で、どのような条件が追加された場合に戦争が合理的な行為として選択されるのかを考察している箇所です。ここでフィアロンは3種類の条件を挙げています。

第一の条件は、双方が持つ情報が不完全である場合です。先ほど挑戦国と標的国の軍事的能力が互角であり、そのことを双方が知っていることを前提にして話を進めてきましたが、国際政治では自国の能力に関する詳細な軍事情報をすみずみまで他国に公開することは考えられません。情報収集の能力に違いがある場合や、あるいは情報評価の仕組みが違うために、挑戦国と標的国の状況認識が大きく食い違う場合が生じてきます。このような場合、もし挑戦国が標的国に対して過剰と受け止められる要求を出してくれば、標的国は宥和ではなく戦争を選ぶことに繋がります。

第二の条件は、挑戦国が外交で提示する要求を詳細に分割することができない場合です。領土の地理的な性質や、社会経済的な制約によって分割が困難なことがあります。これを専門用語で争点に不可分性(indivisibility)があると表現します。争点の不可分性は外交交渉において非常に厄介な性質を持っており、標的国にとって宥和から得られる利得を0にしてしまうことがあります。これは外交上の交渉を続けても期待できる利点がなくなってしまうことを意味しており、その結果として戦争が選択されることになります。

第三の条件は、いったん宥和によって挑戦国と標的国の間に合意が形成され、履行されたとしても、将来にわたって永続的にその合意が維持される保証がないという場合です。研究者の間では、これはしばしばコミットメント問題と呼ばれています。例えば、挑戦国の要求に対して標的国がいったん宥和を選択し、領土を分け合ったとしても、標的国は裏で密かに軍備の拡張を続け、挑戦国を上回る軍事力を獲得しようとする計画があるとします。挑戦国がそのことに気が付いた場合、せっかく獲得した領土を将来的に手放さなければならなくなるでしょう。この事態を避けるために、挑戦国は標的国が軍事力で優位に立つ前に予防戦争(preventive war)を引き起こすことが合理的になります。

まとめ

フィアロンの研究は、情報が不確実であること、争点が分割できないこと、将来において合意が履行され続けることに対する不安の3つが戦争の原因として非常に重要な影響をもたらすことを明らかにしています。これら3つの条件が一つでも存在している場合、たとえどれほど巨大な軍事力を持っている大国だとしても、外交的手段だけで事態を収拾することは困難になります。

最近、ロシアとウクライナの間で戦争が勃発する事態が危ぶまれていますが、フィアロンの理論を踏まえれば、なぜこのような事態になっているのかを分析するための出発点になると思います。特にフィアロンが戦争が勃発する条件の3つ目に挙げたコミットメント問題の影響は深刻であり、ロシアは将来に発生すると予測する損失(ウクライナのNATOへの加盟とそれに付随する軍事情勢)を避けるために、あらゆる手段を尽くそうとしています。この問題を解決できなければ、ロシアにとって戦争は必ずしも非合理的な選択であるとは言えないでしょう。

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