メモ 戦略研究でコミットメントは何を意味するのか、なぜそれが重要なのか?

このメモでは、戦略研究におけるゲーム理論的分析の意義を示すために、コミットメント(committment)の意義を解説してみようと思います。まず、核戦略の研究で古典的な相互抑止ゲーム(mutural deterrence game)を展開し、コミットメントとは何か、それを用いるとゲームの結果がどのように変化すると考えられるのかを順に説明します。

ゲーム理論と聞いただけで難しそうだと感じられる方も少なくないと思います。そこで数式は可能な限り排除し、文章によって説明することにします。もしゲーム理論について知識がある方は、相互抑止ゲームは本質的にチキンゲームと同じものであり、コミットメントの意義を明らかにすることがこの記事の狙いであることをあらかじめご了承ください。その意味するところが分からない方に向けて、この記事を書いています。

さて、私たちはある行動を選択するとき、それぞれの選択肢の良し悪しを比較し、自分にとってより有利だと感じられるものを選択しようとします。もし相手が何を行うとしても、自分が行ったことだけで結果が左右されるのであれば、相手の行動を考えることは必要ありません。

しかし、自分一人の行動選択だけを考えていればよいという状況ばかりではありません。自分だけでなく、別の誰かの行動を考えなければならない状況の方がむしろ多いといえるでしょう。自分が行ったことだけでなく、相手が行ったことによっても結果が左右されるなら、自分が何をすべきかを考えるときに、相手の行動を前もって織り込んでおかなければなりません。

ここでは、あなたが青国に脅威を及ぼす赤国に対し、どのような戦略をとるべきかを考えなければならないとします。このとき、青国の行動を考えるだけでなく、赤国がどのような行動をとるのか、その可能性を考慮しなければなりません。ここでは将来起こり得るシナリオが4つあると想定してみます。

第一のシナリオは、両国双方が核兵器で攻撃するという敵対行為を選択し、双方が時代な被害を出す核戦争となるというシナリオです(戦争シナリオ)。このシナリオでは青国と赤国の双方が大きな損失を被ります。それは青国だけでなく、赤国にとっても最悪の事態であり、何としても避けようとするものとします。第二のシナリオは、両国双方が戦争勃発を回避しようと、協調行動をとるシナリオです(平和シナリオ)。このシナリオでは、どちらも得るものもなければ、失うものもありません。これは相互抑止が成り立っている状況であるといえるでしょう。

大きな注意を要するのは次の二つのシナリオです。第三のシナリオは、青国だけが協力行動を選択し、赤国が敵対行動を選択することによって発生するシナリオです。このシナリオでは青国だけが核攻撃で損失を被り、赤国は大きな利得を得ます(敗北シナリオ)。このときに青国が被る損失は、戦争シナリオで被る損失ほど大きくありませんが、それでも大きな損失になるとします。このシナリオが赤国にとって最高の利得をもたらすということを強調しておきます。第四のシナリオは、第三のシナリオで述べた青国と赤国の関係を逆にしたものです。つまり、赤国は協力行動をとり、戦争回避を追求したものの、青国だけが敵対行動をとって核攻撃に踏み切り、それによって赤国は甚大な損失を被るというものです。青国だけが大きな利得を受け取る最高のシナリオといえます(勝利シナリオ)。

これら4つのシナリオが示された場合、青国はどのように行動すべきでしょうか。この問いが相互抑止ゲームのポイントです。あなたが青国の行動を決定するまでは、赤国がどの行動を選択してくるのかが明らかにされません。そのことを踏まえて、一度よく考えてみてください。

単純に考えれば、青国にとって最善のシナリオは勝利シナリオです。青国が勝利シナリオを追求するには、赤国に協調行動をとらせた上で、青国が敵対行動をとらなければなりませんが、赤国がそれほど都合よく行動するという保証はありません。青国と赤国が両方とも敵対行動を選び、双方にとって最悪な戦争シナリオに突入することを懸念された方もいるでしょう。だからといって、戦争シナリオを避けるために青国が協調行動をとるとしても、平和シナリオに持ち込めるという保証がないことに注意してください。青国だけが協調行動をとり、赤国が敵対行動をとれば、それは青国にとって最悪の敗北シナリオとなります。

この相互抑止ゲームにおいて、青国にとって最高のシナリオ、つまり勝利シナリオを実現するために重要なことがあります。それは、前もって自分がどのような行動をとるのかを相手に意思表示し、その意思表示によって自らの選択肢を制限しておくことです。「我が国は敵対行動をとることを決めた」などのメッセージを信憑性を伴う形で赤国に伝え、それによって青国に攻撃の意図があることを確信させることが、勝利シナリオを実現させることに繋がります。戦略研究においてトーマス・シェリングはこれをコミットメントと呼び、次のようにそのメカニズムを説明しました。

「交渉におけるコミットメントとは、相手が完全に理解できるかたちでこの決定的で疑う余地のない機会を相手に託し、それによって交渉結果を決定する装置であるということができる。つまり、それは自発的なインセンティヴを放棄することによって、インセンティヴを操作し、自らに有利になるような選択を相手にさせるのである。ドライバーが自分では止められないほどスピードを上げ、相手がそれを認識するならば、相手は譲らなくてはならない」

(邦訳『紛争の戦略』38-9頁)

相互抑止ゲームにおいては、青国が勝利シナリオを、赤国が敗北シナリオをそれぞれ追求していますが、シェリングはこのような場合、どちらが先にコミットメントを確立できるかによって、ゲームの結果が変化すると考えました。ただし、これは時間との戦いになります。その理由については、「もし彼がすでにコミットしているならば、脅しをかける者は脅しをもって抑止することはできない。なぜなら、脅しをかけた場合に待ち受けているのは、お互いにとって破滅的な結果だけだからである」とシェリングは解説しています(同上、39頁)。

以上の解説で分かる通り、コミットメントには、自分の意志表示に信憑性があると相手に確信させない限りは成立しないという性質があります。現実の世界ではコミットメントに曖昧さ、不確かさがあることが普通です。もし青国が攻撃する意思を表示しているとしても、赤国があなたの過去の行動の履歴を参照し、その言葉が信用するに値しないと考えれば、コミットメントは失敗に終わるでしょう。過去の自分が周囲からどのように見られているのか、それによってどの程度の信頼を獲得しているかによって、コミットメントを実施する容易さが大きく変わることを覚えておくとよいと思います。

いったんコミットメントという概念を理解すると、戦略に対する理解もかなり違ったものに変化するはずです。なぜなら、伝統的に戦略は能力を効果的に運用するを重視してきましたが、相互抑止ゲームにおいて能力は必ずしも成功を保証しないためです。シェリングは戦略を「効率的に力を行使することではなく、潜在的な力を利用することと関係している」と説明していますが(同上、5頁)、抑止の文脈でこの考え方を理解するとすれば、自国の軍隊の能力が他国より圧倒的に優れていたとしても、自国の意図を相手に伝達するコミュニケーションに問題があれば、有利な結果が得られない恐れがあります。こうした知見からも、ゲーム理論的な分析が戦略研究にとって重要な意味を持つことが分かるのではないでしょうか。

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