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論文紹介 米国でドイツ系有権者に特有の投票パターンが解明されつつある

アメリカの有権者が経済的、社会的、文化的な属性によって投票行動がさまざまに異なっていることはよく知られています。これは単に国土の広さ、人口の多さで説明できる多様さではなく、歴史的に多数の移民を受け入れてきたことで説明することができます。そのため、アメリカ大統領選挙を戦う候補者は、選挙戦略を構築するにあたり、どのような属性を持つ有権者集団を主なターゲットに設定すべきか判断が求められます。

2016年大統領選挙でドナルド・トランプ候補が選挙戦略を構築したとき、その主要なターゲットとなっていたのはヨーロッパ系の白人だったという見方がありましたが、最近の調査でヨーロッパ系の白人というカテゴリーが妥当なのか疑問が投げかけられています。Dentler、Gschwend、Hünlichは、ヨーロッパ系の白人が一枚岩ではなかったと従来の説を批判し、ドイツ系アメリカ人の支持基盤の特異さに注目しています。

Dentler, K., Gschwend, T., & Hünlich, D. (2021). A swing vote from the ethnic backstage: The role of German American isolationist tradition for Trump's 2016 victory. Electoral Studies, 71, 102309. https://doi.org/10.1016/j.electstud.2021.102309

アメリカでは古くからドイツ系アメリカ人が住んでいましたが、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパ大陸から多くの移民がドイツ語圏から渡ってきたことにより、その人口はますます大きなものになりました。1910年にアメリカ国内で暮らすドイツ語話者人口は約900万人とされており、これは国勢調査で登録された人口の10%近くに相当する数でした。

しかし、ドイツ系アメリカ人は1914年に第一次世界大戦が勃発したことで困難な状態に追い込まれました。当時、アメリカの国内では、フランスやイギリスに味方して参戦するべきか否かなどをめぐって激しい論争が起こっており、ドイツ系の人々もこれに巻き込まれました。ドイツ系アメリカ人に対して敵意を抱く人々は以前から存在していましたが、1917年にアメリカが参戦したことで、反ドイツ感情に起因する憎悪犯罪は顕著に増加し、ドイツ系だと分かる名前を改名する人が出てきました。学校の現場ではドイツ語の使用が禁じら、英語の使用が強制されるなど、この時期のドイツ系のコミュニティは厳しい状況に置かれていました。

これ以降、アメリカのドイツ系有権者はアメリカ政府が国際問題に関与することに反対するようになり、孤立主義的な政策を強く支持するようになっていきました。著者らは、その伝統が世代を超えて受け継がれていることに注目しています。政治史において、ドイツ系アメリカ人を支持基盤として利用した政治家の一人として共和党のウォレン・ハーディング(Warren Harding)が挙げられています。ハーディングは1920年の大統領選挙で国際問題から手を引くことを約束し、ドイツ系アメリカ人を共和党の支持基盤に取り込みました。これは共和党が北西部で勢力を拡大する上で重要な一歩でした。第一次世界大戦の参戦に反対した共和党のロバート・ラフォレット(Robert La Follette)も孤立主義を主張することによって、ドイツ系アメリカ人の支持を集めることができることを実証した政治家です。

2000年のアメリカにおけるドイツ系アメリカ人の分布区域率を示した主題図(薄青色がドイツ系アメリカ人の分布区域に相当している。Wikimedia Commonsより)

政治地理の観点で見ると、孤立主義の傾向が強いドイツ系アメリカ人は農村部に集中して居住している傾向がありました。例えばミネソタ州のスターンズ郡は人口密度が低い地域であり、ドイツ系アメリカ人が圧倒的に多数を占めています。1916年まで54%ほどだった共和党の得票率が1920年には86%に跳ね上がっています。

1992年大統領選挙で湾岸戦争に反対の立場で出馬したロス・ペロー(Ross Perot)の全国平均得票率は6%にすぎませんが、スターンズ郡での得票率は25%に達しました。2016年にトランプが選挙戦略として打ち出した孤立主義の姿勢はペローのそれと比較可能であったと著者らは考えています。トランプ候補のスターンズ郡での得票率は60%と非常に高いものであったためです。

著者らが2016年の大統領選挙の結果を分析したところ、有権者の教育や所得の水準とは関係なく、ドイツ系アメリカ人の割合が大きな郡であるほど共和党のトランプ候補の得票率が高くなるというパターンが導き出されています。アメリカでは自分の祖先がどの民族に属しているのかを自己申告に基づいて調査していますが、著者らは3114の郡に住む住民の自己申告に基づく祖先情報を分析しました。その結果、ドイツ系アメリカ人の人口が多い選挙区であるほど、トランプが健闘していたことが分かってきました。

アイルランド系アメリカ人と自分の祖先を「生粋の」アメリカ人だと自己申告するタイプの有権者も、ドイツ系アメリカ人とよく似た投票行動のパターンを示していることも報告されています。イギリス系、あるいはイタリア系のアメリカ人は反対の投票行動のパターンを示しているようなので、著者らは白人という大きな人種的カテゴリーを用いた投票行動の分析に限界があると主張しています。

興味深いのは、ドイツ系アメリカ人が共和党への帰属意識からではなく、トランプ候補が掲げた孤立主義に反応して支持していた可能性が大きいという指摘です。確かに、ドイツ系アメリカ人は選挙のたびに民主党の候補と共和党の候補で投票先が揺れ動く浮動州に多数確認できます。著者らは、このような制度的な理由から、ドイツ系アメリカ人という有権者集団が大統領選挙の結果に重大な影響を及ぼしている可能性があると考えています。

「アメリカ大統領選挙の制度的特性から、重要な浮動地域(スイング・エリア)において孤立主義の考え方が根付く残っていることは決して些細なことではない。介入主義に対する支持を表明してきた政治家はドイツ系アメリカ人から得票することが難しくなることが明らかになった。事実、2016年のトランプと同じように、ジョー・バイデン候補は2020年にドイツ系アメリカ人が多い複数の州で勝つために必要な票を僅差で獲得している。ほとんどの世論調査でこのようなことは予測されていなかった。中西部のドイツ系アメリカ人が選挙の勝敗を左右する重要な存在であることは変わっていない」

(Dentler, Gschwend, & Hünlich 2021: p. 12)

著者らの研究は、これまで十分に認識されていなかったドイツ系アメリカ人に独特な投票行動を理解することに繋がるかもしれません。ただ、このテーマに関する調査研究はまだ始まったばかりであり、研究上の課題も多く残されています。例えば、著者らはドイツ系アメリカ人が孤立主義を根強く支持する傾向が世代を超えて受け継がれている理由を明確に説明できていません。著者らは、その理由が分からないことを認めており、いくつかの仮説を示すにとどめています。有権者の投票態度や政治認知は家庭内の政治的社会化や、地域コミュニティでの同調圧力などさまざまな影響を受けながら形成されると考えられるため、さらに詳細な調査が必要でしょう。

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