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論文紹介 危機に際して中国の対外政策に世論はどのような影響を及ぼすのか?

政治学の研究では国際政治と国内政治の関係を考察するため、観衆費用(audience cost)という概念を使っています。観衆費用とは対外政策を選択するとき、その国家の指導者が考慮に入れる政治的コストであり、外国に対して重大な譲歩を行い、自国の国益を損なったという不人気な評価がなされることによって発生します。観衆費用はさまざまな分野の対外政策と結びつく可能性があるため、国家間の相互作用だけでは個別の国家の対外行動を説明できない場合があります。

一般的に観衆費用は選挙を通じて多くの票を集めなければならない民主主義国の指導者の政策選択に強く影響すると考えられており、それを裏付けるための実証的研究も進んでいます。ただ、国内で自分に歯向かう勢力を抑圧する能力が高い権威主義国の指導者の政策選択の分析では、あまり重視されてきませんでした。しかし、最近の調査で権威主義国の指導者の政策選択を考える上でも、この観衆費用の意義が注目されるようになりました。中国の対外政策の研究で、この観衆費用の影響について考察したものがあります。

Quek, K, Johnston, AI (2018) Can China back down? Crisis de-escalation in the shadow of domestic opposition. International Security 42(3): 7–36.

著者らは中国で対外政策に対する国民の態度がどのような性質を持つのかを研究しました。その結果、特定国と何らかの軍事的な危機が発生した場合、有権者は利害の計算ではなく、社会的アイデンティティに基づいて選択肢を評価する傾向が示されており、特に指導者が屈服や譲歩として認識されるような選択をとると支持が減退していく傾向にあることが認められました。この調査で想定されているシナリオは中国と日本の紛争であり、尖閣諸島で日本政府が何らかの構造物の建設工事を始め、中国が軍事行動を起こすという声明を発したという想定が使用されています。

著者らは2015年4月から6月にかけて、中国本土のすべての地方を対象とした独自の社会調査を行っています。調査に協力した人々は、尖閣諸島の危機に関して同じ内容の情報を与えられました。そして、中国の指導者が実際に軍事行動をとると発表した後で、それを実行に移さなかった場合に支持態度がどのように変化するのかを調べています。

まず、先の発表が単なるブラフに終わった場合が想定されています。これは全体のシナリオの効果を比較するための基準とされています。これとは別に軍事行動を思いとどまった理由として(1)危機を鎮静化させるため、国際連合から調停の申し出を受けたと説明する場合や、(2)アメリカが軍事力を用いて中国に対する抑止を図った場合、(3)指導部が中国の平和愛好的なアイデンティティを持ち出した場合、(4)経済的なコストが大きく、経済発展を阻害することが説明された場合、(5)軍事行動の代わりに経済制裁を使用することを理由とされた場合、(6)エスカレーションを管理するため、より曖昧な仕方で脅威を与えることが選択された場合が想定されました。これらの6種類の派生シナリオを無作為に調査協力者に提示し、それぞれが指導者に対する支持をどう変化させているのかを定量的に測定しています。

調査の結果から中国国民は軍事行動をとると宣言しておきながら、実際に行動を起こさなかった場合に、支持態度を大幅に低下させることが確認されています。これは危機において行動しないことが、中国の指導者にとっていかに大きな観衆費用をもたらすことになるのかを示しています。著者らが派生シナリオを示した場合の態度を分析したところ、軍事行動に伴う経済的な問題に関する議論に敏感である可能性がありました。ただ、平和愛好的な人民としてのアイデンティティを想起した場合の方が、武力攻撃を思いとどまった指導者に対する支持態度を弱めない傾向にあることも示されたため、利害の計算よりも、中国国民としての自己イメージ、社会的アイデンティティが政策認知に影響を及ぼすことも示唆されています。

国際政治学の立場で興味深いのは、国連が調停に乗り出したシナリオにおいて、中国国民が軍事行動を回避した指導者に対する支持態度をそれほど弱めていないことです。これはアメリカ軍が抑止を試みた場合とは対照的な結果です。もし危機に際して中国の指導者が第三者的な立場に立つ国際機構の介入を期待できる場合、中国の指導者は観衆費用を縮小できるため、より外交において妥協しやすくなるだろうと考えられます。戦争終結の場面で国際機構が果たす役割を考える上で興味深い分析結果だと思います。国際機構が当事国の交渉に加わることによって、指導者は国内における自らの評判、体面を損なうリスクを最小限にとどめることができると考えられます。

国際的な緊張が高まったとき、指導者の意思決定にどのように働きかけるべきかを考えることが重要ですが、その際にその指導者が国内の観衆費用を考慮していることも同時に注意する必要があります。双方の指導者が「弱腰」、「軟弱」だと国民に見なされ、評判を損なうことを避けようとした場合、外交的に手詰まりとなり、戦争状態にエスカレートすることを防げなくなるかもしれません。このような問題を未全に防ぐために、こうした研究を通じて観衆費用が対外政策をどのように制限するのかを理解することができれば、効果的な外交政策を立案することにも役立つと思います。

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