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戦うために必要なのは注意深い状況判断ではなく、直観なのかもしれない

軍事学の世界では、19世紀のプロイセンで生まれ、現在でも影響が根強い概念やモデルがたくさんあります。これはナポレオン戦争(1804~1815)で得られた経験を踏まえ、19世紀のプロイセン陸軍が取り組んだ改革が優れた成果を数多く残しているためです。特に戦術教育の分野では多くの革新がありました(プロイセン陸軍の将校教育を解説した「陸軍大学校」(1890)を参照)。

状況判断(estimating the situation)の方法論もその成果の一つとして位置づけることができます。これは戦闘で指揮官の部隊運用を最適化するために用いるべき思考過程を体系化したものであり、アメリカ陸軍では軍人ロジャー・フィッチ(Roger S. Fitch)が『戦術状況の判断と作戦命令の作成(Estimating tactical situations and composing field orders)』(1909)で紹介したことで定着しました。これは今では軍事意思決定過程(military decision-making process, MDMP)として知られている方法論に発展しています。

フィッチの業績を踏まえ、アメリカ陸軍は翌1910年に出版した教範で状況判断の方法論を掲載し、ドクトリンの一部に組み入れるようになりました。第一次世界大戦(1914~1918)を経験すると、いくつかの修正が加えられていますが、基本的な手順は変わっていません。1940年版の教範を参照すると、状況判断は(1)任務(mission)の分析から始まり、(2)状況と彼我の行動方針(the situation and opposing lines of action)の把握、(3)彼我の行動方針の分析(analysis of opposing lines of action)を実施し、(4)彼我の行動方針の比較(comparison of own lines of action)へと進み、最後に(5)決心(decision)に至るという形式でまとめられています(U.S. Department, 1940, pp. 125-128)。状況判断を定めることによって、指揮官が戦況をどのように認識し、どのように部隊を動かせばよいのかが標準化されます。

アメリカ陸軍の教範の変遷を見ていると、状況判断の内容に変化があったことが分かります。段階的に情報を処理し、合理的な意思決定を支援する方法論に変わりはないのですが、次第に考慮すべき事項が増大し、複雑さが増しているのです。例えば、1940年版の教範では、状況の分析で考慮すべき事項として、部隊の配置、予備隊、補給の状態、退路が具体的に示されているにすぎません。1950年版になると、この段階で考慮すべき事項は「作戦地域の特質(characteristics of the area of operation)」と「相対戦闘力(relative combat power)」に区別されています。そして、「作戦地域の特質」には気象、地形、水系、交通路、政治、経済、社会(人力、心理、公衆衛生を含む)が示されており、「相対戦闘力」の分析で考慮すべき事項としては、戦力、編成、配置、補給の状態、予備隊、士気、訓練という7項目が示されています(U.S. Department of the Army 1950: 59)。その後も、状況判断で考慮すべき事項は増加しており、1954年版以降に核兵器、生物化学兵器を相対戦闘力の分析で考慮すべき事項に位置づけられました。

状況判断で考慮すべき事項が増加し、また分析の手続きが複雑になるにつれて、それが現実の意思決定と乖離していることが浮き彫りになってきました。心理学の研究者ゲーリー・クライン(Gary A. Klein)は、この問題を指摘しています。彼は過去四半世紀にわたって陸軍で維持されてきた意思決定に関する考え方を大胆に見直すことが必要ではないかと論じました。その必要性を示すために、クラインは次のような事例を紹介しています。

「次のような状況を考えてみてほしい(これは我々が実際に観察したものである)。旅団の幕僚たちが5時間に及ぶ指揮所演習に参加する。彼らに求められているのは、指定された地区で敵の前進を遅滞させることである。作戦幕僚は地雷の埋設に最適であると思われる地点を指し示す。そこは森林地域における道路の交差点であり、その道路は破壊可能である。道路を破壊し、その道路の両脇に地雷を埋設し、その障害の付近で敵の前進が止まり、あるいは遅れている間に砲兵が敵に火力を指向する計画が練られる。計画立案の会議の最中に、前進観測員が砲兵に射撃を要求することが不可能であるという反対意見が出される。もし砲兵の支援がなければ、地雷は敵の前進を遅滞させることに寄与しない。ある個人が(散布可能な地雷の一種である)FASCAMの使用を提案するが、別の個人がそれは開けた場所でしか使用できず、森林地域では機能しないことを述べる。この詳細な検討を重ねた後に、当初の選択肢が退けられる。そして、幕僚は開けた場所も砲兵の射撃に有利であり、そこを交戦する地点として選択する」

(Klein 1989: 56-7)

クラインは5時間で下された決心を27と算出しました。つまり、1つの決心に要した時間の平均は12分ですが、より詳細に検討してみると、決心に要する時間には大きな偏りがあったと指摘されています。つまり、20の決心に関しては1分未満の時間しか要しておらず、5つの決心は5分以内で下されています。しかし、残りの2つの決心に関しては5分以上の時間を要していたのです(Klein 1989: 57)。このように、クラインは、時間が厳しく制約された状況で問題を解決しなければならない場合、人間は選択可能な行動方針の利害を一つずつ比較検討するようなことはせず、現場で直感に頼っているのです。クラインは、この意思決定過程を説明するために認識主導意思決定(Recognition Primed Decision, RPD)というモデルを提案しました。

認識主動意思決定の特徴は、その人が過去にどのような経験を積んできたのかによって決心に至る過程が大きく変化することをモデル化している点です。クラインのモデルはやや複雑なので、少し単純化して説明しますが、まず、状況を認識した個人は、目の前の状況をそのまま受け入れることはなく、必ず自分が過去に得た経験を参照し、何らかの共通項を見つけようとします。もしそれが見つからないのであれば、それが見つかるまで多くの情報を求め、状況の再評価を行おうとします。そして、自分の経験から手がかりとなりそうな経験を見つけ出したならば、それを通じて状況の認識を形成し、目標とそれを達成する手段の探索を開始します。この際に自分の経験から引き出された状況認識が前提になっており、あらゆる目標と手段の組み合わせをくまなく検討することはしません。むしろ、過去の経験を踏まえて検討すべき手段を絞り込み、それを繰り返し修正しながら現実に機能する手段を導出し、それを実行に移すのです。

クラインはこのような仕方の意思決定が優れているとか、あるいは劣っていると主張しているわけではありません(Ibid.: 62)。クラインが目指しているのは、時間制約が強い状況に適した異なる意思決定の方法があることを陸軍が受け入れ、それぞれの利点と欠点に応じた対応を模索することでした。軍隊で伝統的に使われてきた状況判断の方法論は、確かに時間制約や十分な情報収集が可能であれば、行動方針の最適化に寄与します。しかし、戦場で得られる情報は不完全であり、直ちに行動を起こさなければならない場合もあります。このような場合、熟練者の直感は極めて重要な意思決定の基盤となる可能性があるため、これを適切に使用できるような教育訓練やドクトリンを整備することも重要な課題となります。

アメリカ陸軍は1989年にクラインの研究に資金を提供し、強いストレスの下での意思決定の研究を支援しています。その成果は今でも軍事心理学、意思決定理論の一部として参照されており、また日本語でも紹介されています。2022年に『決定の法則:人はどのようにして意思決定するのか?(Sources of power : how people make decisions)』でその詳細を知ることができます。クラインの研究は軍隊の教育訓練において、平素から実施する演習の内容を可能な限り現実に近づけることの重要性を示しているでしょう。

見出し画像:U.S. Department of Defense

参考文献

Fitch, R. S. (1909). Estimating tactical situations and composing field orders. Fort Leavenworth: U.S. Army, Staff College Press. https://archive.org/details/estimatingtactic00fitciala/page/n1/mode/2up(InternetArchive 2022年12月1日アクセス確認)
U.S. War Department. (1940). FM 101-5: Staff Officers' Field Manual, the Staff and Combat Orders, Washington, D.C.: U.S. War Department. https://archive.org/details/FM101-5/page/n127/mode/1up(InternetArchive 2022年12月1日アクセス確認)
U.S. Department of the Army. (1950). FM 101-5: Staff Officers' Field Manual, the Staff and Combat Orders, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.
Klein, G. (1989). Strategies of Decision Making, Military Review, 69(5): 56–64.
Klein, G. (1998). Sources of Power: How People Make Decisions. Cambridge, MA: MIT Press.(ゲーリー・クライン『決断の法則 : 人はどのようにして意思決定するのか?』佐藤佑一訳、筑摩書房、2022年

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