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タイムループする軍事小説『愚者の渡しの守り』(1904)を翻訳して分かった3つの工夫

イギリスの陸軍軍人アーネスト・スウィントン(1868~1951)の小説『愚者の渡しの守り(The Defence of Duffer's Drift)』(1904)は、タイムループの手法を取り入れ、小隊規模の防御戦闘を中心とした小部隊戦術を学ぶ軍事小説です。現在もこの作品の手法や物語の構成を取り入れた作品は後を絶たず、タイムループ小説の歴史を考える上で興味深い作品です。

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主人公はボーア戦争が始まった後で戦闘部隊に配属されたばかりの新米中尉で、教科書でしか戦術を学んだことがない普通の青年です。軍人としては半人前ですが、野心だけはナポレオン並みにというのも当時のイギリスでは珍しくなかったのかもしれません。

ある時、彼は南アフリカの戦場でタイムループから抜け出せなくなってしまい、何度も同じ場所で敵と戦っては敗れる経験を繰り返すようになります。タイムループで戦闘前の状況に戻るたびに、主人公は少しずつ新たな教訓を学び、部隊指揮官として成長していき、少しずつ敵と渡り合えるようになっていきます。

読者は主人公と同じ目線で戦術の問題を考えることになるので、物語を読みながら、どうすれば敵に勝てるのか答えに向かって近づいていくように物語が展開されていきます。思考しながら読み進めるという意味では、推理小説のような読み心地があるので、ミステリーが好きな方でも楽しめる軍事小説ではないかと思います。

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1 失敗から段階的に戦術を学ばせる

私は2018年にAmazon Kindleで邦訳として『愚者の渡しの守り』を出したのですが、この翻訳作業を進める中で作者がどのような工夫を凝らしていたのかがよく分かりました。ここでは3点だけ取り上げて、その工夫を解説してみたいと思います。

まず、この作品は主人公の失敗を通じて初心者の読者が戦術を学ぶための作品です。主人公は軍人なら誰が見ても明らかに間違った行動を選択し、それによって大敗北を喫するのですが、これは戦術の原理原則を段階的に学習する上で非常に重要な工夫であったと言えます。

通常、戦術学の教科書や参考書では、最初に状況を示し、問題を与え、最後に正答で答え合わせができるように書かれているものです。誤答はあまり記載されておらず、記載されていても簡単に解説をすませてしまうことがほとんどです。なぜなら、そのような教材を利用している読者は、すでに一定の戦術の知識があると想定できるので、誤答が誤答である理由は自ずと明らかだからです。

スウィントンは作品の冒頭で軍隊に入隊することを目指す若者に向けて書いたことを明確にしています。つまり、戦術について何も知らない読者を想定し、通常の戦術学の教科書が想定する以上に予備知識を持たない読者に向けて、段階的に戦術を教える必要がありました。

一見すると物語の前半のループで主人公の行動や思考はどれも明らかに間違っており、戦術的な意味はほとんどありません。しかし、その描写は読者にとっては試行錯誤のような意味を持っており、後で主人公が選択する正しい戦術行動の理由を深く理解することを可能にしています。間違いから学ぶという性質上、主人公の間違いはできるだけ正解から離れている方が印象的なのです。

2 余計な情報を切り捨て、戦術に焦点を絞る

戦争や軍隊をテーマにした小説を書く際に作者にとって大きな問題は、軍隊の内情をどこまで掘り下げるかという点だと思います。

部隊編制、武器の性能や操作、歩哨や当直などの特別勤務、命令の形式や下達の要領、部隊にかける号令の種類、そして無数に存在する規則や教範などはちっとも面白くないディティールなのですが、部隊や兵士の行動を理解する上で説明が必要な場合もあり、作者はバランスをとらなければなりません。

軍隊について詳しい方が読まれると、『愚者の渡しの守り』で作者が驚くほど多くの情報を省略して物語を展開していることに気が付きます。小隊を指揮する主人公は経験が乏しいにもかかわらず、下士官と相談することはなく、自分の一存で部隊をどんどん動かしてしまいます。下士官や兵が愚かな上官の決定に口答えすることはなく(もちろん、陣地構築に伴う面倒さに関して兵が小言を口にする場面はあります)、また建設的な意見を具申することはありません。

これは現実からかけ離れた状況です。しかし、物語の核心となる戦闘の推移に読者の焦点を絞ることには役立っています。読者はコンピュータ・ゲームのプレイヤーのように部隊を自由自在に動かしていく主人公を眺めていればよいので、細かな業務の手続きについて言及される必要がありません。これは一般読者にとっての読みやすさを大幅に高めています。

3 能天気な主人公を一人称で描く

最初のループでは主人公はまるで観光客のように戦場で無警戒に振舞わせ、その能天気さを作者は一人称で描いています。おそらく、最初のループを読んでいる読者は、この主人公が明らかに指揮官として無能だと直感するでしょう。しかし、作者の主人公の描き方はまったく侮蔑的ではありません。主人公は最後まで任務完遂のために悩み苦しむ普通の青年として描かれており、一人称の描写でも読者が親しみやすさを感じられるように注意が払われています。

ここにも作者の工夫があると言えます。戦争文学の歴史を振り返ると、さまざまなタイプの主人公がいましたが、この作品の主人公は戦術の知識を持たないごく普通の人であり、プロフェッショナルな軍人ではないのです。戦闘に対する反応もさほど特徴はなく、その場に応じて平凡な感情を覚えているにすぎません。戦闘はいつの時代も悲惨なものですが、それが主人公の目を通して悲劇的に描かれることはなく、自分の内面を掘り下げ、それを反省する描写もほとんど見つけられません。

批判的な読者であれば、この作品の主人公の感受性があまりにも低く、ストレスフリーな状態で殺し合っているように感じられるかもしれません。この点に関してはいろいろ議論できるかもしれませんが、私は作者がこの作品の目的を戦術教育に限定していたので、純粋な文学というよりも大衆文学、それも娯楽小説として設計したことによるものだと解釈しています。芸術的な戦争文学に比べて、ずいぶん浅い戦闘の描写ではありますが、主人公は能天気で野心を持った普通の青年とすることで、多くの読者は親しみやすさを感じるのだと思います。

まとも

私はスウィントンの作品を翻案し、敵の視点で同じ戦況を取り上げたオリジナルの作品を発表したことがあり(『隊長コップは三度死ぬ』)、またその後に書かれた派生作品もいろいろと呼んでいますが、やはりスウィントンの作品は非常に洗練されており、タイムループで軍事小説を書く際には、今でも手本とすべきものだと思います。ある状況から導き出せる間違いのパターンを見つけ、それを使ってシナリオを発展させ、それらを一つの作品にまとめるために必要な戦術能力と表現能力を兼ね備えることは簡単なことではありません。スウィントンはその条件を満たした珍しい作家だったのだと思います。

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