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戦闘で有利なのは分権的な組織か、集権的な組織か?『指揮か、統制か』の紹介

戦争は不確実で無秩序な状況であるため、可能な限り計画的に部隊の行動を指導できる集権化が必要であるという考え方もできますが、戦争は不確実で無秩序な状況であるからこそ、現場の指揮官が独断的に部隊の行動を指導できる分権化が重要になるという考え方も可能です。

このような思想の違いが軍隊の戦術に及ぼす影響を考察するため、イギリスの歴史学者マーティン・サミュエルズ(Martin Samuels)は19世紀後半から20世紀の初頭、特に第一次世界大戦(1914~1918)におけるイギリス軍とドイツ軍のドクトリンの変化を調査しました。

その成果をまとめた著作が『指揮か、統制か:1888年から1918年までのイギリス陸軍とドイツ陸軍の指揮、訓練、戦術(Command or Control? Command, Training and Tactics in the British and German Armies, 1888-1918)』(1995)です。分権的な組織で戦闘を遂行することを目指したドイツ軍と、集権的な組織で戦闘を遂行することを目指したイギリス軍は、指揮、訓練、そして戦術で大きく異なっていたことを明らかにしています。

Samuels, Martin. (1995). Command or Control? Command, Training and Tactics in the British and German Armies, 1888-1918. London: Frank Cass.

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著者の解釈によると、イギリス軍は集権的な指揮系統を整え、戦場で部隊指揮官の戦術行動を制限する「拘束的統制(restrictive control)」が有効だと考えていましたが、ドイツ軍は分権的な指揮系統を整え、部隊指揮官が現地の状況に応じて戦術行動を柔軟に選択できる「訓令(directive command)」が有効だと考えていました。著者は、この二つの軍隊の戦術を対照的なものと位置付けながら、その発展を辿ることによって、近代的戦術の歴史を記述しています。

第一次世界大戦でドイツ軍が優れた戦闘効率を示したことは、この著作が書かれる前にも議論されており、そのドクトリンの特徴や歴史に関する研究成果も蓄積されていました。この研究の独自性は、1880年代にまで分析の範囲を広げ、ドイツ軍とイギリス軍が近代戦を組織的に学習する過程がまったく異なっていたことを比較史のアプローチで明らかにしていることです。また、この著作はドイツ軍の効率性を説明すること以上にイギリス軍の非効率性を説明することに力点が置かれています。

ドイツ軍は戦闘の本質が混沌であり、前もって戦況を予測し、行動を計画することには限界があると考えていましたが、イギリス軍は整然とした秩序を保つことが戦闘で勝利を収めることに繋がると考えていたので、ドイツ軍に比べてイギリス軍はより集権的な組織構造を採用していました。このため、イギリス軍の訓練はドイツ軍の訓練よりもはるかに形式的で硬直的なものであり、指揮官の戦術能力には問題がありました。この主張をよく裏付けている事例が、1918年の西部戦線でイギリス軍がドイツ軍の戦術を模倣しようとしたときに起きた間違いです。

ドイツ軍は西部戦線で得た経験を踏まえ、縦深防御という戦い方を発達させました。その戦術的な特徴は、防御陣地を編成する際に、大きな空間を縦深に確保しておくことにあります。このような広大な防御陣地を構成すると、十分な火力支援を受けた敵の部隊が第一線に突撃し、これを奪取したとしても、その後に控えている第二線、第三線で続く攻撃を阻止できるだけでなく、安全な後方に残しておいた予備隊はまだ戦闘に参加していないので、これを機動的に運用し、敵の勢いが衰えたところで逆襲することが可能です。

著者は、イギリス軍がドイツ軍の戦術を取り入れようとした際に、最小限の兵力だけを残しておくべき前哨に、多数の兵力を配分し、それを奪われないようにしたことを指摘しています。しかも、縦深防御の要となる予備隊の運用に関しても、最低24時間にわたり拘置しておくことを要求し、これを計画的、慎重に運用しようとしたことも見過ごせません。両軍の間では指揮と統制に対して異なる思想があったために、イギリス軍はドイツ軍のドクトリンをそのまま学習できませんでした。戦場で軍隊は白紙の状態から新たな戦訓を学習するわけではなく、既存の思想と適合する範囲でしか戦訓を学び取れないという経路依存性が示されています。

著者の分析には一貫して歩兵の戦術を中心に展開されているという限界もあるので、その点には注意が必要だと思います。もし中央の厳格な統制によって火力の集中が可能となる砲兵戦術を著者が詳細に分析していたならば、イギリス軍が「拘束的統制」にこだわり続けた理由をより具体的な形で説明することが可能だったかもしれません。

ちなみに、著者は1992年に『ドクトリンとドグマ:第一次世界大戦におけるドイツ軍とイギリス軍の歩兵戦術(Doctrine and Dogma: German and British Infantry Tactics in the First World War)』という著作を出し、そこでイギリス軍の歩兵戦術の効率性に大きな課題があったことを指摘していますが、この評価は『指揮か、統制か』にも影響を及ぼしています。

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