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有権者の政治知識の不足が民主主義の機能を阻害するリスクを指摘したUnequal Democracy(2008)の紹介

バーテルズの『不平等な民主主義(Unequal Democracy)』(2008、改訂版2016)はアメリカで高い評価を得た政治行動論の研究です。その研究目的は、アメリカの民主主義が機能不全に陥っている理由を明らかにすることであり、著者は格差の問題に注目しています。第二次世界大戦が終結してから現代に至るまで、アメリカでは国民の所得格差が拡大し続けてきました。これは社会、経済にさまざまな悪影響を及ぼしていますが、政治はこの問題を解決できていません。

政治学の研究者にとって興味深いのは、アメリカで民主党に比べて共和党が所得の格差を拡大させる政策を採用する傾向があることであり、そのような政策で不利益を被りやすい中間層、貧困層がその共和党を支持してきたことです。著者は有権者が政策の利害を判断できるだけの知識を持っていない可能性を指摘します。その見解によれば、政治知識が乏しい有権者は、自らの投票力を効果的に活用できないだけでなく、自分に不利益をもたらす政治家を支持する場合さえあるのです。

Bartels, L. M. (2016). Unequal democracy: The Political Economy of the New Gilded Age. 2nd edn. Princeton University Press.

民主主義は、権力を握った政治家を有権者の利益のために働かせるメカニズムであるといえます。政治家は次の選挙で再選され、権力を保持するために、多数の有権者から支持を受ける必要に迫られます。そのため、支持を減らすような政策選択を回避し、支持を増やすような政策選択を志向せざるを得ません。かりに政治家が私利私欲のために権力の濫用を行おうとしても、有権者はその政策で不利益を被るので、それによって政治家を入れ替えるような投票行動をとる権利が制度的に保証されています。

ただし、民主主義がこの通りに動くわけではありません。有権者が政治家の業績を自律的に評価できるとは限らないためです。これは現職の政治家が情報強者であることと関係があります。彼らは政務を通じて得られた政治知識を駆使し、有権者の評価に影響を及ぼすように情報を操作する手段を持っています。政治知識が乏しい有権者は自分にとって有利な政策がどのようなものであるかを明確には知らないので、業績評価に影響を及ぼす情報を政治家に依存している場合、自律的な評価ができなくなります。

第1章において著者はアメリカで過去30年にわたって所得格差が拡大し続けてきたことを確認し、第2章で民主党政権に比べて共和党政権が所得格差の拡大を推し進める政策を採用してきたことを明らかにしています。著者の分析によれば、民主党の大統領は失業率の低下、経済成長率の上昇を通じて共和党の大統領よりもマクロ経済に望ましい影響を及ぼす可能性が高いのですが、その効果は就任から2年目に最大になる傾向があります。

第3章では、有権者の政治行動を理解する上で人種や宗教の影響を強調しすぎるべきではないという主張が展開されており、経済的な影響がいかに重要である根拠が示されています。有権者は経済状況に応じて投票行動を調整しますが、その評価対象となる時期はごく短期間になる傾向があるという指摘は重要だと思います。なぜなら、アメリカの大統領選挙は4年おきに実施されているので、民主党政権の下でかりに経済状況が改善することがあっても、それが次の大統領選挙で有権者の評価の対象とならないことが分かるためです。

第5章ではアメリカの多くの有権者が所得格差の問題を深刻に受け止めるような価値観を持っており、貧困層の境遇に同情的であるものの、党派に基づくバイアスと情報の不足などから、投票行動に反映させることは妨げられると説明されています。アメリカの有権者はそれぞれの党派的なステレオタイプを政治家の業績評価の手がかりとして多用するので、情報処理に大きな歪みが生じます。そのため、自分が属する党派の見解が、政策に対する見方を支配するようになり、自律的な業績評価には繋がりません。

この判断を裏付けているのが第6章から第8章で展開された分析であり、例えば第6章で取り上げられた事例としてジョージ・W・ブッシュ大統領の下で行われた減税政策があります。この減税は富裕層を対象にしていたので、中間層や貧困層にとって利益にならない政策でした。それにもかかわらず、低所得の有権者はこの政策を支持する傾向がありました。著者が世論調査のデータを使って彼らの属性を調べたところ、政治知識が乏しくなるほど、この減税政策を支持する傾向が強まっていたことが判明しました。これは低所得層の有権者の認知が歪められていたことを裏付けています。こうした性質をアメリカの政治家も理解しており、低所得層の利害については軽視する傾向があることも示されています。つまり、上院の議席を占めるアメリカの政治家は、富裕層の利害を強く代表する一方で、貧困層の利害に注意を払おうとはしないのです。

著者の研究で分かるのは、有権者が十分な情報に基づいて合理的な意思決定を下しているのではないということです。有権者は不完全な政治知識に基づいて情報を処理しており、しかも、党派的なバイアスを手掛かりとして用いながら投票行動を選択しています。これはアメリカだけの問題ではないでしょう。日本においても一般的な有権者が持つ政治知識はごくわずかであることが分かっています。民主主義という制度を効果的に運用するためには、有権者にある程度の政治知識を持てるような情報環境を整える意義を改めて認識するべきだろうと思います。

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