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政治家は可能な限り多くの支持者を集めるために、自分の政治的目的を偽装することがある

20世紀のフランスで活躍したモーリス・デュヴェルジェ(Maurice Duverger)は政党政治の研究で一級の業績を残した政治学者です。例えば、彼が提唱した「デュヴェルジェの法則(Duverger's law)」は選挙制度の種類(比例代表制か、小選挙区制か)によって、有権者の支持政党が一定であったとしても、議席を獲得できる政党の数が変化することを予測する法則であり、今でも政治学の基本法則として位置づけられています。

今回は、このデュヴェルジェが『政治学入門』(1964)の中で、政治組織の基本戦略として、自らの政治的立場を偽装し、有権者を欺くことがあると指摘したことを紹介し、政治家が本音と建前を使い分ける理由について解説してみたいと思います。

異なる利害を有する人々は政治的に対立する

社会は多種多様な階級、地域、民族の人々によって構成されています。一つの国の中で暮らしていても、経営者と労働者は賃上げや雇用の安定をめぐって、中央政府と地方政府は公共事業の負担や予算の配分をめぐって、異なる民族集団は言語、宗教、教育に関する政策をめぐって対立します。

このような利害の対立が政治闘争の基本的な原因となり、政治闘争が政党や利益団体のような政治組織の形成を促します。これがデュヴェルジェの政治学の基本的な考え方になります。

この政治組織の能力を考える上で重要な問題になるのが動員能力です。その政治組織に動員能力がなければ、選挙で候補者を擁立しても、当選に必要な得票が得られません。また、非合法的な武装闘争を遂行するとしても、軍隊や警察に対抗するために必要な兵力を確保することができません。政治家は、それぞれの目的を達成するため、より多くの支持者を動員するような戦略を選択しようとするものだとデュヴェルジェは考えます。

偽装の目的は動員力を最大化することにある

デュヴェルジェは、さまざまな政治闘争の結果がそれぞれの政治組織の動員能力によって左右されることを踏まえた上で、政治組織は自分の動員力を最大限に発揮するため、あえてその真の目的を隠すことがあると指摘しました。この政治的目的の偽装で意図されていることは動員の拡大です。つまり、本当の政治的目的を明らかにすることによって、潜在的な支持者を失う恐れがある場合、政治家は偽の政治的目的を掲げ、自分の政治的立場を偽装することで、より大規模に動員することを目指すということです。

デュヴェルジェは、このような戦略が、民主的システムだけでなく、独裁的システムにも見られると指摘しています。民主的システムでは、選挙のたびに政党が有権者の動員力を競い合うため、政党や政治団体が偽装を行うことは理解しやすいことです。独裁的システムであったとしても、人々を動員する能力はある程度は必要なのです。

偽装のテクニックの基本は曖昧な概念を使う方法です。デュヴェルジェはこの方法を次のように説明しています。

「偽装の形態は非常に多い。もっともよく使用されるのは、その社会の価値体系から見て公言することができない目標を、より公言しやすい目標の陰に隠すことである。ヨーロッパではこの技術が資本主義の利益を擁護するために広く利用されている。生産手段の所有者たちは生産手段の私的所有が彼らに多大な利益を確保するという代わりに市民の個人的自由を保障するために必要であると主張する」(邦訳、デュヴェルジェ『政治学入門』1967年)

デュヴェルジェが説明するように、自由という概念の意味は多くの人々にとって明確ではありません。ある人にとって自由な状態は、別の人にとっては不自由な状態かもしれません。だからこそ、偽装においてこの種の概念が重要な意味を持ちます。

例えば、中間層や貧困層の立場から見ると、大企業を経営する富裕層が生活必需品の価格を吊り上げることを法律で禁じることは有利です。その法律が施行されれば、中間層と貧困層は生活必需品をより安い価格で手に入れることができるようになるでしょう。しかし、富裕層の立場から見ると、このような法律が制定されれば、企業の収益は減少します。

つまり、ここに富裕層と中間層・貧困層の間に利害の対立が生じます。しかし、富裕層が自分の経済的な利益が損なわれることを理由として、この法案に反対する立場を示したとしても、大きな支持を得ることは難しいでしょう。このような場合に、富裕層は自らの経済的な利益を守る意図を隠さなければなりません。

ここに、もっともらしい理由を掲げて、法案に反対すること正当な根拠があることを世論に印象付ける必要性が出てきます。そこで自由という抽象的な概念を持ち出し、「富裕層の財産に課税することは、経済的な自由を侵害することに繋がる」という表現で自らの狙いを偽装するのです。

曖昧な概念を使うことは非常に初歩的な偽装であるとデュヴェルジェは述べています。事実、このような偽装では政治的目的を十分に隠蔽することは難しいでしょう。しかし、富裕層は少なくとも自らの利害について言及することなく反対の根拠を述べることができるようになります。そのことが草の根の支持を掘り起こす際には、政治的には重要なことです。

一般的な価値に訴求する偽装

デュヴェルジェによれば、さらに手の込んだ偽装が行われる場合もあります。それは人々が一般的に持っている道徳心に訴求する偽装であり、デュヴェルジェは、その国で広く共有された価値体系を利用するような偽装が、このテクニックに該当すると述べています。

「価値を偽装に使用する方法はいろいろある。第一に階級や政党は自己の目標を全体社会に共通な価値の背後に隠すことによって、特殊な目標を表に出さず、自己を国民的な価値体系と一体化しようと試みる。各々が自分こそが国民的であると宣言して他の者をすべて党派的であると決めつける。彼らによれば、彼ら自身は国民であるが、彼ら以外はすべて部分的な利益を代表する党派にすぎない」(同上)

この偽装は、利害関係に基づいて支持政党を判断している有権者に対してはあまり効果が期待できません。しかし、善悪という道徳的な価値観に基づいて支持政党を判断する有権者に訴求することができるのであれば、このような価値観に訴求する偽装でも一定の効果が期待できます。

この偽装で重要なことは、やはり支持者を可能な限り多く動員することです。つまり、特定の人々にしか受け入れられていない価値観に訴求しても、期待される動員力は限定的になります。例えば、特定の民族集団を国内から排斥すべきだと主張するよりも、グローバル化の時代だからこそ、古来の文化や風習を大事に守り抜くべきだと主張する方が、結果として期待される動員能力は大きくなると考えられます。

繰り返しになりますが、偽装は特定の政治システムにのみ見られる戦略ではありません。それはあらゆる政治システムで駆使される基本戦略であり、政党や政治団体は自らの勢力を拡大するために、多かれ少なかれ偽装を行います。政治家がレトリックを駆使して自らの特殊な政治的な利益を国民的な利益に見せかけ、潜在的なメンバーから支持を調達する技術は政治家にとって必須のものであると言えるでしょう。

まとめ

イタリアの政治思想家ニッコロ・マキアヴェリは、政治家にとって嘘をつくこと、約束を破ることが、いかに重要なことであるかを論じていました。

マキアヴェリの議論を要約すると、政治における争いには二つの方法があり、一つは武力による方法、もう一つは言葉による方法でした。マキアヴェリは、主に君主同士の外交関係を処理する上で相手を言葉で欺く重要性を説いていたのですが、デュヴェルジェの議論は国内で支持者を動員するという観点から展開されているという違いがあります。

今後、選挙で候補者や政党が使用している言葉に意図的な曖昧さが見られるとき、あるいは特定の価値観に訴求しようとしているときには、この記事で示したデュヴェルジェの議論を思い出し、彼らの真の目的と偽装された目的との間にどのような関係があるのかを考えてみてはどうでしょうか。そうすれば、政治への理解を深める上で重要な視点が得られると思います。


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