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東京都庭園美術館「奇想のモード」展の鑑賞記を小説風に

これは東京都庭園美術館での「奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム」を観たわたしが勝手に妄想をふくらませ、その感想を小説風に書いてみたものです。主人公はしがない仕立て屋を営む「僕」。
ある日「僕」は、不思議な館のヴンダーカンマー(驚異の小部屋)への招待されることになり…

不思議な館のヴンダーカンマー

その屋敷は森の中にあった。美しい早春の森だ。

小雨のなか、桜の花びらがはらはらと降る庭を、僕は招待状を手に森を進む。黒い招待状には青いコルセットと玉虫色の甲冑襟の写真があしらわれ、鮮やかなショッキングピンクの文字で「MODE SURREAL」と印字してあった。超越のモード。屋敷のヴンダーカンマー(驚異の部屋)への招待状だ。

「MODE SURREAL」奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム

「ヴンダーカンマー」(Wunderkammer)とはドイツ語で「驚異の部屋」という意味で、15世紀から17世紀の王侯貴族が収集した物品を陳列した小部屋のことである。これらは「好奇心のキャビット」(cabinet of Curiosities)とも呼ばれ、珍しい動植物の標本、鉱物、技巧を凝らした工芸品、絵画、そのほかの古物など(ときには人魚やドラゴンのミイラなどといった怪しげなものまでもが)、ところ狭しと並べられていたという。

参考:『博物館の歴史・理論・実践1ー博物館という問い』今村信隆、藝術学舎、2017年


東京都庭園美術館「奇想のモード展」

森を抜けると、やがて目当ての館が現れた。およそ90年前建物だと聞いていたので、もっと古めかしい館を想像していたのだが、思っていたよりもシンプルでモダンな造りの館だった。

東京都庭園美術館本館(旧朝香宮邸)
本館 旧朝香宮邸 

外観こそシンプルだが、内装は意匠を凝らしたアール・デコ様式で統一されている。

玄関床の幾何学模様のモザイクはまるで魔法陣のようだ。きっとここから先が魔法の世界なのだ。

玄関床のモザイク

玄関ホールで出迎えてくれたのは、ルネ・ラリックの黄金に輝くガラスの女神であった。

ルネ・ラリック 旧朝香宮邸・正面玄関ガラスレリーフ扉

女神たちはガラス扉の表面から身を仰け反らすかのように浮きあがっている。彼女たちの滑らかなガラスの肌は内側から輝きを放ち、まるであたたかな体温を持っているかのようだ。美しい女性たちが魔術で生きたままガラスに変えられたようにも見えて、すこしドキッとする。

ふと、子どもの頃に見て恐ろしくなったアニメーションを思い出した。機械の体を手に入れようと銀河鉄道で旅する貧しい少年の話だった。お金持ち達はみな、体を機械に変えてしまったが、少年と母親は貧しく、機械の体を手に入れられなかった。そのため生身の人間である美しい母親は珍しがられ、機械伯爵の手によってはく製にされてしまう。それは子どもの僕にとって、あまりにも衝撃的なエピソードだった。しかし恐ろしさとともに、母親の悲しい美しさもまた、強烈な印象を残した。

ルネ・ラリック 旧朝香宮邸・正面玄関ガラスレリーフ扉

アール・デコ様式 1910年代から30年代にかけてフランスを中心にヨーロッパを席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなどすべての分野に波及した装飾様式の総称。直線と立体に知的な構成と、幾何学的模様が特徴。

東京都庭園美術館 案内パンプレットより


ブローチ・ビートル

館の中は薄暗かった。ヴンダーカンマーの貴重な物品を並べるためだろう。そのまま大広間へと進む。大広間の前にはいかめしい表情の制服を着た門番が立っていた。館の執事は招待状を手にした僕を認めると、どうぞと中へ招き入れてくれた。広々とした長方形の広間には中央に二体のブロンズ像が置かれている。

するといきなり、一匹の大きな玉虫が飛んで来て僕のコートの襟元に留まった。光沢のある緑、赤、金色の美しい玉虫色のブローチだ。19世紀の「虫を一匹丸ごと使った」ブローチ。みるとそのそばには小さな丸い虫のブローチも留まっている。光沢のある緑色の虫そのものに、金の留め金と台座をつけただけなのに、本当にブローチにしか見えなかった。その虫の名前はブローチハムシ。まったくブローチになる為だけに、生まれてきたような名前だ。いやしかし、その名をつけたのは人間なのだ。「装う」ことへの人間の欲望によってつけられた名前にすぎない。なのに虫たちは、装飾品になることをあらかじめ受け入れているかような完璧な姿で、美しくブローチとしてそこに存在していた。

やがてブローチ達は、次の招待客の襟元へと羽ばたいていった。

炎の女とフランスパン

執事の指し示す順路にしたがって大広間をあとにしようとしたときだった。

「ちょっと待ちなさいよ」

大広間を通り過ぎようとした時、女性の声に呼び止められた。振り返ると、誰もいない。

「あたいはここよ。ちょっと、ただの置物じゃないんだから通り過ぎないでよ」

それは大広間のブロンズ像だった。『炎の女』と名付けられたブロンズ像は、天に向け大きく体をのけぞらせている。反りすぎて支えが必要なほどだ。体じゅうには引き出しがついていて、その引き出しがごとごとと出たり入ったりしている。おまけに彼女の足元はぼうぼうと燃え上がっていた。

「すみません、気がつかなくて」僕は素直に謝った。屋敷の空間になじみすぎていて気がつかなかったのだ。

「わかってくれたらいいのよ。あら、アンタも装うことへの狂気に取り憑かれた人間だってわけね」

「ええまあ」

僕は、遠くの街でしがない仕立て屋をやっている。けれど炎の女にはどうしてそれがわかったのだろう。そう不思議に思っていると、炎の女は僕の気持ちを見透かしたように答えた。

「アンタの引き出しに繻子織のリボンが入っているからよ」

引き出し? ああ、ポケットのことか。そういえばコートのポケットに仕事に使ったサテン(繻子織)のリボンが入ったままになっていた。

「そう、すべての引き出しは繋がっているからね。じゃあアンタ、これ持って行きなさいよ。たぶん、役に立つから」と、彼女はお腹あたりにある引き出しからゴソゴソと長いフランスパンを取り出して言った。

「え、パン?」

渡されたフランスパンはホカホカとあたたかく香ばしい匂いがした。

「まさか、焼きたて?」

「そこはあたい、『炎の女』だからさ。まったくあたいを作ったダリっていうヒゲのおじさんがさ、そういう設定にしたもんだから。そのせいで引き出しにしまったものはみんなアツアツになるってわけ。ま、パンには向いてるわね」

「これって、道に迷わないようにパン屑を落としていくためのやつですか?」と僕は訊いてみた。確かに迷子になりそうな屋敷だったからだ。

「まあ行けばわかるわよ、じゃあ、迷子にならないようにね。召使いのいうことをよく聞いて」

僕は不思議に思いながらも炎の女に別れを告げ、大広間をあとにした。

サルヴァドール・ダリ 「炎の女」のスケッチ


熱帯密林の小客室、猿の毛のコート

その小部屋に入る前から、鳥の鳴き声とけたたましい動物の鳴き声が聞こえてきていた。まるでジャングルのようだ。おそるおそる小客室に足を踏み入れると、鳴き声はピタリとおさまり、僕はただ緑色の森の中にいた。部屋の中に森? いったいどういうことかと目を凝らすと、小さな客室の壁一面に森の風景が描かれている。屋敷の内装を手がけたひとり、アンリ・ラパンの描いた油絵だという。画家の魔法だ。

すると壁の濃い密林の中から、真っ黒な物体が現れ、僕が手にしていたパンの端をあっというまに噛みちぎっていった。

「うわあ」

驚いて振り返ると、小客室の暖炉の上に白いマントを着た黒いお爺さんが座り込んでいた。口をもぐもぐさせながらじっとここちらの様子を伺っている。違う。お爺さんじゃない、黒い猿だ。人間の黒髪のような艶やかな体毛の上に、真っ白な毛が生えていて、まるで白いマントを羽織っているように見えた。顔は黒髪のお爺さんのようで、どことなく愛嬌がある。

「うむ、香ばしいパンじゃ」

「あ、あなたは?」

「わしか。わしはアビシニアコロブス。そこに飾ってるジャケットの原材料じゃ」

森の手前に飾ってあったのは、1930年代の黒い猿の毛のジャケットだった。艶やかな長い黒髪のような美しい毛に覆われている。まるで人間の黒髪のようだ。

「わしらの毛を人間どもが気に入ってな。1920年代〜30年代にかけて、ご先祖様の毛をコートやドレスの装飾にたくさん使ったんじゃ」

「それは…どうも、すみません」

僕は申し訳ないような気分になった。人間が装うことの欲求は、どこまでいってしまうのだろう。ほんとうに恐ろしいほどだ。僕は言い訳するように慌てて続けた。

「でも最近は、ファッション界全体がフェイクファーの動きになっています。ほら、ここにあるメゾン・マルジェラ用にジョン・ガリアーノがつくったファーのミュールもフェイクファーですし、このスティーブン・ジョーンズのヘア・アクセサリーだって…」

「まあよい。お前だけのせいではない。お前にはうまいパンももらったからな」

「それで…まさか絶滅とかは…」

黒い猿は、長く艶やかな髪を揺らして首を横にふる。

「それはまだじゃ。しかしアフリカでも森が少なくなっておるから、わしらも年々住みにくくはなってきておるが」

「ああ、絶滅してなくて、よかった」

絶滅してないと聞いて少しだけ安心したものの、森の減少も人間の責任だ。

「…お前も、服をつくる人間だな」

「はい」

「つくるものには責任がある。心してかかれ」

「わかっています」

「フン」

僕が何かを言おうとするまえに、黒い猿は深い森の中に消えていった。残されたのは端っこが5センチほど噛み切られて、少し短くなったフランスパンだけだった。

身体を閉じ籠める装置、コルセットと纏足

各部屋に仕えている召使いの女性に案内され、次の間に進む。大客室には、招待状に印刷されていた青いコルセットと、纏足のための靴が展示されていた。身体を閉じ籠め、矯正するための装置たちだ。

細いウエストや小さい足が美の基準であった時代。理想のサイズに体を矯正させ、またそのからだを閉じ籠める為につくられたものたち。窮屈な装身具には刺繍や装飾が施され、肉体的な苦痛とは不釣り合いなほどに美しく彩られていた。しかしそれらは女性たちから活動性や自主性を奪っていくことになった。

コルセットや靴たちはもはや一言も語らなかった。彼女たちはとっくに居なくなってしまったかつての持ち主だけに忠誠を誓っているのかもしれなかった。閉じ籠める肉体を失ったそのものたちは、空っぽの鳥籠のように虚しく、けれども息を呑むほどに美しいのだった。

髪の毛、そして愛するものへの執着

屋敷の大食堂には、「髪」をテーマにした服が並べてあった。横たえられた、人間の髪の毛を使ったドレス。黒髪は三つ編みに編まれ、ドレスに変えられていた。

キャビネットには、人間の「髪」を閉じ込めたアクセサリーも陳列されていた。愛する故人の肉体の一部である「髪」を弔いのために身に着けるという「モーニングジュエリー」は、19世紀なかばに流行したという。

モーニングジュエリーのキャビネットは、他の招待客にも人気があった。年端のゆかぬ小さなお嬢さんまで、遺髪のアクセサリーを気味悪がることもなく黒い瞳でじっと見つめていたのが印象的だった。髪の毛、そして人の「死」は、何か人を本能的に引き付けるものがあるのだろうか。

図書館長の娘、エルザ・スキャパレッリとシュルレアリスム

そしていよいよ僕は、シュルレアリスムの芸術家と親交のあったファッション・デザイナー、エルザ・スキャパレッリの部屋へ。彼女を象徴するショッキング・ピンクのドレスが堂々と飾られていた。

オリエント学者や研究家の一族という裕福な家庭で育ったスキャパレッリは、幼い頃から多くの芸術家人脈に恵まれた。彼女はショッキング・ピンクを生んだデザイナーとしても有名である。

わたしの魔の前に色がぱっと浮かんだ。明るくて、あり得ない色。魅力的で、活気づけられる、世界中の光と鳥と魚を一緒にしたような色。(中略)強烈な色、薄めていない単一の色。(中略)そんな派手なピンクはだれも欲しがらない、頭がどうかしているのではないかと言われた。

エルザ・スキャパレリ『ショッキング・ピンクを生んだ女』ブルース・インターアクションズ、2008年
ショッキング・ピンクは「モード」を象徴する色だ

彼女はサルヴァドール・ダリとも深い交流があったことで知られている。

ダリはしょっちゅう訪ねてきた。ダリと私は一緒にダリの有名な絵画から、引き出しのたくさんついたコートを考え出した。

エルザ・スキャパレリ『ショッキング・ピンクを生んだ女』ブルース・インターアクションズ、2008年

シュルレアリスム舞踏会

大広間を抜け、サルヴァドール・ダリの「抽き出しのあるミロのヴィーナス」を横目に大階段を二階へ上がる。

屋敷の階段には、手すりや照明などいたるところにまでアール・デコの装飾が施されている。アール・デコ様式ではあるが、たとえば「青海波」と呼ばれる和柄の波模様に折り鶴があしらわれていたりと、和洋折衷な意匠が楽しい。

階段の途中から、楽しそうな人びとの騒めく声が聞こえてきた。何かの宴が行われているようだ。階段を上りきると、賑やかな舞踏会がひらかれていた。二階広間は奇妙な服装をした紳士淑女たちでごった返していた。

ポケットが引き出しのようにたくさんついたスーツ、ジャン・コクトーの女性の顔が壺のようにトロンプルイユ(騙し絵)になっているイブニング・コート、マッチ棒のイヴニングドレス。そしてそこにいる人びとはみな、そろいもそろって奇妙な帽子を被っている。

ロブスターの帽子、ショッキング・ピンクのベルベットのかかとで、小さな塔のように立っている靴の形をした黒い帽子、骨に白いフリルのついた子羊のカツレツのような帽子、鷺の長い毛の帽子や美しい羽の鳥をそのまま使ったものもあった。きわめつけは、フランスパンだ。リボンでフランスパンを結び、頭に乗せて、顎下で蝶結びにしている。

ああ、そうだ。と僕は思い出す。炎の女にもらったフランスパンがあった。僕はコートの引き出しに入っていた繻子織のリボンを取り出して、頭に括りつけた。僕はそれで、周囲から浮くこともなくその奇妙な舞踏会に潜り込むことができたのだ。

舘鼻則孝「ヒールレスシューズ/レディーポワント」2014年

首に額縁のネックレスをかけている人、南国の鳥の嘴のような靴を履いている人、人体(トルソー)のジャケット、花魁の高下駄のようなシューズを履いた人…。

串野真也「Sphinx of the forest」2017年
舘鼻則孝「ベビーヒールレスシューズ」2021年

これでは確かに、頭にフランスパンを括りつけるくらいのことをしないと逆に浮いてしまう。僕は心から炎の女に感謝した。

「そろそろ、お時間です」

部屋の片隅に佇んでいた召使いに声をかけられ、僕は屋敷の新館と庭へと案内された。曇ってはいたが、光が眩しかった。

そこでハッと我にかえる。今さっき屋敷で見たものは現実だったのだろうか。白昼夢にしてはリアルすぎる。これが、超現実主義(シュールレアリズム)なのだろうか。どうしても信じられなくて僕はこっそりと、召使いの目を盗んで旧館に戻ってみた。

大広間を通っても、ブローチ虫は飛んでこなかったし、引き出しのある炎の女は喋りかけてもこなかった。黒い猿も、フランスパンを盗みに来ない。ああ、そうだパンだ。僕は思い出して、頭に手をやってみたが、フランスパンはもうどこにもなかった。

あわててボケットをまさぐると、この館に来たときと同じように小さく丸められたサテン(繻子織)のリボンが、コートのポケットに入ったままだった。そっとリボンをひろげてみると、わずかにパン屑が残っていた。

僕は門番の目を盗んで、こっそりとそのパン屑を屋敷の床にまく。またここへ、戻って来れるようにと。そのとき炎の女がチラリとこちらを向いたような気がした。振り返ってみると、炎の女は相変わらず天井に向かってのけぞったままだった。

僕は奇妙な館を後にして新緑の森に戻った。

そうだ、炎の女にフランスパンの礼状を書こう。そして、コートのポケットに入れておこう。コートの引き出しに入れておけば、きっと彼女に届くだろう。すべての引き出しは繋がっているのだから。

燃えにくい素材に書かないとな、と僕は思う。



これは、東京都庭園美術館で開催された「奇想のモード展」にちなんで、わたしが勝手な妄想を膨らませてつくりあげた物語です。

実際にはブローチ虫は飛んでこないし、ダリの作品も喋らないし、奇妙な舞踏会も行われていなかったはずです。たぶん。(もしかすると、人の来ない夜中にはこっそりと行われていたかもしれません)

この展示は終了しておりますが、次回展「アールデコの貴重書」展は、年に一度の建物公開展となっているようで、窓のカーテンを開け放った旧朝香宮邸を、たっぷりと見学できるそうです。ほんとうに素敵な建物でした。関東に住んでいたらこの展示にも行きたいくらいです。

LOOKING AT ARCHITECTURE 2022 | 建物公開2022 | アール・デコの貴重書
2022年4月23日(土)ー6月12日(日)
開館時間 10:00ー18:00 休館日 毎週月曜日
東京都庭園美術館

https://www.teien-art-museum.ne.jp/


▼参考文献

・東京都庭園美術館『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』展覧会カタログ、2022年

・今村信隆『博物館の歴史・理論・実践1ー博物館という問い』藝術学舎、2017年

・エルザ・スキャパレリ『ショッキング・ピンクを生んだ女』ブルース・インターアクションズ、2008年



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