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余白
私は、この4月から新しいことにいくつか挑戦している。
その一つとして、塾講師のアルバイトを始めた。
本当なら、4月から華々しい講師デビューを飾るつもりだったのだが、このご時世で流れに流れ、つい先日ようやく初めて生徒を担当させていただくことになった。
しかし、自分の実力不足と生徒さんとの相性の不一致により、早速先生チェンジと相成ってしまい、ほろ苦いデビュー戦となってしまった。
そのことについても一度noteに書いたのだが、事があったその日に出すのはこのご時世もしかするとグレーなのではと思い、下書きに引っ込めてある。
悪態や個人が特定されるような情報も無いのだけれど、こんなところにも「石橋をたたいて壊す」でおなじみの臆病な性格が表れてしまう。
それはともかく、その講師業と近いかたちで、いわゆる学童のスタッフのアルバイトも始めた。
大きな声で言うには中身が釣り合わず恥ずかしいのだが、私は大学で臨床教育を軸に学ぶゼミに所属しているため、
広く子どもに向けた支援について関心があり、実践的な支援に携わりたいという願望がかねてからあった。
そんなわけで、大学での学びと現場での経験をリンクさせつつ、お給料もいただけるという素晴らしい環境で働かせてもらうことになった。
とはいえ、過去に定時制高校でのボランティア活動や、離島の小学校の授業に参加させてもらうなど、そういった場での経験が全く無いわけではなかった。
(無論、教職志望の方々なんかと比べれば私の知見など爪の垢ほども無いわけだが)
しかし、今回参加させていただくコミュニティには、比較的世帯所得の低い地域で、やや複雑な家庭状況を抱えるお子さんたちが多く、今までとはまた違った支援の難しさを感じた。
みんな非常に元気が良い反面、気分の浮き沈みが激しく、なかなか静かになることが難しい。
まあ小学生くらいの子どもはそういうものなのかもしないが。
スキンシップを求める場面も多いのだが、「密です密です」といたるところで聞こえるこのご時世だし、
そうでなくてもそれを全面的に許容すると、良くない影響を生む可能性もあるとかで、適度にあしらわなければならない。
しかしそれが難しい。下手すれば、子どもたちが無下に扱われたと感じて傷ついてしまうかもしれない。
いつになればこのあたりのバランス感覚を自分も身に着けることができるだろうと考えると、その途方もなさに思わず笑ってしまった。
そういったいわゆる”子どもらしさ”が目立つ一方で、時折見せるしっかりとした一面に、グッとくる場面が何度もあった。
例えば、すごくやんちゃで暴れまわるような低学年の子が、スタッフを呼ぶ際には必ず「○○先生」と敬称付きで呼んでいるところなんかを見ると、良い意味で違和感を感じる。
幼少期の思い出に照らし合わせると、それくらいの年齢で落ち着きのない子は、年上をわざと呼び捨てにしたりからかったりしていたものだったと記憶している。
ちなみにその頃から私は「石橋を(略)」だったので、親しくなりつつある大人や年上にも敬語が抜けず、あまり可愛がってもらえずにいた。後輩力がない。なんなら今もそう。
話を現代に戻そう。
他の子も、前で大人が話している時には手を挙げて「質問したいんですけど」と断ってから発言したり、
「これちょっと言いづらいことなんだけど」と、しっかりフォローの前置きをした上で隣の子を注意するシーンも見受けられて、やたらそういった印象が強く残っている。
(そうやってしっかり前置きした時に限って、大人から見るとさほど大したことではなかったりするから余計に愛おしい)
こういったことがもし特別なことなのだとしたら、
それはこのコミュニティのスタッフ(新米の私なんかが入る前からいらっしゃる方々)と子どもたちの信頼関係から来ているのか、
それとも彼らの養育環境に理由があるのか、
私が全くもってお門違いなことを言っているのか、
今後このコミュニティに関わっていく中で、じっくり見極めていきたいと思う。
「見極めていきたい」なんてかっこつけたことを言っておきながら、活動中の私は若き体力についていくのに必死で、スマートなはたらきかけなんて一切できておらず、なんなら後半は真っ白な灰みたくなっていたことを正直に白状する。
曲がりなりにも教育に関するゼミで学んできたというのに、
尊敬する先生や最高の同期、先輩、後輩に申し訳が立たない。
自力の足りなさと、種々の余白に思いを馳せる日だった。
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