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旅先で所持金0円になった僕が、自宅に帰るまでの記録〜前編〜

「財布がない。」

失くしてからわずか5分で気が付いた。
場所は分かっている。ついさっきまで使用していた、公衆トイレの手洗い器のふち。

歩いてきた道を急いで引き返す。
時計を見ると午後9時過ぎを指していた。日中よりも気温は大分下がっているが、8月下旬はまだまだ暑い。
少し走っただけで汗がぷしゅっと噴き出した。

道を辿りながら、私は反省する。
荷物がパンパンに詰まった大きなリュック1つで行動しているので、そこから一々出すのが面倒くさいからと、財布を手に持ったままにしていたのがいけなかった。やはり貴重品はちゃんとしまっておかなきゃいけない。うん、気を付けよう。
まあ、気付くのも早かったし不幸中の幸いってことでラッキーラッキー。
チャラチャラ自戒して、
汗を爽やかに拭いながら、
公衆トイレの入り口に再び足を踏み入れた。

・・・・・ない。
手洗い器のふちには何もなかったのだ。額から汗がナイアガラ。重いリュックを背負いながら、トイレの隅々を懸命に探す。
小便器の中、トイレの個室、便器に溜まった水、どこを探しても財布は出てこない。
頭が真っ白になり、身体が一気に硬直する。背中は汗でびちゃびちゃ、Tシャツと皮膚がじんわり同化していく。
私は殺風景なトイレの真ん中で呆然と呟いた。
「・・・盗られたんだ。」
気付いてから戻るまでの10分足らずで、悲劇は起こってしまったのだ。
不幸中の幸いではなく、
一転してただの不幸。
いや、これはただの不幸じゃない。
正確には『不幸中の不幸』だったのである・・・!!!

財布の中には身分証、キャッシュカード、現金が詰まっていた。
つまり、お金も下ろせない。完全なる無一文状態になっていた。
こうなると八方ふさがり。Suicaの残高は80円ほどしかなかったゆえ、とりあえず徒歩で両親と共に暮らしている自宅へ帰還。その後、父母からお金を借りて数日しのぐ・・・。
これが目の前に横たわる最善の手であろう。
しかしその策は、現実的に無理があったのだ。
なぜならば私が財布を盗まれたのは、
自宅から500キロ以上離れた西の都、
京都だったからである。

電話窓口でキャッシュカードを止めたのち、四条大宮の交番に向かった。かくかくしかじか事情を説明し、身分証がないからという理由で盗難届ではなく遺失届を記入した。  
「じゃあ、これで終わりです。見つかったら連絡がいきますので。」
おまわりさんはとても心配そうな顔をしていた。
「あの・・・これで終わりですか。」
「はい、手続きは以上です。」
「えっと・・・先程、さらっと言ったんですけど・・・僕、完全に一文無しで・・・。だからその、お金を・・・貸していただくことはできませんか。」
昔ネットで見たことがある。このようなケースの場合、警察はお金を貸してくれることがあると。
「すみません、それは出来ないんです。」
「ではどうすれば・・・」
「誰かに迎えに来てもらうしかないですね、ご自宅から。」
東京から。と言わないのはせめてもの心遣いか。警察は善良な市民の味方じゃないないのか!と喚きたかったけれど、失くしたのは自分であり、おまわりさんには何の罪もないので、善良で聴き分けのいい市民らしくちゃんと言葉を飲み込んだ。くそ、ネットの都市伝説を信じた自分が馬鹿だった。

重い交番のドアを開け、蒸し熱い外に出る。そして、大袈裟に有声でため息をつき、大袈裟にがっくりと肩を落とした。
もうこうなったら、おまわりさんの個人的人情にかけるしかない。この世の終わりを悟った青年の背中を、全身全霊で彼に表現してみせる。
1分くらいやり続けてちらりと振り返ってみたけれど、交番のエントランスにはもう誰もいなかった。

ひとまず母に電話をしてみる。
先程の交番と同じように状況説明をする。
しかし、
「なんとかしなさい。とにかく今は無理。」
と、あっけなく電話を切られてしまった。
まあ、そりゃそうだ。東京から京都まで迎えにいくなんて、そう簡単にできるもんじゃない。

ああ、どうやったら東京に帰れるんだ・・・。
学生時代を過ごした街、京都。黒くほろ苦い青春を包みこんでくれた母なる大地は、容赦なく私を突き放す。
ああ、身も心もカラカラだ・・・。
リュックのネットに突っ込んだペットボトルの水が揺れ、ちゃぷちゃぷかすかな音を立てる。

途方に暮れ、あてもなくぶらぶらと北上していく。とぼとぼと弱弱しい足取りで彷徨っているこの道は、かつて自転車を全力で漕いでいたバイタリティーロード。あの頃の懐かしさと現状の虚しさで、心のパーツがぼろぼろと砕けてゆく。
私に出来るのは、ただ歩き続けることだった。
「 ・・・大丈夫、何か策はある。何かだけど。」
ぶつぶつと呟きながら、
三条商店街を東へ進んだ。

そして私は、奇跡に出会う。
(続く)

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