(6)「緩急」による変化が、時として効果を齎す。
フィリピンとマレーシアの国境を跨ぐ様に散在するスールー諸島のとある島が、飲料水と蚊取り線香、殺虫剤を求めていると、フィリピンミンダナオ島とマレーシアボルネオ島に度重なるSOSのように何度も来ていた。
しかし、その海域の複数の島の周辺には中南米海軍の艦が配置され、航行出来なかった。
元々物資を届けていない取引先でもあるので、「軍に封鎖されており配送できない」と断っていた。
当初は上手くいっていた。島々では農作物や家畜を補い合い、ほぼ自給自足の環境を整えていたので、周辺海域を軍に封鎖されても何の問題も無かった。十分な対策が講じられていたので、海域封鎖程度では問題にはならなかった。寧ろ、手を掛けたのは島の防衛策だろうか。
武器弾薬類も十分に備えて、徹底抗戦の準備は整えた。相応の備蓄があると軍も分かっているのだろう。艦艇を離れた沖合に止めて、攻めてこようとしない。島の周囲に砦を設けて警戒にあたっているが、ドローンなどの飛来物も、ロボット兵の上陸も一度もなかった。
ただ、膠着状態が続いている状態だった。
厭戦気分が兵の間で広まりだした頃に、水がめとなっている島の貯水池の水量が急激に減りだした。雨季が終わってしまったのか降水に恵まれずに例年にない様な状況となる。要塞でもあるこの島では様々なサバイバルノウハウを実践している。
塩田を浜辺に作っていた。塩田層の下部にトタン板を埋め込んで、塩田に撒いた海水が斜面を流れてタンクに流れ込むようにしている。タンクの水を何度か散布を繰り返すと、なんとか飲めるレベルの塩水になり、塩の代わりに調理に使う「薄い塩水」程度にはなる。
それに島の周囲にはヤシも多数あり、ヤシの実も相当な量が取れる。水問題は払拭されるはずだった。
しかし、貯水量が減少してくると今度はヤブ蚊が増え始めた。貯水池に浅瀬や水溜りが出来、蚊の繁殖に適したようだ。
異常な繁殖による影響が出始める。兵の腕や顔は刺されて腫れ上がり、痒みに耐えられず掻きむしる。就寝時の蚊帳など完全なものはなく、穴だらけで容赦なく侵入してくる。致し方がなく、ボウフラの繁殖を抑える為に、浅瀬や水たまりに土砂を入れて埋め立てたのだが、森の中の水たまりや木の窪み等の至る所でボウフラが湧いているのが確認される。ボルネオ島とミンダナオ島の構成員や支援者に殺虫剤を求めても「その島であれば無理だ」と断られ、自然減少を待つしかない状況だ。
耐えかねた兵は森の木を倒し、木々の葉を枯らして火をつけて煙で燻し始める者も出てきたが、駄目だとも言えない状況になっていた。
士気が低下し、戦闘意欲が損なわれる事態に直面していた。
皮膚が爛れると炎天下での作業は耐えられない。塩田作業による飲料水生産量も労働量の減少と共に減り始める。ここへ水不足が加わると、島での籠城策そのものが脆くなり、深刻な事態となる・・。
籠城生活をする上で万全だと考えていた島に、渇水による蚊の増殖問題に加えて「水不足」という問題が伸し掛かろうとしていた。
今この状況が中南米軍に知られるのは、不味い。一斉攻撃されたら、ひとたまりもないだろうと指揮官は焦っていた。
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浜辺へ到着した際、素直にホールドアップに応じた。腕はパンパンで、軍人を組み伏せる力など少しも残されていなかった。
トリガー船をオールで漕ぐには厳しい距離だと分かっていた。想定以上にハードな作業となったのも、言い出しっぺの記者が漕ぎ手としてなんの役にも立たず、ライルとジゼルの2人で長い距離を漕ぎ切ったからだ。
同僚が本人と認めたために、記者は早々に開放されホテルに入っていった。一方で、ライルとジゼル2人の仮初の姿は、日雇い人夫でしかない。
土曜の夜でもあり、パラワン本島の漁協や役所も既に休みの為、身元の確認が即座に出来ない。最悪月曜の朝まで軍の監視下になると、警察から詫びられ、拍子抜けする。
中南米軍が設置した簡易シャワーを浴びてサッパリすると、軍人たちと同じ弁当を出される。「ビールも飲むか?」と、サンミゲルのロング缶を目の前に出される。
教義に反するがイスラム教徒だとバレぬ様に受け取って、喉を鳴らしながら一気に飲んだ。 街に潜伏する構成員として、時折飲まざるを得ない場面に遭遇する。度重なる経験が役に立った。
監視体制が敷かれた部屋に戻ると、警察の事情聴取に続いて軍の取り調べを受ける。
流石に構えて臨んだが、軍が知りたかったのはライルとジゼルについてではなく、新聞記者に関する情報だったので、拍子抜けした。
防虫スプレーだろうか?時に中南米軍の兵士がシュッシュッと腕に散布し、手のひらに取って顔に塗っていた。効いたのだろう。虫を払う仕草をしなくなった。その代わりにライルとジゼルに虫がやって来る。絶えず警戒し、手で叩いて駆除していたのだが、ライルが見かねて頼んだ。
「旦那、俺達にも虫除けを使わせてくれないだろうか?」と。
「それは、気づかなかった。すまんすまん。遠慮せず使ってくれ」そう言って兵がスプレーと思しき缶を投げてよこした。
「ありがとう、感謝する」と礼を述べてライルとジゼルが早速利用する。
ジゼルが缶に書かれた成分を見る。柑橘系の匂いはこれかと納得する。レモングラスとシトロネラのハーブとローマ字で「jochugiku」と書かれている。なんだろう?と思いながらジゼルがライルに訊ねるがライルも首を横に振る。蚊取り線香の原料に使われている「除虫菊」だった。
「せめてハーブが島にあればな・・」ライルの発言を部屋の隠しマイクが拾っていた。
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この日、貸し切りとなっているホテルでは、宇宙飛行士と政治家との懇親会が始まろうとしていたが、懇親会の前に宇宙飛行士達の定例会見が同ホテルで行われていた。
月面基地へ向かおうとしている日本人の情報を世論が欲しているとメディア側が説いて、毎週、宇宙飛行士が交代しながら、リモート取材を受けていた。
ベネズエラ大統領と宇宙飛行士のやり取りの中で、選考基準の一部が公表された。また、その動画の中で、選考基準は今後変更になる可能性をフィリピンの日本人議員たちが宇宙飛行士達に言及する。ベネズエラ政府、日本政府との関わりを否定しない議員たちの姿勢が明らかにされた映像だった。
彼ら彼女達が進出するフィールドは、人類には未知の世界、宇宙とする前提を踏まえて議員たちは話していた。人類の宇宙空間最長滞在時間は宇宙ステーション内でのヒトの滞在が基準となっており、今回のミッションでは参考程度のものに留めていると。何しろ、月面での長時間滞在はヒトの体には初めての経験なので、常に月面退去の可能性を考慮しながらの任務となる。
当初は2週間ごとのシフト滞在となる。
滞在するチームが交代しながら任務につくのだが、個々の宇宙飛行士達の検診結果やパフォーマンス分析結果から、2週間よりも短縮となるかもしれないし、期間が伸びる可能性もある。
つまり、今は仮説や推測の範疇で線引きされたミッションである為、推測の域を脱していない感はいなめない。宇宙飛行士達がモルモット状態にある面も、現段階では許容して貰うしかない。
無酸素、無重力という環境は人体にとって過酷な環境なので、個人個人の肉体と精神面等での耐久性が求められている。地上にいるよりも脳を始めとする内臓器官が酷使されるとみなされており、食事面の配慮がなされている。宇宙ステーションで多用されたチューブ食や電子レンジ調理の食品ではなく、地上同様の食事を摂取し、ビタミン類とタンパク質の数値を地上よりも上げるのだと言う。宇宙飛行士たちが安心して生活、研究出来る環境を提供しながら実証を重ね、基地のインフラ作りとヒトの月面での滞在ノウハウの整備に取り組み続ける事になる。
実証を重ねる中で、過剰なまでのビタミンやタンパク質は不要と見做されるかもしれない。そうなれば、野菜嫌いな人でも宇宙飛行士になれるかもしれない。その種の朝令暮改があらゆる箇所で発生し続ける・・かもしれない。
宇宙が人類にとって未知なる世界であるからこそ、トライする意欲に溢れる人々が居て、宇宙を知のラストフロンティアだと公言する学者たちが居る。宇宙空間での生息環境の維持の為に、多額の資金を投じる人々も居る。現状では、宇宙圏への人類進出に関する需要と供給体制は最良とも言える状況にある。
宇宙が未知の世界であるが故に、様々な可能性が見込まれる。
多種多様な人種やメンバー構成が効果を齎す可能性も指摘されており、第3次隊以降は混成チームが編成されつつあるとまで、フィリピンの日本人議員たちが証していた。
令和の日本人政治家達は、未来志向的な考え方を模索しながら自ら積極的に現場に関与している、と誰もが感じたようだ。官僚依存有りきで、思考停止状態の昭和平成の政治家とは明らかに異なる。
・・海外メディアはそのような受け止め方をしたようだが、古い日本のメディアはどうやら違ったらしい。
国際舞台の場では恐らく初めてとされているが、日本人が中心となり、日本が主導する立場となって宇宙へ向かう状況に、愛国心なるものを抱く人々が現れていた。
嘗ては島国らしい民族特有の排他的思考だとか、国際問題に及び腰で全く関与しないとか、陰や日なたで好き勝手に言われ続けていた日本人だったが、月面滞在プロジェクトが佳境を迎えようとしている中で、旧タイプの日本人に対する悪評を完全に覆したと言われるようになった。
日本人宇宙飛行士にも、真っ当な思考を持つ人物が現れた。いや、前任者たちも実は持っていたのだろうが、記者の陳腐な質問に仕方なく答えただけなのかもしれない。
民族的な習慣や慣例に一切捕われない日本人宇宙飛行士は、日本人記者たちが求める「決意表明」や「日本代表」的な熱い使命感や責任感を求めたがる姿勢を鼻で笑う。
「いい加減、そんな下らない質問はヤメにしませんか?」と。状況を理解していないメディアを冒頭から否定してゆく。
「そもそも日本の単独プロジェクトではありません。インドとの共同プロジェクトなのです。あなた方はインドの方々に失礼だと思わないんですか? それに、月面基地を建設したのも、シャトル打ち上げ施設もシャトルを製造したのも、ベネズエラです。ロシアやNASAのロケットで宇宙ステーションに行った日本人宇宙飛行士と変わりません。同じ状況なんです。あなた、本当に理解されてます? そりゃあ、誰だって胸に秘めた想いは1つや2つ位はあるでしょう。僕だってあります。でもね、どうしてそれを世間様に対して明かさにゃいかんのでしょうか?
甲子園球児のお涙頂戴の逸話だったり、世界大会の優勝者の血の結晶みたいな記事を、あなた方は求めますけど、そんな記事を書いて越に思わないでいただきたい。それこそプライバシーの侵害です。
なぜ日本とインド、そしてベネズエラが月面に向かおうとしているのか?そっちの深堀りが全くされてないじゃないですか、プロジェクトの思惑を理解せずに、月に着陸する一点だけ取り上げる。
だからスポーツ新聞みたいな質問ばかりするんでしょうね。全く時間の無駄です。僕らはあなた方のようにヒマじゃない。もう勘弁してくれませんか?」
「初の月面上陸の女性って言う取り上げ方は、不愉快です。100年近くも前にアポロ計画で月面を歩いている人が居るんです。何を今更って思わないんですかね?そんなのどうでもいい話だと思いますよ、私は。今後、月に向かう人も増えますから、ディズニーランドの客みたいなものになるんですよ。お願いですから、そんな肩書を私に付けないで下さい。日本のメディアは見出しを大げさなものににして、読者の目を引こうとしますけど、中身がスカスカな記事ばかりです。質問のレベルが芸能レポーター並です。兎に角勉強不足、低すぎなんですよ。だから新興のメディアに押されっぱなしになるんじゃないんですか?」
といった感じで、日本からリモートで質問する日本人記者たちが次々と血祭りになってゆく。そもそも、日本のメディア就業者はエリート達で構成されていない。時代は変わったのだ。
全国紙として発行部数を誇った会社も、今や地方紙並みの発行部数でしかなかった。
ーーー
海上封鎖中の島々に物資を運搬する手段は閉ざされている。
因みに、天然素材の虫除けスプレーは、この島に生息しているイエカには効いても、海上封鎖中の島々に異常発生中の大型で痒みの強いオオヤブカには効かない。
静音ドローンが深夜に紛れて貯水池まで飛来し、幼虫のボウフラが入った水を毎日のように放っていた。
籠城生活を過酷なモノにする為の中南米軍の作戦だった。武器となっているオオヤブカはビルマで大量に育てられている。普段は養殖淡水魚の餌として、幼虫のボウフラを利用しているのだが、諸島部などのエリア分け出来るエリアでは、ボウフラを成虫させて生物兵器として用いる。
仮にイスラム教徒達が白旗を掲げて降伏したとしても、島に最初に上陸するのは殺虫剤噴霧するロボット達だ。投降者たちを捕縛したら、ミンダナオ島サンボアンガ中南米軍基地に輸送する。すると島には人間が居なくなる。島の大ヤブカは殺虫剤によって一時的に減少し、間もなく雨季になり、増水した貯水池に放たれた養殖淡水魚の餌食となる。
生物兵器としての回収方法も徹底していた。
因みに、海上封鎖中のコストは「ほぼゼロ」だ。無人艦と海中に潜んでいる水陸両用モビルスーツのメンテナンス費用くらいなので、経費の類でしかない。
フィリピン、台湾、日本列島の様な大きな島になると難易度が上がるが、小さな島での籠城策は、籠城側の不利となる。今後、同様の手段に出る組織がいつ現れるか分からないので、中南米軍は封鎖ノウハウを開示しない。対策を練られると面倒なので。
中南米軍の参謀本部では、世界中の紛争情報が集められている。史実の正誤を問わず、歴史情報も取り入れており、AIが作戦立案時に様々なパターンを掲げている。今回の掃討作戦では「島」という立地が大きく影響した。
マレーシアとフィリピン両政府が「自国の組織ではない」と表明し、中南米軍の裁量に委ねられたのも大きかった。つまり、相手がイスラム国と同様に「無国籍組織」となるので、作戦内容や戦果を随時どこかの政府に報告したり、その国の軍隊と警察と連携する必要がなくなる。
仮に中南米軍アジトにミサイルを打ち込んで組織ごと壊滅したとしても、成果や被害の実態を公表せずに済む。つまりスキ放題、且つ遣りたい様に出来る。
ミサイルや砲弾を放たずとも、事態を終息する手段を見出していた中南米軍は、そんな第三者に委託したかのような策を実践中だった。
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ドアを叩く音がするので招き入れる。
背が高い男だった。G Iカットで薄い青色の丸目レンズのサングラスを掛けている。中南米軍の将校だと男は名のった。
「君たちがスールー諸島を基盤とする組織の一員というのは既に分かっている。これが島を出る際の君達だ。本人を目の前にして間違いないと思った」
英語をAI翻訳されたタガログ語がタブレットから流れるのと同時に、写真数枚がテーブルに置かれる。自分たちがハッキリと写っているので否定できず、黙り込むしかなかった。
先程までの緩い事情聴取とは異なり、空気も一変したのだが、続いての質問が意外なものだった。
「君たちの島は、蚊の襲来で酷い状態になっていると聞いた。どうだろう、殺虫剤や防虫スプレーを島へ届けてみないか?勿論、これは人道的な配慮だ。我が軍の包囲を一時的に解除する。君たちの船を寄越してもいいし、我々の船舶をつかっても構わない。そして仲間に投降を進言して貰いたい」
男がそう言って封に入ったドル紙幣を2人に手渡した。「土産でも買うといい」と。
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宇宙飛行士との懇親会の場ではカツラを冠って、サングラスを取って臨んでいた。
僅かな離席時間で、アクションを起こしたのはモリだった。
(つづく)