見出し画像

(2)過去との遭遇と、邂逅(2023.12改)

プルシアンブルー本社が入居していたビルに社会党富山支部が移転してきたので、副知事の村井幸乃は京都の阿闍梨々餅を菓子折りとして持参した。支部では大勢の学生と主婦のバイトさんが居て、電話対応に追われていた。
コロナ対策用の品々に加えて、新たに北米産の各種麦、トウモロコシ、コットン、大豆等の作物まで扱うようになった。政府提供価格より、市場価格よりも安いので県内各所から注文の電話とFAX、メールが今まで以上に増えていた。

全国都道府県の社会党支部でも同じような状況だという報告があり、「薄利多売であっても各支部の財政状況が改善するだろう」と目論んだモリの想定通りの展開となっていた。
「社会党に参加する」と宣言した際には、村井も「そりゃ駄目でしょ」と思ったが、今となっては浅はかだったと認めざるを得ない状況が目前で展開されていた。

岡山入りして、25日投票日の知事選を支援している鮎先生も、岡山の活況を喜んでいるだろう。
岡山では県内4箇所でPB Enagyのガソリンスタンドが今週からオープンし、連日賑わっているという。岡山県倉敷南部に220を超える事業所が属する水島コンビナートに、ブルネイ・バンダルスリブガワン港からやって来たサザンクロス海運のタンカーが入港した。
コンビナートにある中国地方を主力とする石油会社が所有する石油精製プラントで、ガソリン、軽油、灯油に精製後、PB Enagyの真新しいタンクローリー車に積み込まれ、岡山県内4箇所のスタンドに供給を始めている。
社会党が推す県知事候補者のHPには「東南アジア訪問の成果だ」として、精製プラントの埠頭に接岸した映像を掲げて、社会党・広報部門長であるモリの東南アジア訪問をさり気なくPRしていた。

岡山県内に社会党候補者の選挙カーは1台も走っていなかった。そもそも選挙カーを社会党は用意していない。
知事選を仕切る社会党中国支部長は、従来では考えられない異色の選挙選に驚いていた。
年内に知事選と市長選がある、東北支部長、北関東支部長、南九州支部長も視察に来ていたが、党が負担した選挙費用はポスターと選挙事務所賃貸料とスタッフのバイト代のみで済んだ。環境的にはプルシアンブルー社の事業に支えられた、と言っても過言ではない。

一方で与党サイドの現職の知事は、悲劇の主人公のような扱いを受けていた。
地元のデパート創業家の跡取りという生い立ちが前回の選挙ではウリとなったが、今回はアダとなる。
ネット販売で急成長中のファストブランド「pb」の上位モデルの製造を請け負っているのが岡山県下のアパレル企業なのだが、デパートの衣料品に比べて安価で品質も良いと評価されている。また、現在県内のアパレル企業はプルシアンブルー社から新たにコートやスーツの製造を請け負って生産をフル回転しているという。
衣料だけでなく、食料品も品質が良く、その上安いとなると、デパートの立場が無かった。

漁師と農家からは圧倒的な支持を獲得し、安い穀物が提供されて飲食店や食品会社は一斉に社会党支援に傾いた。プルシアンブルー社に買収された造船所は大型漁船製造をフルピッチで進めており、安価なガソリンが投入されて、今度は中国地方を商圏とする石油会社と業務提携を進めているという。

知事の選挙カーが県内を各所を走り回り、ウグイス嬢達は、虚しさを滲ませながら絶叫マシンと化していた。選挙事務所で電話を掛けても良い反応は全く感じない。
現職の知事なので多忙と解釈されて演説会も限られており会場が広い場所ばかりなのだが、残念な事に人が全く集まらない。ただ選挙費用をドブに捨てているようなものだった。

与党の3役が岡山入りするが、岡山県民の反応は非常に冷淡なものだった。
首相を始めとする閣僚の支援は見送られる。
大勢は決したと政府は見ていた。実際は社会党金森陣営との関係を損ねるのを避けたというのが、本音だった。また、検察との間で手打ちが密かに行われ、来月11月選挙が終わるまで元首相・元官房長官・元幹事長の追求はしない。これが各候補者への唯一の手向けとなった。
岡山知事と栃木知事は与党公認という肩書を隠して、知事としての実績を必死に訴えたが、ここ最近のプルシアンブルー社、社会党の進出による恩恵の前では塵芥の扱いでしかなく、何の訴求にも繋がらなかった。

2021年に予定されている各選挙地では現職が首長としての実績を強調し、市民県民への露出の機会を増やし始めていたが、やはり金の無駄使いとして終わってゆく。

ーーーー

中国内で大衆向けに製造・販売された欧州メーカーの中古車両が高騰しているとの噂が流れて、高級車並の中古車と同価格帯に近づきつつあった。プルシアンブルー社が程度の良い左ハンドル車を買い占めたのが、価格高騰に繋がったと中国の中古市場の関係者は分析していた。
同じ価格帯なら人は高級車を求める。新車生産がコロナの影響で激減している状況では、車両を求める人々の苦渋の判断となった。

その裏でこっそりと10年落ちの日本メーカーの左ハンドルの中古車が二束三文の値段で買われ、ベトナムへ運ばれ、屋根付きの倉庫に格納されていった。
プルシアンブルー社ベトナム法人代表の有賀侑斗は、ハノイ市郊外に自動車工場を建設すると発表し、取り急ぎ中古車の再生事業から始めるとアナウンスした。中古車と有賀は言ったが、欧州メーカーの中古車とまでは言っていない。しかし、何故か中国内の欧州メーカーの中古車は高騰する。その裏で、暴落してよりお買得となった中国法人製の日本車は、次々と貨物列車に積まれて、ベトナムへ運ばれていった。

タイ・プリーラムを訪問中のプルシアンブルー社のゴードン会長は、同市内に自動車工場とオートバイ製造工場の建設と、ラヨーン市に進出していたドイツ造船会社の工場を買収すると発表した。共にプルシアンブルー社とタイの王族が関与する投資会社「Thailand Investment」との対等出資となる。
自動車工場とオートバイ工場は王族の所有地に建設され、販売収益の65%を投資会社は得るという。

ゴードン会長と会見に臨んだThailand Investment社長のジェシカ・スワンナプーム女史は「今後はプルシアンブルー社のタイ国内における事業開発に共同で臨んでまいります。同社の先端半導体生産や高機能ソーラーパネル等の生産を行ない。タイ東部での雇用創出を計画しております」と述べた。

プルシアンブルー社が東南アジア各国の王族と事業開発に乗り出したのが明白となった。 
しかし、コロナ期間中なので自由に取材活動が出来ない。日本の外務省が政府専用機を飛ばしてまでも各国と外交を続ける理由や背景を掴めず、現地メディアの報ずる内容以上の情報を知る術は無かった。

ーーー

「タイで開催されるモーターショーは、日本のモーターショーとは全く別物だとお考え下さい」Thailand Investment社長のジェシカ・スワンナプーム女史は流暢な英語でゴードンとモリに説明していた。
「昨年までは3ヵ月に1度の割合で全国各地で開催されていました。年に4回は日本では考えられないでしょうが、主催者とメーカーの利に叶うから、なのです。
タイのモーターショーは未来のコンセプトカーの発表の場ではなく、新車の販売会場だとお考えください。車を購入する人々との商談スペースを、メーカーの展示ブースの隣に用意するのです」 

「それはディーラー店舗が大きな都市にしか存在しないからなのでしょうか?」

「タイ人なりの見栄なんだと私は想像しています。一部の僅かなお金持ちはディーラーで欧州の高級車を購入しますが、一般の人には自動車はまだ高嶺の花です。相応の財を投じるか、購入ローンを組むのか別として、購入には慎重となります。ディーラー販売員のセールストークではなく、メーカーのエンジニアの話を聞きたがるのです。大衆にとって車を購入するのは、資産を得るようなものです。通貨バーツが強くなったと言っても、いつ何時ドルの煽りを食らって新興国の通貨が暴落するのは何度も繰り返されていますから、クルマはゴールドと同じように普遍的なものとして解釈されているのでしょう。     
モーターショーの主催者はイベント後に入場者数だけでなく、ショー出展がきっかけとなった案件数をメーカーから集計して、受注台数と金額を発表します。去年の「モーターエキスポ2019」では、430億パーツ(約1500億円)のビジネス創出となりました。
購入予約する人が多いのは、モーターショー会期中だけ特別割引がされるなど、購入者側に有利な条件が提示されるからだ、とも言われています。同時にモーターショーに出展して受注数が多い車両は人気車として見做されます。メーカーも力を入れざるを得ないのです」         

「なるほど」先程から前のめりの姿勢になっているゴードンがモリの顔を見て頷く。
一々視線を合わせなくてもいいのだが・・。

「つまり、我々は他社には無い技術力を紹介すれば良い、と言う訳ですね」      

「仰るとおりです。高品質とロングライフ保証、低燃費も御社ならではの強みとなります。王族の方々に納得頂くのは骨の折れる作業なのですが、御社の製品では何の心配も要りません。即決です」 

ゴードンがジェシカさんに対して積極的な姿勢ではしゃいでいるが、そっとしておく事にした。 

ーーーー

農地視察に向かうバスの出発を待っていると、桜田詩歌がお辞儀して隣に座り込んだ。CA達の許可が降りたのだろうか?どこか神妙な顔をしている。
仕方がないのでショルダーバッグから「タイ王国編」のノートを取り出して、渡す。

「あ、ありがとうございます」と言って早速目を通し始める。外交官試験にパスしたのだから、基本的には優秀なのだろう。この数日間でCAの5人にはイジられキャラに認定されてしまったが。

バスが動き出す。モリのリクエストで王族の土地に寄る前に30年ぶりにクメール期の遺跡に滞在する。30年前はタイーポルポト派の紛争で遺跡の大部分が崩壊していたが、その後の多額の復興事業のお陰でかなり復元したと聞いたので、無理にお願いして寄って貰った。
ゴードンに至ってはチャーン島リゾートでのバカンスをちゃっかりと日程に組み込んでいた。

スマホが隣席からゆっくりと差し出されて来たので驚く。「タイ政府の転覆を先生は狙ってるのですか?」と書かれているので頷く。

「ベトナム・マレーシア・ブルネイ以外のASEAN全て、だね」と口にする。

現在のタイ政府は軍のクーデターで軍事政権下にある。2023年に次の選挙が予定されているので軍関係者が再選されない「支援策」に限定してゆく。カンボジア政府ほどではないのだろうが、タイの軍関係者からは面白く思われていないハズだ。
櫻田女史は頷くと、またノートを見始めた。今は見なくてもいいだろう?と思っていると、遺跡に到着する。バスを降りると玲子と由真が待ち構えていた。櫻田も加わって4人で団子状態で石段を登ってゆく。

「30年ぶりに再訪したご感想は?」

倒壊していた本殿がある程度再建されているので、声を失っていた。
タイ、東北部にピマーイ遺跡とやはり国境付近にパノルムン遺跡というクメール様式の遺跡がある。後者にはこの後で訪れるのだが、やはりカンボジア名プレアビフィア遺跡、タイ名カオビィラウィハーン遺跡の圧勝だった。それもそのはず、この遺跡は2008年に世界遺産に認定されている。遺跡自体はカンボジア領内にあるのだが、断崖絶壁の上にある遺跡なので、タイ側からしか入れない。アンコール遺跡群に続いてカンボジアの世界遺産になったので両国間で紛争となり、死傷者が両軍で多数出たのは僅か十年前の話だ。

89年当時の学生は、ポル・ポト派とタイ軍の交戦の跡を遺跡の残骸に打ち込まれた銃弾跡を探していた記憶が大半を占める。そんな話を玲子と由真にしていた。

「真面目なバックパッカーさん、だったんですねぇ」
タイでは通訳を務める岡山皐月が背後から声を掛けてきた。カンボジア王族姉妹を引率中の結城 綾が会釈して3人が抜き去ってゆく。観光客は我々以外誰もいない・・

「真面目だったのかな?今も分からないんだ。
当時は所持金も少なかったから、基本的にどケチ道の教祖兼、信者に徹していた。
金を減らしたくないから女性の居る店には絶対に近づかなかったし、高額な飲食店やホテルの敷居は跨がなかった。ただそれだけの話であって、女性に興味が無いわけじゃなかったと思う。バリみたいなリゾートに出向いて発散してたのも事実だ。そのおかげで里中女史に再会できた」
話を知っている玲子の顔を見て、互いに笑う。

「ひたすら歩いて街の中心から離れた一番安い宿を探して、極力自炊して、安くて金が掛からない地方ばかり徘徊していた。カンボジア・バッタンバンからの地方探訪で気持ちがはしゃいでる、懐かしがってるんだよ。こういう土地を転々として居たんだって。
当時の日本は周りを見ても、どこもかしこもバブル全盛期で国中が舞い上がってた頃だった。それでだと思うんだけど、絶えず息詰まるような感覚を感じていた。誰も当時の日本の空気を知らないよね?敢えて例えるなら、UAEのドバイかな?行ったことないんだけどね。そんな浮かれた日本から、ただ現実逃避していただけだなんだ。

そんな弱っちい日本の若造をアジアの地方の人達は温かく迎えてくれた。とても居心地が良かった。だからなのかな?あの頃の思考や発想、思いついたアイディアは日本に居たら、きっと生まれなかったと思う。間違いないのは、当時のアジア徘徊が僕の人生を決めた。農耕バギーのコンセプトを考えたのもタイ滞在中だったし、援助に対す・・っと」

「その御蔭でプルシアンブルー社は産声を上げることが出来た。ボスが海外志向になったのも大きい。・・政治が絡むのだけは完全に想定外だったけどね」
ゴードンまで盗み聞きしていた。久しぶりに気分よく話していたのに寸断されてしまった。

「いや、君たち夫婦だけでも、十分に成功していただろうよ」
そう言ってゴードンの顔も見ずに歩きだした。デッキシューズの薄い靴底で南国の日差しで熱せられた石畳の熱を感じる。グァテマラ・メキシコのマヤの遺跡、インカ帝国のマチュピチュ、ジョグジャカルタ遺跡群、バンコクの寺院等など、街の通りのアスファルトと同じ熱を。「帰ってきたんだ」と感傷的になっていた。

「私は今回の偶然に感謝しています。プルシアンブルーの皆さんにこうして出会えたのを、未だに夢の出来事のように感じています。皆さんは日本だけではなく、アジアであり、世界の希望になると確信するに至りました。
だから、それだから・・、私の出来る範囲ですから大したことはないのですが、それでも、私の全力で皆さんをサポートします!たとえ外務省に居られなくなったとしてもです!」

「櫻田っちはさ、弊社に転属したいの?」
志木が櫻田をからかう。展開が見えたので、先に歩いてゆく。それでも櫻田詩歌の精一杯の返答に期待している自分がいた。

「転属って突然言われても・・今はそこまではまだ考えていません!」

「彼がさぁ、「おいで、詩歌。僕の元へ」って、耳元で囁いたら、櫻田っちはどうする〜?」

「いっ、行きますう〜」

間髪入れずに答えたので、後ろは大爆笑となっていた。思わず顔がニヤけてしまった。

(つづく)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?