できるようになることで、できなくなることがあることを忘れないでいよう。
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「できるようになることでできなくなること」について書いていきたいと思います。
子どもと関わる方には特に読んでいただきたい内容です。
それ以外の方もコミュニケーションの役に立つのではないかと思いますので、ぜひ記事に目を通してみてください。
目次は、以下の通りです。
できるようになることでできなくなること
・「なぞなぞ」みたいな問いかけだけど
「できるようになることでできなくなること」って言われたら何を思い浮かべますか?
私は、この前お風呂に入っている時にふとこの問いが頭に浮かびました。
そこで思い浮かんだのが、言葉や技能の習得のことです。
例えば、言葉。
英語がすごくわかるようになったら、聞こえてくる英語で何を話しているかの内容がわかってしまいます。
わからない人は、何をいっているのか音だけ聞こえてくるので、内容がわかることはありませんし、気にも止めないでしょう。
これは、わかるようになったことで、何を話しているのかをわからないようにすることができなくなったと言えると思います。
自転車が乗れるようになったら、乗れないようにするのは逆に難しくなります。
このように、できるようになることは、「できないようにすること」ができなくなったりわからなくなったりすることなのかもしれないなと思いました。
・「できないこと」に対する理解が薄れてしまっていないか
できるようになることで失うことは、「できないことに対する理解」とも言えるかもしれません。
「そんなことない。」と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか。
逆上がりがどうやってもできない時の気持ちをできるようになってからも持ち続けられているでしょうか。
私はなくなるとまでも言わずとも「何だか薄れてしまう」と感じています。
こうした気持ちが薄れることは悪いことばかりではないですが、コミュニケーションをしていく上で、できない気持ちやうまくいかない悔しさへの理解が薄れてしまうことは気をつけるべきことではないかと思います。
できない気持ちに対する理解は薄まってしまう可能性があるということを意識して忘れないようにしておくことを私は大切にしていきたいなと感じています。
子どもと接していて感じた「できないこと」に対する理解の大切さ
子どもたちと接していて、「できないことに対する理解」はとても大切なのではないかと感じました。
「できないけれど、一緒に頑張ってできるようになろう!」と励まし合って課題に立ち向かう場面を現場ではよく目にします。
誰かができるようになって、「自分は、ここの部分を〜したらうまくいったよ」と教え合う姿はとても心温まるものです。
こうした場面を思い返してみると「できないことに対する理解」があるからこそ、互いの気持ちに響く言葉が送れているのだろうなと感じます。
私も忘れないようにしているつもりですが、子どもたちのやりとりをみていると自分は「できないことに対する理解」が薄れているんじゃないかなと感じます。
最近では、理解が薄れてしまわないように気をつけることに加えて、理解が薄れてしまっていることを自覚してその上でどうするかを考えるようにしています。
これは、子どもたちとのコミュニケーションだけでなく、大人相手でも同じようなことが言えると私は思います。
仕事でできなかったことやわからなかったことがあった時の気持ちは薄れていないでしょうか。
そうしたことを自覚して行動できているでしょうか。
私はこの記事を書いていて、意識を改めないといけないなと感じました。
「できるようになることでできなくなることがあるかもしれない。」
このことをご自分の生活や経験のワンシーンに当てはめて考えてみると新たな気付きがあるかもしれません。
ぜひ、試してみてはいかがでしょうか。
今回は、以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。
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