【光】の正体は【非空間】=【意識】=【時間】
上、過去記事から続きます。
■部分と全体〖要素還元主義の限界〗
■【境界(私)】がなければ【ワンネス=ト・ヘン=梵我一如】
いままであまり指摘してこなかったのですが、この方程式は、
部分は全体と不可分である
ことを指示しています。
「A」というモノがあれば、(それが「認識」できなかったとしても)」必ず「A 」とは別に「 非A」と 共に「 Aと非Aの境界(=私 )」が在るということを意味します。(3 = 1)
そうしてまた「存在の方程式」は、
「境界」は「({空間(身体)と時間(意識)である}私の存在により在る
という解釈ができることが分かります。
簡単に申しますと、
私
(という空間=身体=物質、
と、非空間=意識≒時間)
が存在しなければ、存在は一つ。
逆さからこのことを「わかりやすく」指示しますと、
「世界(宇宙)」が「部分」が集まって構成されている(ように感じる・思えるのは)「私」がいるから。
という「当たり前」に帰結します。
ここで留意しなければならないのは「私」の指示する対象についての理解です。
【非空間】と【非時間】と【非時空間】の「交わる場所」
【空間】と【非空間】の「境界」かつ【時間】と【非時間】の「境界」
【非時空間】の「現実」になる「ところ」
こそが【私】の正確な定義になります。
「私」がいなければ、「世界は一つ」で「部分・要素」がない?
「私」(の身体)がいなくたって「世界」はこのようにあるじゃないか、と他の「私」の死を以て推理するのは、まず「私」の指示する対象が異なることに由来します。100歩譲って、素朴実在論を採用したとしても、まず「あなた」という「私」がいらっしゃいますし、この角度から申しますと「私」とは「すべての認識主体」を指示します。そして認識主体は「物質(身体)」と「私の意識(精神・心)」で出来ています。
■【境界問題】の解決
簡単に申し上げますと
そもそもが「一つの全体である宇宙(非時空間=源宇宙)」に「主体(私)」が生まれることにより「三態(A + 非A + (Aと非Aの境界=私 ))」に分離した宇宙が、その後の「対称性の破れによる連鎖反応」で部分が構成される。
ので、「自(という部分)」と「他(という別の部分)」という解釈で「宇宙」をはかろうとすると「境界問題」が発生してしまうのです。この角度からでは「境界問題」は不可避です。(「意識の」だけではなく「物質(特に複合体)」にも「境界問題」はあります。ちなみに物質である生命体としての自他の境界問題は「免疫」という場において顕著に露呈していることと分かります。)
「存在の方程式」に立ち返りますと、そもそも「単体」で存在出来るモノは存在しないのです。(地のない図はない)
「要素還元主義」から世界を眺めると「それ(1)」と「これ(0)」の境が何処にあるのか?という問題に「区切り」がつかないことの訳(微積分を使っての無限の解釈では無限を表現できない)はここにあったのです。
■【非空間】とは【時間】なら【意識】として【光】
■【光】とは何か
【光(波動)】とは【非物質(非空間)】であると記せば、「なんだ、(言葉の決まりそのまま)その通り」です。
正確には【光】⊂【非空間】
前回の記事の通り【時間】も
【時間】⊂【非空間】
となりますから、
【時間】も【私の意識=精神・心】も【非空間】という「集合」の同位要素である、となります。
ここで【時間】=【光】という仮説に立ちます。
さて、【時間】とはなんでしょう。
イコール
【力】と呼んで不都合は起きるでしょうか?
ざっと検証してみましょう。
【時間】の非存在である【空間】とはどのようでしょうか。
それは、何を意味しているでしょう?
【時間】が非存在であれば【空間】の状態(物質のかたち、ありよう)は【変化】しません。
つまり【動く】ことはない。ということを指示します。
では【空間】で(が)【動く】為には何が必要でしょうか?
【力】です。
■【時間】と【空間】を混ぜるな危険!《「F=mg」の不思議》
「重力加速度(g)」とは「時間微分」ですから、その概念のうちに例の「微分の問題」をはらんでいます。(yの極限近似値xはyとイコールだという「トリック」が微積の考え方ですが、厳密には、違います)
【速度】は【距離(空間の単位)】と【時間の単位(⊂非空間)】の「比率」という「別の【宇宙】の界」の混合物です。
これは【時空間】という概念が間違っているということを指示します。
【宇宙】は【多次元】の【時空間】であるという「前提」が間違いの元だということです。
正確には【三次元】と【非三次元】非{【三次元】かつ【非三次元】}
と、理解して現象を解釈するべきなのです。
繰り返しになりますが【時間】は【非空間】という【空間】とは別の【宇宙】の【界】に属しています。それを同じ【界】として解釈しようとするところに「限界」(宇宙の全てをうまく記述できないという問題の本質)があるのです。
もっとはっきり申しますと
【時間(t)】という【非空間】存在を【空間】で表現することは「できない」にもかかわらず、同一空間において座標軸として【時間】と【空間】を表現(理解)しようとしたところがこの問題のキモになります。
また別の言い方をいたしますと
概念として『「虚」の空間』に属する【時間】を「有理数」として表現することは「現実」にはできません。(「同義反復・当たり前」)
そもそも時間は非空間であり「虚数」でありますから「実数」ではあらわせません。
この点こそが「境界問題」と「微積の問題≒ゼノンのパラドックス」を解く鍵なのです。
■【時間】とは【力】そのものであり【光】である
数式でこのことを証明しようとする場合、もちろん「微積分」を使ってはいけません。むしろ、(無限と無の在ることをごまかすためにニュートンが思いついた)「微積分」を使わずに「宇宙のありよう」を記述(言語化)する場合、このような推論が妥当である、と導き出されるはずなのです。
逆に、「微積分」を使って「宇宙のありよう」を記述しようとした結果、このことが、分からなくなっている、とも言い得ます。
■【エーテル】の復活は【非時空間】で→【時間】
■【エーテル】は【非時空間】で「発生」し【時間】を生む
【エーテル】そのものが【(時)空間】存在であれば、
という「性質」が必然とされますが、【エーテル】は【非空間(非物質)】存在なので、そのような条件とは無関係になります。
【非空間】においての【波動】の「媒質」について指示するなら【非時空間】そのものであるとなります。
語義矛盾を引き起こしますが、あえて指示しますと「【非時空間】が「媒質」となり起きた「振動」=【力(エネルギー)】が【時間】となります。
故に力【力(エネルギー)】は【時間】そのものである、と分かります。
■E = mc2
■光速を超えられない訳
【認識主体】不在の【空間】はありえず、【光】とは純粋な【非空間】である【意識】の別名であることは過去記事に於いて記しました通りです。
こう申しましたらいかがでしょう。
【光速】とは【光】そのものである。
なぜなら【光】は【時間】そのものであるから。
上の事象も【光】が「認識主体(わたし)」を境界にした【非空間(波動。究極にて非波動)】存在でありかつ【力】かつ【時間】そのものを意味していると理解すると「なぜ」そうなるのかが明確に分かります。
— 続きます。
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