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【光】の正体は【非空間】=【意識】=【時間】

上、過去記事から続きます。

■部分と全体〖要素還元主義の限界〗

■【境界(私)】がなければ【ワンネス=ト・ヘン=梵我一如】

A = A + 非A + (Aと非Aの境界=私 )

「あおいのきせき」より「存在の方程式」

いままであまり指摘してこなかったのですが、この方程式は、

部分は全体と不可分である

ことを指示しています。

A」というモノがあれば、(それが「認識」できなかったとしても)」必ず「A 」とは別に「 非A」と 共に「 Aと非Aの境界(=私 )」が在るということを意味します。(3 = 1)

そうしてまた「存在の方程式」は、

「境界」は「({空間(身体)と時間(意識)である}私の存在により在る

という解釈ができることが分かります。

簡単に申しますと、


(という空間=身体=物質、
と、非空間=意識≒時間)
が存在しなければ、存在は一つ。

逆さからこのことを「わかりやすく」指示しますと、

「世界(宇宙)」が「部分」が集まって構成されている(ように感じる・思えるのは)「私」がいるから。

という「当たり前」に帰結します。

ここで留意しなければならないのは「私」の指示する対象についての理解です。

三つ巴(三の秘密)

A =  A + nonA + 個の意識

「存在の方程式(あおいのきせきの知見」より
「クォーク(概念図)」wikipediaより概念図


【非空間】と【非時間】と【非時空間】の「交わる場所」
【空間】と【非空間】の「境界」かつ【時間】と【非時間】の「境界」
【非時空間】の「現実」になる「ところ」

こそが【私】の正確な定義になります。

「私」がいなければ、「世界は一つ」で「部分・要素」がない?

「私」(の身体)がいなくたって「世界」はこのようにあるじゃないか、と他の「私」の死を以て推理するのは、まず「私」の指示する対象が異なることに由来します。100歩譲って、素朴実在論を採用したとしても、まず「あなた」という「私」がいらっしゃいますし、この角度から申しますと「私」とは「すべての認識主体」を指示します。そして認識主体は「物質(身体)」と「私の意識(精神・心)」で出来ています。

■【境界問題】の解決

簡単に申し上げますと

そもそもが「一つの全体である宇宙(非時空間=源宇宙)」に「主体(私)」が生まれることにより「三態(A + 非A + (Aと非Aの境界=私 ))」に分離した宇宙が、その後の「対称性の破れによる連鎖反応」で部分が構成される。

ので、「自(という部分)」と「他(という別の部分)」という解釈で「宇宙」をはかろうとすると「境界問題」が発生してしまうのです。この角度からでは「境界問題」は不可避です。(「意識の」だけではなく「物質(特に複合体)」にも「境界問題」はあります。ちなみに物質である生命体としての自他の境界問題は「免疫」という場において顕著に露呈していることと分かります。)

「存在の方程式」に立ち返りますと、そもそも「単体」で存在出来るモノは存在しないのです。(地のない図はない)

「要素還元主義」から世界を眺めると「それ(1)」と「これ(0)」の境が何処にあるのか?という問題に「区切り」がつかないことの訳(微積分を使っての無限の解釈では無限を表現できない)はここにあったのです。

■【非空間】とは【時間】なら【意識】として【光】

■【光】とは何か

【光(波動)】とは【非物質(非空間)】であると記せば、「なんだ、(言葉の決まりそのまま)その通り」です。

正確には【光】⊂【非空間】

前回の記事の通り【時間】も

【時間】⊂【非空間】

となりますから、

【時間】も【私の意識=精神・心】も【非空間】という「集合」の同位要素である、となります。

ここで【時間】=【光】という仮説に立ちます。

さて、【時間】とはなんでしょう。 

イコール

】と呼んで不都合は起きるでしょうか?

ざっと検証してみましょう。

【時間】の非存在である【空間】とはどのようでしょうか。
それは、何を意味しているでしょう?

【時間】が非存在であれば【空間】の状態(物質のかたち、ありよう)は【変化】しません。

つまり【動く】ことはない。ということを指示します。

では【空間】で(が)【動く】為には何が必要でしょうか?

【力】です。

■【時間】と【空間】を混ぜるな危険!《「F=mg」の不思議》

「重力加速度(g)」とは「時間微分」ですから、その概念のうちに例の「微分の問題」をはらんでいます。(yの極限近似値xはyとイコールだという「トリック」が微積の考え方ですが、厳密には、違います)

【速度】は【距離(空間の単位)】と【時間の単位(⊂非空間)】の「比率」という「別の【宇宙】の界」の混合物です。

これは【時空間】という概念が間違っているということを指示します。

【宇宙】は【多次元】の【時空間】であるという「前提」が間違いの元だということです。

正確には【三次元】と【非三次元】非{【三次元】かつ【非三次元】}

と、理解して現象を解釈するべきなのです。

繰り返しになりますが【時間】は【非空間】という【空間】とは別の【宇宙】の【界】に属しています。それを同じ【界】として解釈しようとするところに「限界」(宇宙の全てをうまく記述できないという問題の本質)があるのです。

もっとはっきり申しますと

【時間(t)】という【非空間】存在を【空間】で表現することは「できない」にもかかわらず、同一空間において座標軸として【時間】と【空間】を表現(理解)しようとしたところがこの問題のキモになります。

また別の言い方をいたしますと

概念として『「虚」の空間』に属する【時間】を「有理数」として表現することは「現実」にはできません。(「同義反復・当たり前」)

そもそも時間は非空間であり「虚数」でありますから「実数」ではあらわせません。

この点こそが「境界問題」と「微積の問題≒ゼノンのパラドックス」を解く鍵なのです。

■【時間】とは【力】そのものであり【光】である

数式でこのことを証明しようとする場合、もちろん「微積分」を使ってはいけません。むしろ、(無限と無の在ることをごまかすためにニュートンが思いついた)「微積分」を使わずに「宇宙のありよう」を記述(言語化)する場合、このような推論が妥当である、と導き出されるはずなのです。

逆に、「微積分」を使って「宇宙のありよう」を記述しようとした結果、このことが、分からなくなっている、とも言い得ます。

■【エーテル】の復活は【非時空間】で→【時間】

■【エーテル】は【非時空間】で「発生」し【時間】を生む

【エーテル】そのものが【(時)空間】存在であれば、

エーテルが持つ機械的性質は、実に奇妙なものにならざるを得なかった。すなわち、空間に充満していることから流体でなければならないが、高周波の光を伝えるためには、よりもはるかに硬くなければならない。さらに、天体の運動に影響を与えないという事実から、質量粘性も零のはずである。さらに、エーテル自体は透明で非圧縮性かつ極めて連続的でなければならない。

wikipedia日本語版「エーテル (物理」)より

という「性質」が必然とされますが、【エーテル】は【非空間(非物質)】存在なので、そのような条件とは無関係になります。

【非空間】においての【波動】の「媒質」について指示するなら【非時空間】そのものであるとなります。

語義矛盾を引き起こしますが、あえて指示しますと「【非時空間】が「媒質」となり起きた「振動」=【力(エネルギー)】が【時間】となります。

故に力【力(エネルギー)】は【時間】そのものである、と分かります。

E = mc2

■光速を超えられない訳

【認識主体】不在の【空間】はありえず、【光】とは純粋な【非空間】である【意識】の別名であることは過去記事に於いて記しました通りです。

こう申しましたらいかがでしょう。

【光速】とは【光】そのものである。
なぜなら【光】は【時間】そのものであるから。

一般に、あらゆる情報物質は、真空中の光速よりも速く伝播することは不可能であるとされている。相対論の方程式によれば、光速よりも速く移動する物体を仮定すると、実数で表すことのできない物理量が現れ、質量が無限大になってしまうからである[11]

wikipedia日本語版「光速」より

上の事象も【光】が「認識主体(わたし)」を境界にした【非空間(波動。究極にて非波動)】存在でありかつ【力】かつ【時間】そのものを意味していると理解すると「なぜ」そうなるのかが明確に分かります。

— 続きます。

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