当然の帰結 「女湯に自称女の男」
「女装して女性用浴場侵入 津、容疑の男「私は女だ」と否認 三重」
(伊勢新聞)
誰もが絶対に発生するだろうと思っていた事件が、当然の如く発生した訳である。
例えば以下の様な記事を書く愚物は、猛省しなければならない。
一般社団法人fair とかいう、聞いたことも無い泡沫団体の松岡宗嗣なる極左(=詐欺師)がモノした記事だが、昨今世間を騒がせているLGBT法案の中身が理解抑制的な法案だとしたら、寧ろ安堵するべきではないか。何故なら、男が女性用浴場に「私は女だ」などと言って闖入してくるリスクを減らせるのだから。
この記事もイカれている。
大竹まこと、武田砂鉄、小島慶子。コイツらの様な不道徳者は徹底的に批判しなければならない。
呼び捨てにしているのは、敬称を付する価値が無いからである。社会を狂わせんとするプロパガンダを展開する輩に、敬意を払う必要は無い。
※補足①
LGBTとは何かと言えば、例えば親から十分な性道徳を得られなかったりなどして発症する、精神疾患の一種である。
人は先ず、この様な「事実」を受け入れ、理解しなければならない。
※補足②
LGBT理解増進法案とかいう極左法案に対し、左翼の自民党やら公明党やら日本維新の会やら国民民主党やらが「修正案」を出している。
それを前述した詐欺師(=極左)、松岡宗嗣のまとめた表があったので添付してみよう。
補足①で指摘した事実を踏まえ、どの様な「修正」が相応しいかを述べてみる。
※補足②-1.定義
性別というのは与えられるものだが、与えられたものを正しく理解する上で必要なのは、情報と知識である。
男性が自信を正しく男性だと、或いは女性が自身を正しく女性だと認識出来ていないなら、それはそういう精神病を患っているという事である。
「性自認」とか「性同一性」とか「ジェンダーアイデンティティ」とか、その様に頓珍漢な文言などお呼びでは無い。
この項目は、「病気」と書くべきだろう。
※補足②-2.基本理念
差別が許されないのは当然であり、それは病人も同様である。
LGBT精神疾患に関して言えば、治療を受けるのも受けないのも自由であるべきという事と、罹患者の方々を忌避してはならないという事である。
この項目は、「病気だからと言って差別する事は許されない」というのでどうか。
※補足②-3.調査研究
LGBT精神疾患はどの様なケースにおいて発症するか。それを防ぐにはどうすれば良いか。イスラム社会はLGBTプロパガンダに対し、毅然とした態度を見せてはいるが、一方でホモセクシュアルが多いのは何故か。
この様な調査や研究を民間が勝手にやる分には自由である。
ただし、性道徳の退廃によってLGBTが増加する事は既に明らかになっている訳で、政府が税金を使ってまで調査したり研究したりする必要は無い。
従って、この項目は「不要」とだけ書かれておれば良い。
※補足②-4.教育
「学校」を対象としている節があるので、私も「学校」を前提に書くが、本来なら、性道徳を子に与えるのは親の責務である。
だが、共働きでないとどうにもならない状況に追い込まれて久しい昨今、子に接する時間が限られてしまい、「ある程度の道徳教育も学校でやってくれると助かる」という要望が出るのは致し方無い事である。
学校がやれるとすれば、「性は男女の二種類のみ」という事実を明言する事くらいであろう。
※補足②-5.民間支援
もう何の書き様も無い。そんなモノは要らん。
と言いたいところだが、海外に進出している日本企業が、その国でLGBTファシズムを押し付けられ、不当な扱いを受けるという可能性もある。
その様な場合の支援が今後必要になるかも知れない。
この項目は、「国民をLGBTイデオロギーから守る」とすれば良い
※補足②-6.留意
修正案で、「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」という文言が加えられるという事だが、この一文に反対するのがLGBTファシストである。
バツを付けているのは件の松岡宗嗣というクソだが、この一文の何が問題だというのであろうか。
まぁこちらは文脈を分かっていないので、具体的にどの様な理由をもってして、すべての国民が安心して生活できるように留意してはイカンと思ったのかは知らない。
だが、少なくとも女性用浴場に自称女の男が侵入してくる状況が、まともじゃ無いのは明らかである。
では、再修正で新たに加えられた、「この場合において政府は、その運用に必要な指針を策定する。」という部分はどうか。
本来なら駄目も何も、この様な法案自体が不要であり、有害な訳だから、運用に必要な指針もクソも無い筈である。それを、敢えてその様な法案を態々作った上で、運用する為の指針を作るという事である。
余りにも愚かだが、外圧によってクソ法案を通すしか無くなった場合の苦肉の策として、こういった逃げ方も致し方無いのかもしれない。
いずれにしろ、この項目は本来であれば、「性は多様などという思想は純然たる悪であり、この様な思想に傾注する者が現れない様、日本国民は正しき道徳を得る様努力せねばならない」と書くのが良かろう。
※補足③
LGBT精神疾患に関して、「同性婚を認めろ」「認めないのは違憲」などとほざく不道徳者もいる。しかもあろう事か、「違憲」などという巫山戯た判例まで出てくる始末である。
もし本当に違憲という解釈が出来てしまうのであれば、それは憲法の方が間違っているという事に他ならない。
この点においても、憲法改正(※補足④)は必須である事が窺える。
※補足④
今の日本国憲法に関して、我々日本国民はその様に呼称してはならない。「GHQ憲法」と呼ぶのが正しい。
憲法改正とは妥協案である。
本来ならばGHQ憲法などさっさと破棄し、大日本帝国憲法を戻してそれを改正するか、一から作り直さなければならない。
しかし、国防が危機に瀕している現状を鑑みれば、何十年も掛けて理想的な憲法を作っている時間が無い。致し方無しの「(GHQ)憲法改正」である。
しかし、驚くべきは当時の米国極左である。
まさか同性婚を認めないのが違憲などという、その様にイカれた解釈が出来てしまう作りになっているとは。
思わず、「敵ながら天晴れ!💢」と叫びそうになってしまった。
※補足⑤
上記リンクの記事で次の様な一文がある。
法案を巡っては「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」との規定が追加され、性的少数者を危険視するかのような文言だと反発を呼んでいる。
性的少数罹患者を無分別に危険視してはいけないが、女性用浴場に自称女の男が闖入してきた実例等を鑑みれば、ある特定の条件においては、あながち間違った解釈でも無さそうである。
※まとめ
性は多様では無く、男女の二種類しか存在しない。
性は自称では無く、生物学的見地によって決まるものであり、これに逆らう事は許されない。
LGBTは精神疾患である。
LGBT精神疾患の治療を受けるのは自由である。
LGBT精神疾患を放置するのも自由である。だが、それによって発生するリスクは理解しなければならない。
病人に対する差別は許されない。
病人であるが故に任せられない役割(仕事など)は厳然として存在する。任せてもらえない事をもってして「差別だぁ( ´Д`)」などと叫んではならない。
自称女の男は女性用浴場に闖入してはならない。
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