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なぜ、偏差値の高い大学の学生には、お洒落な子が少ないの? (ファッション社会学。日本篇。)

かれら彼女らにとって衣服とは、暑さ寒さをしのぐもの。そして清潔に見えることを心掛ける。人類普遍的な価値観と言えましょう。ただし、それはあくまでも身だしなみ grooming であって、お洒落fashion~style とは別のもの。



この理由は、まず最初に偏差値の高い大学の学生たちは観念操作に秀で知識ベースで生きているがゆえ、ファッションという記号操作とデザイン、そしてシルエットでできている着こなし語法をなかなか使いこなせません。


しかし、よりいっそう強い理由は、かれら彼女らの着こなし価値観が、ファッションの記号操作で遊び他人と差をつけるよりも、むしろ自分自身を中庸かつニュートラルに表象しておくことこそが無難であるというものだからでしょう。かれら彼女らは理解しています、着こなしで目立ったところでコミュニケーションのノイズになるだけで、しかも万が一にも相手に(こいつは危ない奴)と目されでもしたならば人生の大損害になることを。なるほど、これは日本人の人生戦略であり、まさに日本社会の縮図ですね。〈日本人が信じるところの普遍〉だけを認め、そこからの逸脱を許さない。しかも、日本社会は自分たちの社会が備えた癖(個性~偏向)に対する「普遍的な」理解を欠いています。



もっとも、日本が誇るUNIQLOMUJIは、そんな保守的なファッション観が世界にもあるていど通じる価値観であることをも示しています。じっさいそれは価格帯こそ違えどもたとえばフランスのブランド agnes b のファッション観にも通じています。それでも欧米人によるそれらの着こなしはいくらか違っているとはいえ。着こなしはアイテムの組み合わせですからね。



あきらかにここには同調圧力 peer pressure があります。なお、同調圧力は世界中のどこにだって存在します。ただし、世界各国の同調圧力がほぼコドモ社会の問題であるのに対して、日本では全世代、社会全体に及んでいます。もっとも、そんな日本社会とて着こなしで他人と差をつけたい人もいて。とはいえ逸脱を許さない社会ゆえ、おおむねそれはアイテムのブランドや値段でもってなされます。(むしろムスリム女性の人それぞれのヒジャブの選び方かぶり方の方がファッションを楽しんでいるように見受けられます。)あとはせいぜい日本人がファッションで差をつけるのは男性知識人が好きな、マオカラーシャツにジャケット(あれもまた知識人の制服ですね)くらいしかおもいつきません。




もっともそんな同調圧力下に生きる日本人とてファッションで極端に差をつけたい人たちもいて、たとえば芸能人、アイドル、ロックンローラー、ギャルちゃん、キャバ嬢、トランスジェンダー、ヤンキー、ヤクザなどの方々です。ただし、そんなかれら彼女らとて、ファッションで自分がどんなソサエティに帰属しているかを示しているだけのこと、とくに個性的というわけでもありません。



そんななか定年退職後の老人(おじいさん)のなかにはへんてこりんに若作りしておられる人がけっこうおられます。たとえば野球帽をひさしを横にしてかぶり、ジャージーを着て、リーヴァイスを穿き、ハイテクスニーカーを履いておられたりします。他人のご趣味にとやかくはありませんが、これはおじいさんが定年退職後に着こなしの自由に目覚めはしたもの、しかしおじいさんが社会のどこにも帰属先を持っておられないからでしょう。同様に、ハローワークに通う人たちのなかにも、着こなしの壊れた人がやや多い。



それに対して、いかにユニクロやMUJI が世界的な企業であるとはいえ、しかし外資系企業のサラリーマンたちは(役職/ヒラの違いはあれども)人ぞれぞれかなり自由な着こなしをしています。それは欧米社会が自分の個性を示すことなしには、他人から評価されない社会であることを示しています。同様に、欧米人が作り出す音楽が人それぞれきわめて個性的であるのは、欧米社会の価値観の反映でもあります。



もっとも、ヨーロッパとてそれぞれお国柄もあって。顕著には地域ごとに色感が違う。イタリア人は原色をぶつけあったコントラスを好むのに対して、たとえばベルギー人はグレイッシュなくすんだ色彩を好む傾向がある。(アジアとて同様で、インド人は原色をぶつけ合うことを好み、他方、日本人は江戸時代には派手好みに見えなくもないものの、近年は中間色やモノトーンへの親近性が高い。)



とはいえ、ヨーロッパ各国の服の着こなしの違いは微妙で、たとえばフランス人がみんなベレーをかぶり、ドイツ男がレーダーホーゼンを穿いているわけでもありませんものね。また、お祭りなどで着用される伝統服は国ごとに違うにせよ、しかし、日常的な着こなしにはそれほど違いはないかもしれません。むしろどこの国とて都市部、農村部、リゾート地での人々の着こなしの違いの方が大きいとも言えるでしょう。むしろ、よく話題にのぼるのは〈アメリカ人の着こなしは、われわれヨーロッパの着こなしは違う〉というもの。なるほど、あるていどは事実でしょうが、しかし、この話題の背景にはヨーロッパ人のアメリカ人に対する複合感情が覗いてもいます。



しかし、それであってなおどんな社会に育ったかによって違った価値観の人が育つものではあって。それは外資系企業勤めの人たちの着こなしを見れば一目瞭然です。たとえば、帰国子女が日本に帰ってきてたいそう生きにくいのは、かれら彼女らが内面化している価値観が日本社会のそれではないゆえ、あれこれ些細なことでさえも、小衝突が生じてしまいがちだからでしょう。したがって、日本人のコドモを大枚払ってインターナショナルスクールへ入れるのは、必ずしも得策ではないでしょう。対照的にたとえばインド人たちにはコドモを断固インターナショナルスクールに通わせる人が多い。理由はたとえ学費がどれだけ高かろうとも自分のコドモが日本でしか生きられなくなるようにはしたくないからでしょう。もっとも、IT関係の在日インド人のなかには少数派ながらコドモを公立に入れる親もまたいます。せっかく日本で育ったのだから日本文化に馴染みなさいというわけ。ところがインド人の子は弁当にビリヤニを持って行って、(かあいそうに)日本人の同級生から「おまえの弁当、くせーんだよ!」などといじめられたりします。



それでも日本でも芸能界は個性が商売ゆえ、芸能人には比較的に帰国子女が多い。岡村靖幸さんはおとうさんがエールフランスのパイロットでたしか6歳までロンドンで育っておられます。コドモの頃の岡村さんはピンクのパンツを穿いていたゆえ、ロンドンのコドモたちにピンクパンサーと呼ばれたそうな。女装家のミッツ・マングローブさんは横浜の生まれ育ちながら小中学校はロンドンです。田中みな実さんはニューヨーク生まれで、ロンドン、サン・フランシスコを転々として小学6年生で帰国。みなさんコドモ時代にさぞやご苦労があったことでしょう。母語から切り離され、よそ者として異国で育つことはなみたいていの苦労ではありません。小説家の水村美苗さんは『私小説 from left to right』(原著1995年、ちくま文庫)で、世田谷で生まれ育ち、おとうさんの仕事の関係で12歳でボストンへ渡ったご自分の苦しみ悲しみ、そして孤独のなかで樋口一葉、夏目漱石、太宰治を読むことに救いを求めたボストンでの少女時代を、私小説にしておられます。この話題に関心のある方にはお勧めです。なお、水村さんの化粧の仕方はいまなおアメリカンです。



他方、日本で育ち日本で暮らす日本人の多くがいつまでたっても英語をしゃべれるようにならないこともまた、日本人にとって、「おれがおれがの英語の論理」が馴染まないからでしょう。結局、そんな日本でもっとも国際化しているのはたとえば鮨職人かもしれません。たとえその鮨職人がまったく英語をしゃべれず、ポケトークで外国人客と会話をしていてさえも。なぜなら、いまやSUSHIは世界中の人がご存じの、食の英語の一角を担っていますから。



なお、イラストは大石蘭さんの作品をお借りしました。

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