jullias suzzy

調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分ではお洒落な奴だとおも…

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調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分ではお洒落な奴だとおもっている。美女とおしゃべりするのが好き。世間知らず。掃除が苦手。バカとインテリの中間で生きています。julliassuzzy.tokyo@gmail.com

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メイドカフェ進化論。秋葉原の光と闇。そしてメイドたちに流れる江戸っ子芸者の血。

ゴールデンウィークのある日ぼくは秋葉原を通り抜けていたら、盛大なコンセプトカフェ・イベントに遭遇した。たくさんの参加者が群がり、客の求めに応じて、コスプレイヤー嬢たちはにこにこスマイルでポーズをとってチェキに応じています。もちろんギャラリーのなかには外国人観光客も混じっています。同業者の女の子たちもまた。しかも、コスプレイヤーたちのその完成度の高さ。ぼくは驚いた、この二十年間でメイドカルチュアはとんでもないレヴェルまで進化していた! おもえばメイドカフェが話題になったのは2

    • なぜ、偏差値の高い大学の学生には、お洒落な子が少ないの? (ファッション社会学。日本篇。)

      かれら彼女らにとって衣服とは、暑さ寒さをしのぐもの。そして清潔に見えることを心掛ける。ファッションの記号操作で遊び他人と差をつけるよりも、むしろ自分自身をニュートラルに表象しておくことこそが人生における無難な戦略と考えているからでしょう。はやいはなしがかれら彼女らは理解しています、着こなしで目立ったところでロクなことはない。なるほど、これは日本人の人生戦略であり、まさに日本社会の縮図ですね。しかも、日本が誇るユニクロやMUJIは、そんなファッション観が世界にも通じる価値観であ

      • Where are you from? コンビニで外国人レジ打ち担当者に訊ねてみる。

        近年東京都内のコンビニでは外国人バイトがやたらと多い。どうやら多くの国では、〈日本でコンビニバイトをするための3か月研修プログラム〉が存在するという噂も聞く。なるほど、かれらはかんたんな日本語(接客会話)ならば使いこなすことができる。 ぼくはコンビニで外国人バイトに当たったときは、レジでカネを払うついでに、笑顔でWhere are you from? と訊いてみる。相手がネパール人の場合ぼくは言う、「おぉ、ダルバートの国だね、おいしいよね。」トルコ人の場合は「地震大変だった

        • 政治に対する怒りを音楽で表現してどこが悪い! 死んだケネディ大統領を名乗るカリフォルニアのバンドは1980年、カンボジアの休日を歌った。

          どこの国とて政府は必ずしも国民の命を護ってはくれない。2020年以降のコロナとワクチンの時代にわれわれも学んだこと。さて、時まさにカリフォルニア州が、1960年代後半の、ロックンロールとLOVE & PEACEとマリファナのヒッピームーヴメント、意識の拡張と称してLSDでトリップをたしなみながらロックを楽しみ、ニューエイジ・サイエンス、エコロジー運動のメッカであったことを完全に過去のものにし、1980年を境に、隆盛するハリウッド映画と、半導体、軍需産業、宇宙開発先端の地シリコ

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        メイドカフェ進化論。秋葉原の光と闇。そしてメイドたちに流れる江戸っ子芸者の血。

        • なぜ、偏差値の高い大学の学生には、お洒落な子が少ないの? (ファッション社会学。日本篇。)

        • Where are you from? コンビニで外国人レジ打ち担当者に訊ねてみる。

        • 政治に対する怒りを音楽で表現してどこが悪い! 死んだケネディ大統領を名乗るカリフォルニアのバンドは1980年、カンボジアの休日を歌った。

          おじさんがいちばん美しいって感じるものって、なに?

          おじさんは3秒間考えた後に答える、「モナリザ!」 ぼくは爆笑してしまう。だって、それは嘘だろ、っておもうから。こういうふうにおじさんは(けっして自分の心に問いかけることなく)つねに無難な答えを探してしまう。逆に言えば、おじさんがふだんの暮らしのなかで美に心を動かされることがないことが、このせりふでバレてしまう。 美はどこにでもある。夜明けの昏青い空。近所に咲いている淡いピンクの薔薇。どこにでもいる鳩のなかにだってときに美しい鳩もいる。ふんわりした髪と優しい笑顔のスーパーマー

          おじさんがいちばん美しいって感じるものって、なに?

          花について。

          ぼくは神保町へ行く機会がやや多いので、地下鉄駅改札外の青山フラワーマーケットをよく眺める。花屋もまた店ごとに品揃えが違うもの。さすが青山フラワー、土地代のバカ高い本店で立派にご商売をされているだけあって、カラフルで人目を惹く吸引力の高い花々が並んでいます。たいへん人工的な美がそこにあって、それもまたぼくはけっして嫌いではない。花の最前線でもまた遺伝子組み換え技術が多彩に駆使されていて。いまや青い薔薇を作ることさえできる。 薔薇は世界に広く咲き、しかも種類が膨大にあって。その

          花について。

          東洋的世界観を西洋の「言葉」で表現すること。(韓国人ピアニスト、yeonjoon yoon による試み。)

          たとえば茶道を英語でどう表現すればいいだろう? 岡倉天心はやむなく”tea ceremony”と表現したけれど、しかし、これでは『不思議の国のアリス』の「どこまでいってもお茶の時間」のエコーが無駄に響いてしまって、なんかちょっと違う。では直訳して、”tea way” ならばどうだろう? なるほど、道教的な神秘を纏うものの、実際にはなにも言っていないにひとしい。 同様に、華道を"flower arrangement"と訳したところでナンセンスでしょ。書道を"calligrap

          東洋的世界観を西洋の「言葉」で表現すること。(韓国人ピアニスト、yeonjoon yoon による試み。)

          西洋近代音楽はいかに民謡性を抑圧してきたか? そして「日本でビートルズがあんなに受けたのに、どうしてプレスリーはそれほどには受けなかったか?」

          西洋近代音楽は見かけ上バッハ以降のドレミファ平均律によって抑圧されてはいるものの、しかし、その古層にはユーロ民謡~ユーロ演歌が息づいていて。たとえばリストの「カンパネルラ」や、ショパンの『マズルカ』(ポ-ランド舞曲集)、バルトークのピアノ曲、ドボルザーク、はたまた日本の学校の音楽の授業にさんざん採り入れられたスコットランド民謡・・・。それらは日本人の心をも締めつけます。 次に、大瀧詠一さんはこんなことをおっしゃっていたもの、「日本でビートルズがあんなに受けたのに、しかしなぜ

          西洋近代音楽はいかに民謡性を抑圧してきたか? そして「日本でビートルズがあんなに受けたのに、どうしてプレスリーはそれほどには受けなかったか?」

          ピアニストが描きだす音楽の線と色彩。(作曲家‐ピアニスト、石田幹雄さんの世界。)

          ピアニストの指が動き、 音が生れ、やがて音は線を描き、 線が運動をはじめる。 なめらかで歌うような線。 そっと囁きかけるような線。 ジグザグな線。 弾け飛ぶような線。 聴き手にとってはまるで 画家が線描を描いている姿を、 傍から眺めているようだ。 いつしか聴き手は、音楽が生れ、 息づき、動き、変化してゆく、 生きている時間のなかへ、 放り込まれる。 ピアニストは色彩も使う。 夕陽のように柔らかで温かい色彩。 夜明けの湖のように青く怜悧な色彩。 夜の闇のような漆黒の色彩。

          ピアニストが描きだす音楽の線と色彩。(作曲家‐ピアニスト、石田幹雄さんの世界。)

          国家が国民をいたぶり過ぎると、高速道が倒壊するの法則。

          どんなに構造計算が精緻になされていようとも、しかし、実際には建築は現場の関係者全員の誠実の上に成り立っています。もしも誠実が失われれば、建造物は崩壊してしまい、多くの人の命が失われてしまう。 2024年5月1日、中国・広東州で高速道路が突然崩壊し、24人の死者が確認されています。 なんて怖ろしいことでしょう! 儒教や老荘思想を生み、文学者・魯迅を育て、雅な音楽を作り上げて愛し、はたまた餃子にシウマイ、青椒肉絲、 酢豚、フカヒレスープそのほか夢のように立派な料理体系を築き上

          国家が国民をいたぶり過ぎると、高速道が倒壊するの法則。

          フジコ・ヘミングさんのピアノ演奏は19世紀の典雅をおもいださせてくれる。

          演奏法も時代の音楽観~音楽美学によって変わるもの。同じ曲でも違って聴こえる。たとえばアルフレッド・コルトーとマウリッツィオ・ポリーニでは曲に対する態度がまったく違う。コルトーが演奏する、たとえばシューマンの『子供の情景』や、ドビュッシーの『子供の領分』は、まるで話し上手の名優が語る物語のようだ。他方、ポリーニの演奏は垂直的で正確きわまりなく、たとえばバルトークのピアノ協奏曲1番2番は、その正確なリズム感とダイナミックスがめちゃめちゃかっこいいけれど、でも、だからといってポリー

          フジコ・ヘミングさんのピアノ演奏は19世紀の典雅をおもいださせてくれる。

          どうして英語には「彼女たち」がないの?

          〈言語に潜むジェンダー観〉について書くつもりが、おもいがけず話題はフランスにおけるムスリム女性のヒジャブ着用是非論争にまで行き着いてしまった。 英語には she はあっても、shes はない。女の複数系は they になって、もはや性別はどうでもいい。ぼくは中学生の頃それを発見して笑ってしまった。英語もまた男たちが作ったマッチョな言語であって、ここにヘテロ男の本音がバレている。なるほど、男にとってひとりの女ならば愛おしいこともある。愛することだってできる場合もある。けれども

          どうして英語には「彼女たち」がないの?

          萌え社会の行方。(壇蜜さんと三浦瑠璃さんは同型。)

          あのふたり、ご自身の女性性の示し方が同じでしょ。瓜ふたつですよ。壇蜜さんが国際政治学者(この肩書の価値も暴落してしまいましたが)だとしても、まったく不思議はないほど。そう考えてみると、三浦瑠璃さんがいかにハイブリッドなキャラクターであるかがわかります。 だって、男でジャニーズ系(死語ですね)の学者とか、スターホストになれそうな知識人なんていませんものね。しいて言えば、東京大学元教授で女性装の知識人・安冨歩さんがかなりいい線いってらっしゃいますけれど。ただし、安冨さんの場合は

          萌え社会の行方。(壇蜜さんと三浦瑠璃さんは同型。)

          なぜ、日本の女流作家には前髪パッツン黒髪ロングヘアが多いの?

          もちろんその答えは、文学業界がいまだかなりなところ男社会で、オヤジたちじじいたちがおしとやかで優しい女性に幻想を抱いているからでしょう。(実際には髪型と性格はまったく無関係なのですが。)とうぜんのことながらそんな日本の女流作家はワンピース着用率が高い。もっとも、なかには例外的に、アフロヘアの女性作家もおられます。こちらは、男たちが社会のしがらみのなかで消耗しながら生きているがゆえ、破天荒な女性に自由の幻想をたくすからでしょう。つまりアフロヘアの女性作家の需要もまた少しはある。

          なぜ、日本の女流作家には前髪パッツン黒髪ロングヘアが多いの?

          英語話者の謝罪の仕方について。(シュダ、ウダ、クダ。あのときぼくはああすべきだった。)

          Shoulda Woulda Coulda。いかにも英語話者らしい言い回しではあって。もしも自分があのとき正しい選択をしていたならば、おのずと現在の自分は幸福な現実を生きていたはずなのに、しかし、自分は誤った選択をしてしまったがゆえに、いま自分は苦境に立たされている。そんな後悔の気持ちを表現しています。人生は選択の連続ですからね、そんなこともあるもの。 Brian McKnight のこの歌の主人公は、浮気でもしたのがバレたからかしらん、恋人がいままさに去ってゆきつつあある

          英語話者の謝罪の仕方について。(シュダ、ウダ、クダ。あのときぼくはああすべきだった。)

          20世紀最後の30年間、ノブ・マツヒサ(松久信幸氏)は欧米人に鮨のおいしさを伝えるにあたって、どんな苦労をなさったか?

          時にフランス人がカエル喰いと呼ばれからかわれるように、かつては日本人もまたRaw fish eaters(生魚喰い)と不気味がられたもの。アメリカのセレブ社会で sushi がcool な食として受け入れられはじめたのは1980年代後半のことでした。その理由は、シリアル、コーラとハンバーガー、ピザ、ステーキの食事が肥満、糖尿病、心臓発作、脳卒中をもたらすことにアメリカ人が気づきはじめたゆえのことでしょう。 そんな背景のなか、カリフォルニアのスパークリングワインを飲みながら、

          20世紀最後の30年間、ノブ・マツヒサ(松久信幸氏)は欧米人に鮨のおいしさを伝えるにあたって、どんな苦労をなさったか?