jullias suzzy

調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分ではお洒落な奴だとおも…

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調理好きで喰い意地の張った奴。近眼で老眼。腹がやや出ている。自分ではお洒落な奴だとおもっている。美女とおしゃべりするのが好き。世間知らず。掃除が苦手。バカとインテリの中間で生きています。julliassuzzy.tokyo@gmail.com

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帰って来た『下妻物語』ロリータ魂とはどういうもの? 嶽本野ばらさんについて。

ロリータ・ファッションに身を包む声なき民を励まし肯定し、負けずに生きてゆけるための言葉をプレゼントすること、自分もまた(半ば)声なき民の一員として。それが嶽本野ばら(たけもと・のばら)さんの人生ではないかしら。 ロリータ・ファッションとはなんでしょう? ロココ朝ヴィクトリア朝時代の影響を受け、パニエ・ペティコートでスカートを花のように演出し、上等なレースを多用し、リボン大好き、タイツ、そしてエナメルのフラットシューズ、ざっとそんなイメージでしょうか。起源は不明ながら1980

    • インド人は祭りを本気で熱狂的に楽しむ。では、ぼくらはどうだろう?

      なお、ここで言うインド人とはインドの8割を占めるヒンドゥー教徒のこと。たとえば春の祭りホーリーは、誰もが出会った人に色粉をかけあって、誰もが色まみれになって無邪気に楽しむ。秋の祭りディワリは、2週間まえから人々の挨拶は ハッピー・ディワリになって、テレビには華やかなディワリ告知CMがあふれ、ヒンドゥー教徒たちは家族や大事な人に贈り物をキラキラに包装して贈り合い、当日は夜空に花火を連発し、ガキどもは爆竹を投げ合ってはしゃぐ。ヒンドゥたちはみんな祭りが大好きで、夢中になって楽しむ

      • 1980年代を発明した男、トレヴァー・ホーンとは何者だったの?

        Trevor Horn(b.1949-)は、作編曲家、歌手、ベーシスト、そして音楽プロデューサーである。代表的な仕事は来るべきMTVの時代を予見した、1979年のThe Bugglesの「Video Killed the Radio Star(ラジオ・スターの悲劇)」、そしてArt of Noise。短期間ながらYesへの参加。かれのプロデュース・ワークとしては、Grace Jonesの、Slave to the Rhythm。ABCのThe Lexicon of Love

        • 見世物小屋系ロック芸能ってサイコーじゃん! Specimenを(いまさらながら)讃美する。

          Speciman。サーヴィス満点の怪しいアングラ芸能感、不穏な性的ファンタズムに満ちあふれたトランスジェンダーな演出、異端を気取るファッションセンス、そして闇のなかでの解放感、すばらしい! しかも、意外にも構成的に作曲されていて、演奏も巧い。ライヴはさぞや女の子たちがキャーキャー盛り上がったことでしょう。もったいない才能です。 ぼくはUKの音楽プレスをほとんど読んでいませんが、よく聞く話は、〈かれらは最初に持ち上げるだけ持ち上げといて、セカンドアルバムで梯子を外してこきおろ

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        帰って来た『下妻物語』ロリータ魂とはどういうもの? 嶽本野ばらさんについて。

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          英語とはなにか? 日本語とはどういう言語か? (三島由紀夫/太宰治。カポーティ/サリンジャーをめぐって。)

          英語は、日常会話で取り扱い説明書みたいな言葉の使い方をする。命令文の頻度も高い。乱暴な言語だな、って中学生の頃のぼくは呆れたものだ。 もっとも、逆に言うと(本音至上主義の大阪弁は別として)、日本語で会話していると、ものいいがていねいなのはいいとして、「おまえ、ほんとはなに考えてんの?」と、相手の真意が汲み取れないことも多い。しかも、官僚も政治家も本音がわからないしゃべり方をする人が多い。立場と関係を重んじるあまり、個人というものが消えてしまいがちなのである。 たとえば、日

          英語とはなにか? 日本語とはどういう言語か? (三島由紀夫/太宰治。カポーティ/サリンジャーをめぐって。)

          フランス現代思想の黄金時代は終った?

          哲学は文系の数学であり、普遍を追求するもの。すなわち、地球上のどこであっても通用する思考を目指す。ただし、それであってなお、哲学を極めるそのスタイルにはお国柄(文化に由来する考え方の癖)もまたにじむ。とうぜんフランス哲学にもまた、どくとくの性格がある。そこには血なまぐさい革命を経て、紆余曲折をかいくぐり、共和政にいたったフランスらしい自由、平等、友愛をめぐる定義の刷新、思想の闘争がある。 フランスという国は不思議だ。ルノーやプジョー、はたまた投資会社ソシエテ・ジェネラル、電

          フランス現代思想の黄金時代は終った?

          エア・インディアの機内食をコンセプトにしたインド・レストランがあれば、楽しそう♪

          調理技術が普通ならば、たのしい店のコンセプトが必要でしょ、という話。 ぼくは西葛西在住で、料理人を含むインド人の友達も多い。したがって、街に新しいインド系レストランができると、その週と翌週の話題は「食べた? どうだった?」が挨拶になる。なお、世間には西葛西という土地柄ゆえ、さぞやレヴェルの高いインドレストランが多いだろうという幻想があるけれど。しかし、実際にはぼくの審美眼においては、レヴェルの高いレストランが2軒。(パンジャビ系&ケーララ系)。準じてそこそこおいしい店が2軒

          エア・インディアの機内食をコンセプトにしたインド・レストランがあれば、楽しそう♪

          ジャズにとって作曲ってなんだろう? 石田幹雄さんの表現をめぐって。

          ジャズは自由闊達なインプロヴィゼーション(=アドリブ)の芸術だ。なるほど、そのとおりではあるけれど。ただし、ジャズにおける作曲についてもう少し考察されていいのではないかしらん。なぜなら、もしも作曲とアドリブを切り分けてしまったならば、音楽表現の可能性は気の毒なほど縮小されてしまうでしょう。 なるほど1950年~1967年あたりのジャズは、当時のポピュラーミュージックのヒット曲を借りてきて、大胆に和音をつけ直し、借りてきたテーマを自由奔放にインプロヴィゼーションすることによっ

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          画家 西村一成さんは愛知の一軒家で、おかあさんと猫と暮らしながら絵を描きつつけている。ドキュメンタリー映画『かいじゅう』

          床に新聞紙が敷かれ、その上にベニヤ板、あるいは白い画用紙が置かれ、そこに西村さんは(ときにうなり声を上げながら)原色のアクリル絵の具を、あるいは墨汁を垂らす。その後ベニヤ板はたてかけられ、西村さんは色の上に色を重ね、あるいは色を墨で塗りつぶしたりして、方形のなかはカオスと自由の、あるいはときに暴力の空間になってゆく。 縁側の向こうには庭があって、緑が生い茂っている。西村さんは縁側に座り、柔らかく微笑んで煙草をくゆらしながら、庭の緑のなかに赤い実をつけるヘビイチゴを見やる。「

          画家 西村一成さんは愛知の一軒家で、おかあさんと猫と暮らしながら絵を描きつつけている。ドキュメンタリー映画『かいじゅう』

          わかるとわからないの、あいだ。自分のことも、あなたのことも。ホン・サンスの映画『川沿いのホテル』

          モノクロ映画のスクリーンに、雪が降る。初老の詩人が、自分はもうすぐ死ぬんじゃないか、とおもう。かれはかれがかつて捨てた妻のもとに残したまま去ったふたりの息子に連絡を取り、かれらを自分が投宿している川沿いのホテルに呼び寄せる。そんなことするんじゃなかった、とすぐに後悔するのだけれど。 そのホテルの別の部屋には、若い女性ふたりが投宿している。ひとりの女は手首にガーゼを巻いている。どうやら彼女は男に絶望し、命を断とうとしたらしい。もうひとりの女は、彼女に寄り添い、包容力をもって彼

          わかるとわからないの、あいだ。自分のことも、あなたのことも。ホン・サンスの映画『川沿いのホテル』

          just like a womanー愛に傷つけられた17歳の少女、小池百合子さん。

          石井妙子著『女帝 小池百合子』(文春文庫 親本2020年)には、小池百合子さんの少女時代が克明に描かれています。小池百合子さんの父親は見栄っぱりで、ホラ吹きで、自分を大物であると吹聴し、アラブに関心を持ち、石油を分けてもらって小商いを続けるもしかし事業は傾き始め、一発逆転を狙って選挙に出るも落選。彼女が甲南女子高校2年生の12月である。それからというもの、芦屋の外れ、阪急電車が通ると揺れるつましい彼女の家には借金取りがひきもきらず押し寄せて、やむなく彼女は両親と別居してひとり

          just like a womanー愛に傷つけられた17歳の少女、小池百合子さん。

          祭りの後の焼け野原・東京に、百合子の高笑いが響く。

          どうせこういう結果になるだろうと嫌な予感がしていたものの案の定、2024年7月7日東京都知事選、またぞろ女帝・百合子が勝っちゃいましたね。投票率は60.62%。前回の366万票に対して今回は291万票と獲得票数は大きく減ったものの、しかしそれであってなお、大勝利です。自民、公明、都民ファ、はたまた三井不動産、電通、博報堂、朝日新聞、読売新聞そのほかの盤石な利権連合の底力と言えましょう。他方、都庁職員4万人はもちろんのこと多くの都民の絶望は計り知れません。 むしろ驚くべきは次

          祭りの後の焼け野原・東京に、百合子の高笑いが響く。

          お嬢さんもイケメンも、選挙に行きましょう。ぼくらの一票はけっして無力じゃない。

          小池百合子三選だけは嫌だ。なるほど小池百合子さんは優しい微笑みと自民、公明、都民ファ、電通、博報堂、はたまたゼネコン、おまけに朝日新聞、読売新聞そのほかの組織票、そして各種バラ撒き政治で今回も最強には見える。すでに主体性を奪われてひさしい既存大手メディアもその線で報道してはいる。しかし、他方、ネットでは小池百合子批判は燃え広がり、彼女の選挙演説にはアンチからのブーイングの嵐はやまない。おれたちを舐めんな、わたしたちは百合子の奴隷じゃない。 国民はね、もはや眼ざめちゃったんで

          お嬢さんもイケメンも、選挙に行きましょう。ぼくらの一票はけっして無力じゃない。

          いかにして小池百合子さんは(その実態はともあれ)テレビのなかで素敵な政治家を演じることができるようになったか。

          密告者は密告する。 泥棒は泥棒する。 殺人者は殺人する。 恋人たちは愛し合う。 そして嘘つき小池百合子は、 (どんなときも柔和に微笑み、平然と)嘘をつく。 〈メディア論から見た小池百合子さん〉 というお話です。 小池百合子は耳障りのいいことを言い、 媚びを売って権力者にすり寄って、 油断させ、側近になりすまし、 しかし時世が変化し、 権力が推移するのを知れば、 あっさり捨てて、身を翻し、 新しい権力者にすり寄ってゆく。 こうして彼女自身が東京都の最高権力者になりあがった。

          いかにして小池百合子さんは(その実態はともあれ)テレビのなかで素敵な政治家を演じることができるようになったか。

          山田丈造カルテットを聴きにPit Innへ行ったら、サフランシスコ在住のジャズマニア老夫婦と出会った。

          山田丈造さん(トランペット、フリューゲル・ホルン)を知ったのは、ぼくの愛するピアニスト石田幹雄さんのライヴをアケタの店に聴きに行ったときだった。石田さんの緻密に構成された曲や、ビリー・ストレーホーンやセロニアス・モンクなどの曲に、山田さんのトランペットは心優しく凛々しいメロディで音楽におおらかで大きな世界を導入した。いかにも北海道育ちの人だなぁ、とおもったけれど、しかし(あたりまえのことながら)北海道育ちのトランペッターがみんな山田さんのような演奏ができるはずもない。 きの

          山田丈造カルテットを聴きにPit Innへ行ったら、サフランシスコ在住のジャズマニア老夫婦と出会った。

          それぞれの登場人物の〈映画内では描かれていない部分〉に想像力が働く。モノクロの韓国お洒落映画『탑ーWALK UP』

          白くお洒落な4階建てのちいさなモダニズム住宅で、人と人が出会う。ワインを飲み、おしゃべりをして、おもいがけずそれぞれの人生が変化する。 お洒落で知的っぽい映画を観るのって、ちょっとこっ恥ずかしい。登場人物たちは"Anyohaseyo"とか、"Komapsumnida"とか"Kanbe"とか言っちゃって、飲み食いしながら、ぼそぼそしゃべるだけ。愛のときめきもなければ、キスシーンも、エッチなシーンもない。恐怖もない。怒りもない。アクション・シーンもない。誰も移動さえしない。そも

          それぞれの登場人物の〈映画内では描かれていない部分〉に想像力が働く。モノクロの韓国お洒落映画『탑ーWALK UP』