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『仮面の告白』を大阪弁翻訳で読んでみる。

不思議なことに8割の文学には笑いが欠けています。もちろん三島由紀夫もまた8割のなかに入ります。では、残りの2割には誰が入るかしらん。初期夏目漱石、太宰治、意外にもいくらかなりとも森茉莉、そして北杜夫、筒井康隆、小林信彦、後藤明生、部分的に村上春樹、ほぼ全面的に高橋源一郎・・・。



なお、夏目漱石も太宰治も森茉莉も筒井康隆も落語が大好き。(北杜夫さんはマンガを大好き。)三島がコドモの頃からしたしんだのは歌舞伎で、落語には興味を持たなかった。そんな三島も家庭を持ってからは赤塚不二夫の『もーれつア太郎』(1967-70)を息子と争うように読んだらしいけれど、しかし、気の毒ながら読む時期が遅すぎた。三島はコドモ時代にはラディゲとコクトーに夢中だった。





三柴江戸蔵(pf)在籍時、
黄金時代の筋肉少女帯。
大槻ケンヂさんの不滅の才能が
輝いています。


そんな三島もマルセル・パニョルの『笑いについて』(岩波新書 1953年)は読んでいて、著者は「優越感が笑いを生む。(同時に)友人とは、私を指して笑うことのできる人間である、ただし私を怒らせることなく」などと言っているらしい。いかにも三島好みの考え方ではあって、なるほど、後年の三島の『不道徳教育講座』(1958-59)につながりもするけれど。



しかし、ぼくは反論する、まず最初に自分自身を笑うのが笑いの基本でしょ。次に、他人を嗤うときであってなお、その他人のなかに自分にもある愚かさを見るからこそおかしいもの。しかし、三島は自分大好きで、死にあこがれるロマンティストゆえ、自分を笑うことなどできるわけがない。これが三島のいちばんの悲劇だとぼくはおもう。



試しに、三島の『仮面の告白』(1949)を大阪弁翻訳で読んでみましょう。「永いことわしはな、自分が生れて来たときの光景を覚えてるって言い張ってたねん。産湯を浴びたときのな、タライの縁が輝いてたのんをわし、覚えてんねん。」すると自動的にツッコミが入るでしょ、「なに抜かしてけつかるねん。そんなガキ、おるか、ボケ!」こういうツッコミをしてくれる人こそが人生の友というもの。いなかったんですね~、そんな友が、三島には。かわいそうに! 




他方、太宰は自分がもっともらしいことやかっこつけたことを言うたびに、どこかから聞こえてくる「トカトントン!」を聞いて恥じ入った。なお、古本屋業界において日本近代文学の売れ筋は、1に三島、2に太宰だそうな。もっとも、そんな太宰とて「生まれてきてすみません」とか書いちゃうわけだけれど。日本人ってまじめですものね。







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