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貞子さんとの恋愛の幸福のさなかで、なぜ29歳の三島は『沈める滝』を書いてしまうの?

『沈める滝』(1955)はこんな物語である。城所昇きどころ・のぼるは、福沢諭吉の塾生であった父を持ち、かれは土木公共事業に精を出した人物である。昇はやくして母を亡くし、 「人間」という不確かなものを信じず、土木工学を学び、石や鉄を信じる優秀な技術者であり、電力会社に入社し、ダム設計にかかわっている27歳の美男子である。かれは若さ、カネ、抜群な頭脳、強靭な体躯を持ち、しかも係累も持たず自由であり、その夜ごとに気ままな恋愛を楽しんでいた。「女と寝た朝は前の晩よりもずっと孤独になっている自分を見出すかれが、ひとり寝の朝はすこしも孤独でないのはどういうわけか。」



そんなかれはある日、他人の妻、顕子に出会う。彼女はいわゆる冷感症で、それをなんとか治したいとおもい、それを成就してくれる男を探しているふたりは互いの内に、似たものを見出し、ふたりで力を合わせ、〈人工的恋愛〉を作り上げる約束を交わす。



ダム建設のための越冬調査が終わったにもかかわらず、昇は顕子に会い続け、ある夜ついに彼女は性愛のよろこびを知る。しかし、昇はそんな顕子に失望する、他方、顕子は昇への遺書を残し、滝に入水して自殺を図る。



三島は少なくとも24歳で『仮面の告白』を書いた時点ではウブな童貞で、キスまで持ち込んだ女性関係はあったものの、しかし振られて三島は絶望にもんどりうった。しかし、その後『禁色』を書いたときには三島は堂々たる立派な男色になりおおせている。したがって、その後の三島に女との恋愛話は聞いたことがない。しかし、そんな三島は29歳にしてはじめて、当時19歳の貞子さんとの恋愛が生れたのだ。三島はこの恋に舞い上がっちゃって、おそらくこの時期最初の作品が『沈める滝』なのである。三島はよろこんじゃって、まるで自分がむかしから手練れのプレイ・ボーイであったかのように、この『沈める滝』の主人公を設定しています。



しかしながら、貞子さんは19歳であり、三島と出会ったとき彼女が処女だったかどうかは誰も知らないけれど、とはいえ性交を知ったその最初から「うっふん、あっはん」悶えるような女はそうそういない。女とて最初は不気味に熱心に腰を振る男に対して、女の自分はひたすら痛いだけ。こんなことのどこがおもしろいの??? しかし、回数を重ねることによって、女は(時には男以上に?)性のよろこびを拡大させてゆくものでしょ。しかし、この小説の頭でっかちな主人公は、プレイボーイの設定であるにもかかわらず、顕子は冷感症であると頭から決めてかかっていて、そこにプレイボーイではあるものの実は女嫌いな自分と奇妙な同志的連帯感を持っちゃって、「ふたりで人工的な恋愛を打ち立てよう」とかなんとかとんちんかんな誓いを立てる
のだ。



しかも、この主人公は「手紙とか、電話とか、電報とか、合わないですむあらゆる手段を使って、お互いに苦しめ合うようにしたらいい。ほんとうに愛し合えたとおもったときに、また会えばいいんだ」とかわけのわからないことを言い出すのだ。そりゃあ読者は呆れるでしょう、三島さん、あんた、がんばりかたの方向が間違ってますよ。しかも、この時期三島自身は貞子さんと毎晩のように逢瀬を重ねているのである。




なんとも奇妙な恋愛(疑似恋愛?)である。にもかかわらず紳士三島とうら若き美女・貞子さんの関係は、三島を幸福の絶頂に導きつつ、3年間にわたって続いてゆくのだ。




なお、世界史的に見れば、1955年は
狭義の戦後(価値観の混乱期)が終わり、いわゆる冷戦体制がはじまった年である。日本では1958年吉本隆明は『転向論』を書き、日本共産党の宮本顕治の受難の人生をおもいやりつつも、しかし宮本のような頭でっかちで大衆から遊離したインテリ左翼を否定し、むしろ迷いながらもがむしゃらに生きる大衆をこそを支持する論陣を張った。ただし、こうした左翼運動の変転と三島は、ほとんどなんの関係もない。しかも、この時期三島が愛国右翼だったわけでもない。三島はただ自分の幸福に夢中だった。







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