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不在者への恋文/『イヴ・サンローランへの手紙』(+伝記映画)

「今は亡き同性の恋人への書簡集」。ブランド知識がない私でもすっかり惹き込まれてしまいました。前半は書評、後半は伝記映画についてご紹介しています。(※書評集『美学としてのJUNE:ブックレビューとポエムのこころみ(kindle)』収録/サンプルを兼ね、レビュー全文を掲載します)

✤文中に出てくる用語「JUNE(ジュネ)」については、前回投稿(『読む側の「JUNE(ジュネ)感覚」 ~"BL以前の何か"を考える~』)で詳しく書かせていただきました。よろしかったら後ほど合わせてご覧ください✤



2008年に亡くなったデザイナーのイヴ・サンローラン。その後同じ2014年に公開された伝記映画2本、『サンローラン』と『イヴ・サンローラン』を先日鑑賞しました。そのあと読んだのがこれです。サンローランはゲイだったそうで、著者は50年間公私にわたってパートナーだったピエール・ベルジェ。(表紙写真の右がベルジェ、左がサンローランです)サンローランの死の直後から約1年間の出来事、回想などが、彼に宛てた手紙の形式で書かれた本で、ある意味極上のJUNE文学でした。

君はアーティスト、そして私は絶対的自由主義者。ところが人は私たちを実業家に変装させた。とりわけこの私を。

(『イヴ・サンローランへの手紙』p.55 ピエール・ベルジェ/川島ルミ子訳 中央公論新社 )

…ちなみに、自分はもともとブランド品に興味がなく(^^;)、サンローランもかろうじてデザイナーの名前だと認識していた程度。「イヴ」なんて女性かと思っていたくらいです。(スペルが違うんですね。ブランドマークにも入っているYでYves。知らなすぎてスミマセン) サンローランがゲイだったことも、もちろん映画で初めて知りました。なので、あくまで(ブランドへの思い入れなしに)鑑賞している立場だということをお断りしておきます。

イヴのことを思うとき、わたしがまざまざと思い浮かべるのは、
ディオールでの彼の最初のコレクションの後で知り合った近眼で内気な青年だ。私の手を取り、連れていくようになる青年。栄光に出会ったことを、それが二度と彼を放さず、スタール夫人が言うように「幸せの華やかな喪」をもたらすことを彼がまだ知らなかったこの壊れそうな瞬間を私は思う。彼は二十一歳だった。

(p.176–177)

文章を読んで、この人はサンローランの脚注としての経歴――五つ年上で同性愛の恋人でもあり、独自のメゾンを協力して立ち上げ、その後私生活では別居したものの、サンローランの死後まで経営に従事――から想像しやすい、パトロンと実業家を兼ねたような人物とは少し違うと感じました。二人が出会ったとき、ベルジェはファッションでなく美術関係の仕事をしていたそうですが、もともとは文学を志していた人だそうで、「死者への手紙」という体裁のこの独白的エッセイは、ヴォードヴィル賞という文学賞を受賞したそうです。なんというか、納得。もちろん題材と「当事者が書いた」というインパクトが評価の大部分だとは思いますが、読んでいると、 感触はまぎれもなく「文学」です。 薄い本で、文字も余白も大きい。でもサラッと読めはしない本。ゆっくりと意味を咀嚼して、味わうための本。秋にじっくりと読むにはうってつけで、映画等で予習してから読むもよし、本の行間から二人の関係を推し量るもよし、です。

明日、バビロン通りの家を友人たちに見せに行く。
よきにつけあしきにつけ多くの思い出がぶつかり合っている。
そこだ、私たちが幸せだったのは。
そこだ、私たちが不幸だったのは。
そこだ、アルコールとコカインでいっぱいの君が、
このギリシャの頭像で私を殺しそうになったのは――。
私はかろうじてそれを避けたが。
そこだ、耐えがたい年月が始まったのは。

(p.25–26)

書簡集をたくさん読んでいるわけではないのですが、好きな書簡集がひとつあります。奇しくも同じフランス人のジャン・コクトーが、終生のパートナーであった俳優ジャン・マレーに書いた手紙を集めた『ジャン・マレーへの手紙』(東京創元社)です。同性愛者がパートナーに宛てて書いた「手紙」で、返信は含まれていないという意味でも2冊は共通項があります。両方とも、途中で別々に暮らすようになり、それでも終生濃い絆で結ばれていた方たちです。

今回のベルジェの文章は、読んでみると手紙というより散文詩のようで、やはりコクトーのものを思い出してしまいました。が、フランス人がみんなこんな手紙を書くわけではありますまい。ベルジェはコクトーとも親交があったそうで、本の中にも名前が出てきます。(「コクトーはなんて正しかったのだろう。布とタオルを混同しないようにしよう」)この感触の近さは、同じフランス人でカルチャーとしても同時代の近いところにいた人達であるせいなのか、どうなのか。…まあ理屈を見つけることは専門家の方々にお任せするとして、ただただ味わうことにします。これは素人の特権です。(笑)

ある日、君の強い願望は悪魔と戯れることだとわかった。
私は君にとってバランスが取れすぎ、いわば堅すぎ、
そのために私は君を救うことかができなかったのだよ

(p.58)

ベルジェの思索がまた興味深いです。我田引水ですが、以下のものなど、JUNEについて思うこととまさに重なります。

官能性、肉体、性とは何なのだろうか? この的を得た文
「いわゆるセックスと呼ぶことを民主化することにより、人はまちがいなく官能的豊かさへの道を閉じたのである」
官能的豊かさという見解が私はとても好きだ。体をエロスから切り離すこの見解を私は気に入っている。

(p.79) ※ヤニック・ハーネル、フランソワ・メイロニス共著
『愛、第三巻〈恋をしている肉体〉』からの引用

同性愛者であることについて、ベルジェは「一度として隠しもせず、見せびらかしもしなかった」としていますが、18歳で故郷を離れてパリに出るときに母親にもらったという手紙から、じつに印象的な引用があります。手紙自体はなくしてしまったけれど忘れたことはなかった、と記しています。

「今度はあなたの同性愛のことを話したい。私にショックをあたえることは何もないし、私が何よりもあなたが幸せでいることを望んでいるのを知っているでしょう。でもあなたの交際が心配だし、それにもしもあなたがスノビズムや出世欲からゲイになったのなら、私が認めないことも知っておきなさい」

(p.133)

ベルジェとサンローランの後年の関係は、とても苦渋に満ち、複雑なものでもあったようですが、やはりこれらは「恋文」だと思いました。なんというか、人と人の関係というのはそういうものなんだなあ、と感じます。また、死んでしまった人、生きていてもけっして会うことのない人は、逆説的に、想いを捧げるには完璧な対象になりますね。サンローランの生前には、やはりこういう文章は書かれ得なかったでしょう。悲しくはあるけれど、すべてが終わったからこその静かな境地があります。文学になり得ている一つの要素は、こういったところから匂い立つものでもあります。以下の二つは、二人が集めた美術品の展示・オークションに当たっての言葉です。単純だけどすごく印象に残りました。

このすべては君なしではなんの意味もないのだよ。

私たちの暮らしは展示され、しかも売られる。(共に p.55)

最後に、サンローランに対して、二人がやってきたことに対しての、次の言葉をご紹介しようと思います。

不可能なことは何もないと、奇跡を信じなければいけないと、そしてまず危険を考える人には耳を傾けないようにと、私が言い続けていた人。
私たちは危険を無視したから実現できたのだ。この上もなく常軌を逸したこうした夢を。なぜならば私たちは正気ではなかったからだ、まさしく。

(p.178)

……もしも私のようにお二人になじみのない場合は、やはり映画から入るほうがイメージしやすいかもしれません。伝記映画二本は、いずれもサンローラン役を絶世の美男俳優が演じています。『サンローラン』では若い頃を『ハンニバル・ライジング』のギャスパー・ウリエル、晩年をかつて伝説の美男俳優であったヘルムート・バーガー(むしろこちらの今の姿に感慨が)。『イヴ・サンローラン』では、この作品でブレイクした新星ピエール・ニネです。サンローランのトレードマークであるメガネをかけた顔はちょっとエキセントリックですが、とても「きれいな」男優さんでした。メガネを外すシーンが一つあって、ハッとさせられました。

 じつは単純にギャスパー・ウリエル見たさに前者の『サンローラン』をレンタルしたのですが、こちらは伝記映画というより監督(脚本、音楽も兼ねているベルトラン・ボネロ)のフィルターとサンローランの生涯というモチーフを通した、ある種のカルチャーを描いた映画という感じでした。とてもスタイリッシュでスキャンダラス。でも「盛った」部分と思った箇所は、あとで実際のエピソードや麻薬の影響を表現したシーンだと判明し、非常に優れた映画だとわかりました。でも見てる時はちょっとわけわかんなくて(笑)、「これはサンローランの生涯を知ってから見た方がいいかな」と途中でやめ、もう一方の『イヴ・サンローラン』を借りて先に見たのでした。

 こちらはイヴ・サンローラン財団初公認の映画で、ピエール・ベルジェが全面協力したとのこと。比べるとサンローランの造形が(見た目以外も)少し違いました。ベルジェはピエール・ニネのサンローランを「まるでイヴがそこにいるよう」と絶賛しています。ニネは若い頃のかわいくてぎこちない感じの表現がとてもうまくて(だからこそ、一転して自分からキスするシーンなどがぐっときます!)、しかも顔をきちっと見せるのはきれいな若い頃だけのため、まるで早世したかのような印象を受けます。

 でも実際には七十代まで生きていたわけで、前者の『サンローラン』でヘルムート・バーガーが演じた姿はとても印象的でしたし、写真をググってみると、晩年のサンローランご本人にも似ていたと思います。じつは両作品とも、作中にサンローラン自身の写真を使ったアンディ・ウォーホルのアート作品が出てくるのですが、共にオリジナルと思われ、俳優さんで似たものをこしらえたのではないように見えます。その作品の顔を見て、(キャストはウリエルしか知らなかったので)「ご本人もたしかにイケメンだけど、ギャスパー・ウリエルというよりむしろヘルムート・バーガー系だなあ……」なんて、ご本尊が出ているとは知らずボンヤリと思っていました。そのあと当のバーガーが出てきたので口をあんぐり。(笑)とてもいいキャスティングですし、「イヴ・サンローランの生涯」を描いているのはむしろこちらだな、とも思いました。

 でも、そのあとに『イヴ・サンローランへの手紙』を読んで――麻薬とアルコールで変わり果てた後年のイヴではなく、「私の青春の頃の君」をひんぱんに思い浮かべて書いているベルジェには、ピエール・ニネ版の映画のほうが彼の回想に合っているのだろうと思いました。だからあの映画のイヴはピエールから見たイヴであり、ある意味、彼にとってのイヴは早世していたのかもしれません。

君にほとんど似ておらず、人生や他者から自分を守るために君が甲冑としていたこの人物、私はその人が好きではなかった。けれども私は君を愛していた。だからその人物を受け入れたし、またしても、君がその人物を演じるのを手伝った。

(p.95)

 ピエール・ベルジェ役に関しては、どちらの映画と較べてもご本人のほうがハンサムだと思います(笑)。好きな昔のフランス人俳優でフランソワ・ペリエという人がいるんですが――コクトーの映画『オルフェ』で演じた死神の運転手がとても好きでした――彼をさらに洗練させた感じです。特に若い頃の写真はとてもハンサムで、そのうえ芸術に造詣が深かったというベルジェ。21歳のサンローランが、自分に足りない性質を補うように持っているこの人物に惹きつけられたのは、なんとも運命的な気がします。というか、その後の二人の生きざまが、遡ってこの出会いを運命的なものにしているんでしょうね。

※追記
著者ピエール・ベルジェさんは、その後2017年9月8日に86歳でご逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。




『美学としてのJUNE~ブックレビューとポエムのこころみ~』目次


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