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ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを歩く

近藤純夫さんによると、オアフ島が海上に姿を現したのは350万年前。ダイヤモンドヘッドが出来たのは15万年前。海面直下で噴火が起きたために、マグマが激しく海水と接触して水蒸気爆発を起こし、ほぼ真円に近い直径1キロのクレーターがつくり出された。
その後、到来する雨や風、そして波が永い時間をかけてダイヤモンドヘッドの山麓を少しずつ削り取り、細長い砂浜と遠浅の海をつくりだした。
風と潮流の関係もあり、ビーチの前には良い波が立つ。しかし海底にはサンゴ礁があるので、この海を知らない人には向かない。ここに集まるのは、ほとんど地元のサーファーたちだ。
ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを東から順に紹介したい。

左から、カピオラニ公園南端のトングスビーチ(表示なし)、マカレイビーチ、レアヒビーチ、ダイヤモンドヘッドビーチ、クイレイクリフズビーチ、ケアハモエ湾に面するクロムウェルズビーチ

トングス・ビーチ

カラカウア通りの東端はダイヤモンドヘッドが海と接するところ。カラカウア通りからトングス・ビーチへ抜ける細い道はサーファーの皆様がよく利用している。そこから海辺づたいに西へアウトリガー・カヌー・クラブの手前まで行ける細い通路がある。

カラカウア通りからトングス・ビーチへ向かう通路 2024年4月5日撮影
カラカウア通りからトングス・ビーチへ向かう通路 2024年4月5日撮影
トングス・ビーチから海へ出入りするサーファーたち 2020年2月13日撮影
トングス・ビーチの北側。遠くにワード・ビレッジのビル群 2020年2月13日撮影
トングス・ビーチに押し寄せる波 2020年2月13日撮影

2020年2月13日17時27分。カラカウア通り南端にあるトングス・ビーチにはコンドミニアムが立ち並ぶ。海側に細い通路があり、サーファーが行き来しているが、大波が来るとさらわれそう。西へ10軒目のコンドミニアム「トロピック・シーズ」前まで来ると、「ハウ・テラス」という小さな広場があり、ハウの木の下にテーブルと椅子が置かれ、ココヤシの木が海にむかって葉を広げていた。

トロピック・シーズのハウ・テラス 2024年4月5日撮影
海に向かって葉を広げるココヤシに夕陽が重なる 2020年2月13日撮影
ハウ・テラスから釣り人とビーチの南側を眺める 2024年4月5日撮影
トングス・ビーチの南端はコンドミニアム「カイナル」前の砂浜と突堤 2024年4月5日撮影

トングス・ビーチに打ち寄せる静かな波
2023年2月26日、日曜日、午後4時。ダイヤモンドヘッドと海が接する海岸には、夏は大きな波が打ち寄せる。冬は波が小さい。遠くにワード・ビレッジのビル群とワイアナエの山並みが見える。カタマラン・ヨットが沖へ出ていく。

マカレイ・ビーチ

マカレイ・ビーチ・パーク
マカレイは、魚捕りという意味で、魚を呼び寄せるために使われる超自然的な木の枝のこと。 かつてこの公園の近くにあった魚の神様のためのヘイアウ(神殿)は「マカレイ」として知られていた。
この場所は、ハウの木に守られた静けさを意味する「ハウマル」という名の邸宅の跡地。 当時の名残として、ハウの木と、西側の隣接地に邸宅の一部が残されている。

マカレイ・ビーチ・パークの説明板
ダイヤモンドヘッド・ロードから見たマカレイ海浜公園  2024年4月5日撮影
東から見たマカレイ・ビーチ、背後に邸宅「ハウマル」が建つ 2023年4月3日撮影
西から見たマカレイ・ビーチとダイヤモンドヘッド 2024年4月5日撮影

2020年2月16日17時41分。14時過ぎにワイキキビーチを出た時には青空が広がっていたが、カラカウア通りを東へ、カピオラニ公園を横切り、マカレイビーチパークに着く頃には、山側から大きな白い雲が次々と流れてきた。まもなく夕陽に照らされて黄金色に輝くだろう。雲が主役の風景。

マカレイ・ビーチの空に山側から大きな白い雲が次々と流れてきた

マカレイ・ビーチに打ち寄せる波
2022年9月17日、土曜日、午前9時。1人のサーファーが沖へパドリングしていき、もう1人のサーファーが海岸へ戻ってきた。

マカレイ・ビーチの午後4時30分
2023年3月11日、土曜日。海水浴客やサーファーが太陽を反射してキラキラ輝く海の中へ入っていく。

マカレイ・ビーチで見るサンセット
2023年3月11日、土曜日、午後6時30分。女性たちが豪邸ハウマル前の垣根に沿って座り、沈みゆく夕陽を見守っている。

ハウマル
住所は3065 Diamond Head Rd & 2831 Coconut Ave。マウイ島での砂糖産業で成功したアレクサンダー&ボールドウィンの経営者家族のためにC. W. ディッキーが設計し、1937年に竣工。マカレイ海浜公園からビーチに出ると外観を見られる。『Hawaii 5-0』等のテレビ番組の撮影に使われ、池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』の舞台となった。

2021年1月7日、マカレイ・ビーチから撮影
2024年4月5日、マカレイ・ビーチから撮影
ハウマルとダイヤモンドヘッド(Honolulu Magazine「9 Greatest Honolulu Homes」より)
ハウマルの内部(Honolulu Magazine「9 Greatest Honolulu Homes」より)

マカレイ海浜公園とレアヒ海浜公園を結ぶ通路
ダイヤモンドヘッドロード沿いにある2つの公園、マカレイ海浜公園とレアヒ海浜公園を海辺づたいに結ぶ細い通路がある。歩行中に怪我をした市民がホノルル市を訴えたため閉鎖していたが、裁判が和解後、防壁を設置して、2020年2月10日に閉鎖を解除した。2020年2月16日(日)撮影。

マカレイ海浜公園からレアヒ海浜公園へ①
マカレイ海浜公園からレアヒ海浜公園へ②
マカレイ海浜公園からレアヒ海浜公園へ③
マカレイ海浜公園からレアヒ海浜公園へ④

マカレイ海浜公園の午後6時
2023年3月11日、土曜日。ダイヤモンドヘッド・ロード沿いの小さな公園で、カピオラニ公園に近い。東側のレアヒ海浜公園へ行ける通路が海沿いにある。緑豊かで、シャワーもあり、バーベキューを楽しむ人々で賑わっている。

レアヒ・ビーチ

レアヒ・ビーチ・パーク
マカレイ海浜公園と海辺づたいに細い通路で結ばれているレアヒ海浜公園は、アラワイ運河を造成したウォルター・フランシス・ディリンガムの弟、ハロルド・ガーフィールド・ディリンガムの屋敷跡を公園化したもの。
このあたりは豪邸が並ぶ。
ダイヤモンドヘッド・ロード沿いのココヤシ並木と海沿いの護岸は、当時のまま。海辺に出て振り返ると、ココヤシ並木の向こうにダイヤモンドヘッドという風景を見られる。
レアヒとは、ダイヤモンドヘッドのこと。ハワイ人はダイヤモンドヘッドの形がアヒ(マグロ)の背びれに似ているので、「レアヒ」と呼んだ。

レアヒ・ビーチ・パークの説明板
ダイヤモンドヘッド・ロードから見た;レアヒ海浜公園 2020年2月23日撮影

レアヒ海浜公園の12時30分
2023年4月3日、月曜日、12時30分。ダイヤモンドヘッド・ロードを歩いてレアヒ海浜公園へ。嵐の翌日で、東の空には青空が広がっている。波はサンゴ礁に当たって白く砕け、穏やかになって護岸に押し寄せている。

嵐の翌日のレアヒ・ビーチ
海辺の護岸からみたレアヒ海浜公園とダイヤモンドヘッド 2020年2月16日撮影

レアヒ海浜公園の夕暮れ
2022年11月12日、土曜日、午後5時15分。この公園はダイヤモンドヘッド・ロード沿いにあり、兄ウォルターと共に1920年代初頭にアラワイ運河を整備したハロルド・ガーフィールド・ディリンガムの邸宅跡地。ココヤシの並木と護岸はその名残。

ダイヤモンドヘッド・ビーチ~クイレイ・クリフズ・ビーチ

ダイヤモンドヘッド・ライトハウス(灯台)
1890年代にこの周辺のサンゴ礁で大型船の座礁が相次ぎ、1899年に最初の灯台が造られた。最初のダイヤモンドヘッド灯台はコンクリートに亀裂が入り始めたため、1917年に現在の灯台に再建された。1932年から米国沿岸警備隊が管理している。灯台は崖の上に建てられたため、海抜147フィート (44.80 メートル)の高さにある。

ビーチ・ロードから見たダイヤモンドヘッド灯台 2024年4月5日撮影
ダイヤモンドヘッド・ロードから見たダイヤモンドヘッド灯台 2020年2月20日撮影
崖上から見たダイヤモンドヘッド灯台と海 2019年6月5日撮影

ダイヤモンドヘッド・ビーチ・パーク
2020年2月23日(日)。ダイヤモンドヘッドロード沿いのダイヤモンドヘッド灯台の崖の下にあるダイヤモンドヘッド海浜公園へ。灯台の手前のビーチ・ロードから海辺づたいに行けるし、灯台の東側から崖の下まで通路が整備されている。ここはサーファーたちが集うサーフ・スポットだ。

灯台の東側から崖の下のビーチまで通路が整備されている
サーファーはビーチの手前でサンダルを脱いで海へ向かう
サーフスポットへ向かうサーファーたち
サーフスポットを見つめるサーファーたち
サーフスポットから戻ってきた女性サーファー

クイレイ・クリフズ・ビーチでのカイト・サーフィン
2023年4月3日、月曜日、午後1時30分。ダイヤモンドヘッド・ロードの崖の下にあるクイレイ・クリフズ・ビーチで、初めてカイト・サーフィンを見た。この日はサーファーが少なく、ビーチを独り占めしていた。

ビーチをさらに東へ進むと、1人のサーファーが戻ってきた
海の向こうにシャングリ・ラが見えるが、砂浜が途切れたので、引き返す
ココヤシ並木のむこうに点在する屋敷とダイヤモンドヘッドの山並みが見える
夕暮れ近くの海にサーファーの姿は無い
前を歩くカップルが夕陽に照らされて、影が伸びた
夕陽に照らされるココヤシ並木
夕陽が海に沈むのを眺めると、サーファーたちは帰っていった

2020年2月23日(日)。ダイヤモンドヘッド海浜公園で夕陽が海に沈むのを眺めると、サーファーたちは帰っていった。私は、灯台が点灯するのを待っていた。

点灯したダイヤモンドヘッド灯台 2020年2月23日撮影

ダイヤモンドヘッド海浜公園の夕暮れ
2022年11月12日、土曜日、午後6時。ダイヤモンドヘッド灯台の光を撮影。
2020年の撮影時までは1000ワットの白熱電球をフレネル・レンズを使って放射し、18マイル先の海上でも目視できるようにしていたが、2022年の撮影時には、消費電力が少なく、上下方向の広がり(発散角)が大きくなり視認性が向上すると言われるLED灯器による点滅光に交換されているように見えた。

ダイヤモンドヘッド・ロードの展望台
ダイヤモンドヘッドの頂上ではない。ダイヤモンドヘッドの海側、ダイヤモンドヘッド・ロード沿いにある展望台。崖の上に築かれた壁に座って、眺望を楽しんでいた。崖下の海はサーフィン・スポット。遠くにココクレーターとココヘッドが見える。

展望台の壁に腰掛けて海を眺める 2019年6月2日撮影

アメリア・イヤハート
リンドバーグの大西洋横断飛行1年後の1932年、初の女性大西洋単独横断飛行に成功。1935年1月11日~12日には、ホノルルからカリフォルニア州オークランドまで18時間の単独飛行に成功。その記念碑がダイヤモンドヘッド・ロードの展望台に立つ。1937年、赤道一周飛行の途上で遭難。

ダイヤモンドヘッド・ロードの展望台に立つアメリア・イアハートの記念碑 2020年2月20日撮影
1935年1月4日、単独飛行の前に、ホィーラー・フィールドで飛行機の前に立つアメリア

2020年2月20日(木)。素晴らしい天気なので、クロムウェルズ・ビーチへむかう。ダイヤモンドヘッド・ロードの2つの展望台の間から崖下を眺めると、沖から来る波が珊瑚礁に当たって、白い波しぶきをあげている。週末はサーファーが集うサーフ・スポットだ。1925年に英国の船員が、クレーターの麓の砂浜が小さなきらめく石で輝くのに気づき、ダイヤモンドヒルと名付けたのがダイヤモンドヘッドの由来らしい。

崖の下の砂浜を歩くサーファーや犬と散歩する女性が見える
波が珊瑚礁に当たって、白い波しぶきをあげる

2022年9月17日、土曜日、午前8時。太陽は左側ココ・ヘッドの空に昇った。Diamond Head Lookoutから海を見ると、波乗りを終えて海岸へ戻る人たちがいる一方、パドリングして沖へ向かうサーファーが続々とやってくる。

展望台からクロムウェルズ・ビーチにむかう途中、ココヤシ並木に囲まれた海辺の家を見て、懐かしさを感じた。なぜだろうと考えて、思い至ったのが、小学生の時、父親に買ってもらって組み立てた今井科学のサンダーバード秘密基地。1965年~1966年にイギリスで放送された人形劇による特撮テレビ番組の舞台で、サンダーバード2号が発進する時は、ヤシの並木が外側に倒れる仕組みだった。秘密基地のあるトレーシー島は、オーストラリアと南アメリカの中間、太平洋中部の人里離れた場所に位置しているそうだが、ハワイをモデルにしたのではないか。私は『サンダーバード』の秘密基地を探し求めて、ハワイにたどりついてしまったのかもしれない。

赤い瓦屋根の邸宅とココヤシ並木 2020年2月20日撮影
小松崎茂が描いた今井科学のプラモデル「サンダーバード秘密基地」の箱絵

ダイヤモンドヘッドのもうひとつの顔、午後3時
2023年4月3日、月曜日。カハラ側からのダイヤモンドヘッドの姿を見ようと、ダイヤモンドヘッドロードを歩いていった。フォートルガー公園を通り越し、海側のクラマヌ通りへ入ったら、美しい山並みが現れた。

クロムウェルズ・ビーチ

ダイヤモンドヘッド・ロードを東に進み、フォート・ルガー公園の手前から
右側のクラマヌ通りに入り、しばらく行くとクロムウェルズ・ビーチへむかう通路がある。ビーチの東にはシャングリラ美術館があり、ビーチの西はダイヤモンドヘッド海浜公園につながっている。シャングリラ美術館は、アメリカのタバコ王の娘ドリス・デュークの別荘で、イスラム美術に彩られている。ビーチ名のクロムウェルは、ドリスの最初の夫の姓。2020年2月20日(木)撮影。

ビーチの東端から、岬に建てられたシャングリ・ラを眺める
ビーチの東端から西方を眺める
釣り人を眺めている。そのむこうでは水着モデルたちが写真撮影
サーファーの姿は見かけない
女性たちがビーチに座って話し込んでいる
ゆるやかに湾曲しているビーチ
ビーチの背後に、ココヤシ並木とダイヤモンドヘッド
ビーチの西端から東方を眺める

クロムウェルズ・ビーチの午後3時
2023年4月3日、月曜日。クラマヌ通りを海側へ進み、クロムウェルズ・ビーチに出た。海面がキラキラ輝いている。ココヤシ並木の向こうに、ダイヤモンドヘッドの山並みが見える。今日のビーチは、犬を連れている人が多い。

ドリス・デュークとシャングリ・ラ
ドリス・デュークは1912年11月、ニューヨークに生まれた。父はアメリカのタバコ産業とエネルギー産業で巨万の富を築いたジェームス・ブキャナン・デュークだが、ドリスが12歳の時に亡くなり、彼女は莫大な遺産を相続する。ドリスは、独立心が強く、冒険心にあふれた女性へと成長。21歳の時にドリス・デューク・ファウンデーションを設立し、慈善家としての活動を始める。
1935年2月、22歳のドリスはジェームズ・クロムウェルと結婚し、9カ月のハネムーンに出かける。そこで出会ったイスラム・アートへの情熱は、1993年に80歳で亡くなるまで続く。そしてハネムーン最後の目的地のハワイに魅了される。
1936年、青い海と熱帯の木々に囲まれたブラックポイントに、ドリスはアラビアンナイトの物語のような内装の私邸の建設を始める。シャングリ・ラはジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』(1933年)に登場する理想郷の名前。

クロムウェルズ・ビーチから見たシャングリ・ラ
シャングリ・ラから見たクロムウェルズ・ビーチとダイヤモンドヘッド シャングリラ美術館撮影
ハワイのドリス・デュークとジェームズ・クロムウェル

シャングリ・ラへのバス・ツアーは、ホノルル美術館が毎週木・金・土に開催している。

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