Susie@Honolulu, Hawaii

東京生まれ。横浜育ち。静岡を経て、ホノルルへ。 ハワイの自然、歴史、文化をシェア♪ h…

Susie@Honolulu, Hawaii

東京生まれ。横浜育ち。静岡を経て、ホノルルへ。 ハワイの自然、歴史、文化をシェア♪ https://plaza.rakuten.co.jp/suzerandall/ https://www.youtube.com/@susieathonoluluhawaii802

最近の記事

ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを歩く

近藤純夫さんによると、オアフ島が海上に姿を現したのは350万年前。ダイヤモンドヘッドが出来たのは15万年前。海面直下で噴火が起きたために、マグマが激しく海水と接触して水蒸気爆発を起こし、ほぼ真円に近い直径1キロのクレーターがつくり出された。 その後、到来する雨や風、そして波が永い時間をかけてダイヤモンドヘッドの山麓を少しずつ削り取り、細長い砂浜と遠浅の海をつくりだした。 風と潮流の関係もあり、ビーチの前には良い波が立つ。しかし海底にはサンゴ礁があるので、この海を知らない人には

    • 朝陽が照らし出すホノルルの海と街

      夕陽はじっと見ていられるが、朝陽は眩しくて見ていられない。日の出とともに景色は逆光で暗くなるので、日の出前の空の色の変化が面白いと気づいた。日の出後は、朝陽がどこを照らすかに注目した。ワイキキではシェラトンが最初に明るくなる。ワイキキから見るダイヤモンドヘッドは午前中は影の中だ。 ホノルルの朝陽を見つめる「Sunrise seen from the plane heading to Hawaii」 2022年6月9日(木)20時45分、前日のPCR検査陰性判定書を持って、成

      • 炎が演出するワイキキの夜

        夕陽が沈むと、カラカウア通りぞいのホテルやショッピング・モールのトーチに炎が灯される。ルアウ(ディナーショー)では、伝統食を振舞い、ステージでは歌とフラを披露し、最後はサモアのファイアー・ナイフ・ダンスで締めくくる。金曜日の夜には、ヒルトンで花火を打ち上げる。炎は、野性を蘇らせる。 「7 pm at Waikiki Beach Marriott Resort & Spa」 2023年3月30日、木曜日。ワイキキでは、サンセットを眺めてから、食事に出かける人が多いのでは。日没

        • 残照のなかのホノルルの海と街

          ホノルルの海に太陽が沈んだ後、10分ほど経っても、海岸沿いの高層ビルの正面は、まだ明るく照らされている。20分ほど経つと、ホテルの部屋の灯りが強さを増してくる一方、ビーチでは、水平線近くの空に赤みが差し、やがて燃えるようなオレンジ色に染まっていく。ホテルのプールはライトアップされる。 Makapuu Avenue 今日は丘の上から夕陽を見ようと、モンサラット通りを登り始めたが、なかなか眺望が開けない。 カピオラニ・コミュニティ・カレッジから、マカプウ通りに出ると、金網フェ

        ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを歩く

          ホノルルの海に沈む夕陽

          パートナーがハイアットの海側のABCストアで仕事をしていたので、初めて見たサンセットは、デューク像の近くからだった。大勢の人々が海に沈む夕陽をじっと見つめていて、ワイキキのサンセットがイベントだと知った。長く住んだ横浜と静岡では、夕陽は西の山に沈んだので、海に沈む夕陽は初めてだ。 ☆ ワイキキで毎日、海に沈む夕陽を見られるわけではない。ほとんどは、海から湧き上がった雲に隠される。隠されても、しばらくすると顔を見せて海に沈む夕陽もある。薄曇りだから隠れるだろうと思っていると、輪

          ホノルルの海に沈む夕陽

          ホノルルの虹に出合う

          「Anuenue 虹」 ハワイは「虹の州」とも呼ばれるほど、虹がよく見られる。 車のナンバープレートにも、大きな虹がどーんと入っているくらいだ。 ハワイの島々には、いつも北東の方向から貿易風が吹きつけていて、 それが山にぶち当たって上昇気流をつくり、雨雲を発生させ、 その雨雲が流されて、あちこちに雨を降らせる。 でもシャワーのような雨が多く、いっぽうで太陽が輝いているものだから、 雨に日の光が当たって、よく虹が現れるというわけだ。 虹の出かたをご存知だろうか。 太陽と自分の

          ホノルルの虹に出合う

          ダイヤモンドヘッド三十六景

          ★ワイキキから見たダイヤモンドヘッド1 デューク・カハナモク・ラグーン 北斎がハワイに住んでいたら、ワイキキのあちこちから見たダイヤモンドヘッドを版画にしたのではないか。北斎のように写真を撮りたい。まずはデューク・カハナモク・ラグーンを散歩する家族連れを見守るダイヤモンドヘッド。2020年12月21日撮影。 2 デューク・カハナモク・ビーチ ココヤシの並木の写っている写真を見ると、ハワイかな?と思い、ダイヤモンドヘッドが写っていると、ワイキキだ!となる。ココヤシの並木のむ

          ダイヤモンドヘッド三十六景

          ホノルルの潮騒を聴く②クヒオ・ビーチ~アラモアナ・ビーチ

          約3kmにわたるワイキキ・ビーチの沖には、9つのサーフポイントがある。かつてサーフィンはハワイの王族のためのスポーツだった。 王国崩壊後の1905年6月にハワイを訪れた人気作家ジャック・ロンドンは、サーフィンの手ほどきを受け、その魅力を世界に発信。 さらに、1912年のストックホルム・オリンピックの100m自由形決勝で金メダルを獲得したデューク・カハナモクがサーフィンの魅力を世界に発信。 1917年の夏、17mを超える波が、ダイヤモンド・ヘッドの外側から、ホノルル港に向かって

          ホノルルの潮騒を聴く②クヒオ・ビーチ~アラモアナ・ビーチ

          ホノルルの潮騒を聴く①クリオウオウ~ワイキキ・ウォークウェイ

          ホノルルの様々な海岸を訪れて、潮騒の音を聴いた。 そして、波の静かな海岸と波の荒い海岸があることに気づいた。 オアフ島の南側では、波は南東からやってくるようだ。 だから、火山の噴火などで作られた岬の東側の海岸の波は荒く、西側の海岸の波は驚くほど静かだ。 訪れた海岸を東から順に紹介する。 クリオウオウ・ビーチ 2023年6月30日、金曜日、午前11時。初めてクリオウオウの海に出たら、今までダイヤモンドヘッドの北側から見ていたココクレーターが左側に聳えていた。ココクレーターの右

          ホノルルの潮騒を聴く①クリオウオウ~ワイキキ・ウォークウェイ

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』⑤ワイキキ、客の送迎、日本語放送局、アロハ、フロンティア、太平洋

          観光で来る人たちは、ハワイというと、ワイキキを連想する。とにかく、1日24時間、にぎやかで楽しいところなのだ。しかも、ここの海岸は美しい。海岸沿いのヤシの木は、貿易風にそよぎ、太平洋に沈む太陽が大空に描き出す夕焼けは、ワイキキ以外では見られない。 ☆ しかし、ワイキキが、ホノルル市のごく限られた行政区であることも事実だ。そして、ホノルルで生活をし始めてみると、ワイキキが極めて特殊、例外的なところに思えてしかたがない。物価も高く、人口密度も高く、大部分は休暇旅行で遊びに来ている

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』⑤ワイキキ、客の送迎、日本語放送局、アロハ、フロンティア、太平洋

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』④ヤモリ、バスケットボール、カメハメハ・デー、ステイト・フェア、元旦の花火、カウアイ島、貨物船

          ハワイに住み始めて、最初の夜を迎えた時、私たちは、チュ、チュ、チュ、という不思議な音を聞いた。かすかな音だが、気になる。断続的な音なので、なかなか所在がわからないが、台所の外壁から聞こえてくる。私は懐中電灯を照らして、この音の発信源を確かめた。 ☆ ヤモリだった。体長10cm。半透明にも見える薄灰色で、細かなウロコに覆われている。こいつが4本の足で壁にへばりついて、チュ、チュ、と鳴いている。ときどき桜色の口を開く。最初の晩はびっくりしたが、日が経つにつれて、目の前の壁や部屋の

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』④ヤモリ、バスケットボール、カメハメハ・デー、ステイト・フェア、元旦の花火、カウアイ島、貨物船

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』③小切手、物価高、ラッシュアワー、不要品販売、募金活動、満天の星空、海

          アメリカ生活で、最初にしなければならないことのひとつは、銀行の口座を開くこと。現金をもっているのは、最も危険なことだ。そのかわりに、銀行に当座預金を設けて、小切手を使う。小切手帳のデザインを選ぶと、名前と住所を印刷して2週間以内に届けてくれる。 ☆ 小切手の注文後、クレジットカードをすすめられて、申込むと、ひと月以内に送るとのこと。このカードで買物をすると、その金額は自動的に、私が銀行から借りたことになる。返済金額は毎月10~20ドルで、残りは翌月に繰り越し。利子と手数料がつ

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』③小切手、物価高、ラッシュアワー、不要品販売、募金活動、満天の星空、海

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』②マンゴ、食べ物、ポットラック、授業、コミュニティ・スクール、学園祭、夏休み

          5月のなかばすぎからマンゴの実が熟して、食べごろになる。実が青いうちは葉の色と同じで目立たないが、だんだんとオレンジ色になり、最後にリンゴのような赤い色になると壮観だ。1本の木で300個、400個はザラなので、庭にマンゴが2、3本あると食べきれない。 ☆ そこで食べきれない分は、まず人にあげる。うちの庭にはマンゴがないので、お隣のおばあさん、研究所の友人、妻の学校の友人からマンゴをいただいた。冷蔵庫はマンゴであふれている。研究所の片隅にもマンゴが山積。自宅にマンゴをもっている

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』②マンゴ、食べ物、ポットラック、授業、コミュニティ・スクール、学園祭、夏休み

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』①住まい、学校、はだし、ハダカ、ププ

          ハワイは、日本とアメリカ本土の中間地点にある。だから、これまで20年間、ふたつの国を往復するたびにハワイに寄って2、3日を休養のために過ごした。1970年からハワイに縁ができて、毎年2、3カ月ハワイ大学で仕事をするようになった。暮らしてみると快適だ。 ☆ とりわけ、ハワイがアメリカの1州でありながら、文化的には太平洋文化圏の一部として健在であることが、楽しかった。ポリネシアの人々の生き方をしっかり勉強してみよう、と思った。そんなわけで1972年夏から1年間はフル・タイムでハワ

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』①住まい、学校、はだし、ハダカ、ププ

          ハワイの植物⑦古代ポリネシア人がカヌーで持ち込んだ24種

          ハワイ人は、どこから来たのか? ひとつの手掛かりは言語。 ハワイ語は、オーストロネシア語に属し、この言語を話す人々は、台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西はインド洋を越えてマダガスカル島へ、東は太平洋の島々に拡散し、日本へ来た人々もいたとか。 オーストロネシア語を話す人々は、ニューギニアの北のビスマルク諸島から、ラビタ土器と黒曜石を交易品として持って、カヌーの横に張り出した浮きをつけたアウトリガー・カヌーで東へ移動し、フィジー、トンガ、サモアへ約3000

          ハワイの植物⑦古代ポリネシア人がカヌーで持ち込んだ24種

          茅野裕城子「私の体験した『頬よせてホノルル』」

          はじめて訪れたハワイを、少しも好きになることができないまま、立ち去ろうとしていました。 アラモアナセンターのカフェテリアで、最後の午後をぼんやりと過ごしていたのです。 気がつくと、Kがわたしの前にいました。彼女がロンドンに入学して以来。そして、わたしたちは、もはや20代ではないのです。 「住んでいるのよ、この島に。彼と暮らしているの」 大きなひとが、Kのうしろにいます。 彼がポイを平らげる間、20代の自分に起こったことを話してくれました。 「さっき日本の書店で、素敵な本を買

          茅野裕城子「私の体験した『頬よせてホノルル』」