城戸祐介

勇気ある誰かがもし独断でヒトクローンを作ったら、もう人間も人種も、動物も植物も、そして…

城戸祐介

勇気ある誰かがもし独断でヒトクローンを作ったら、もう人間も人種も、動物も植物も、そして生も死もなくなると思わないか? そんな技術者が現れたら、キリストやブッダでさえ信服するかもしれない。さあ、誰か手を挙げてみないか?  人間の犯罪と悪行にはもうウンザリだという、良心ある人たち。

最近の記事

デモクラシー自体は多元的構成か?

 デモクラシーが喚起する問題で最も顕著で重大なものは、それが民族的・人種的混交を齎し、それによって国家の秩序や文化的一体性に危機が生じることでる。全ての人間が平等な物質条件で生活するという共産主義的理想は、デモクラシーにおける経済格差がその最大の問題であるという観念にもとづいているが、少なくとも、民族的・人種的混交よりも、それも国家に対して致命的な損害を与えることはないだろう。同質の民族・国民における経済格差が国家の核心を崩壊へ導くような影響をもたらすことはないと断言できる理

    • 純粋政治哲学

       純粋政治哲学の徴表は、その政治概念が治者と被治者という関係性において措定されるということにある。これは、国家主権の受任者が決定されるための闘争ないし合議の関係性と同定される。そして、その哲学の基本概念は、政治が国家を構成するというものである。ここには当然、歴史的、具体的事象は捨象されている。つまり、個々の人間の社会的属性は、彼が治者か被治者かという二元論において構成されるのである。  この理論的構造が我々に教えるところ最も重大な点は、政治哲学は国家に対する把捉を相対的にしか

      • 共産主義と民族主義

         共産主義者が民族主義者に同調する時、彼らは単に資本主義を打倒するためだけに、民族主義を利用するに過ぎない。真の民族主義者はそれを見ぬかなければならない。共産主義者にとっての民族主義は、資本主義に対抗するプロレタリアートにのみ授与されるべきものであるわけだが、資本主義国と共産主義国の対立が生じたときに、彼らは共産主義国における民族全体に、一時的に民族主義を授ける。なぜならば、資本主義は民族という存在を否定するイデオロギーだからである。しかし、抑々共産主義もまた同様に民族を否定

        • 経済有意

           経済主義および経済勢力に強力に干渉される現在の日本の政府権力は、当然のごとく経済政策を重視している。この政府の態度を要求することができるのは、企業家(資本家)と労働者(失業者)である。前者は市場経済の発展という理念をもって政府に対峙し、後者は賃金の値上げ、生活の向上を政府に訴えるだろう。しかし、前者と後者では政府権力に対する影響力の行使の形と度合いが全く違っている。前者はその豊饒な資金と資本でもって、政府権力に対する現実的な関わりを持つことができる。合法・非合法にかかわらず

        デモクラシー自体は多元的構成か?

          新旧の止揚

           民族主義や宗教主義といった社会精神の拡大は、それ自体で興起するわけではない。国家が固有する民族や宗教に抑制しようとする新奇な精神、つまりデモクラシーの精神に対する世界観が政治や社会に対する支配権を持とうとすることに対する反抗からそれは生まれる。デモクラシー側からの民族主義や宗教主義に対する否定は、ただデモクラシー側の専横に発するものである。デモクラシーが社会の絶対理念でなければならないなどという強制力は存在しないし、存在してはならない。しかし、民族主義や宗教主義という反作用

          新旧の止揚

          主体と客体

           主体と客体の精神の結合は、その過程においてこそ意味を持っている。主体の精神がそれ自体で客体の精神をなす時、主格は合一しているのではなく、常にどちらかが認識の覇権を手にしているということを意味している。すなわち、主体と客体が認識において合一することは、 認識の限外における現象ないし心象でしかない。そして、この限外における合一の可能性こそが、実はその合一の過程そのものなのである。ところで、このような認識の有限性によって規定された主体と客体の合一は、認識自体を捨象することによって

          主体と客体

          現代海上覇権

           現下、海上覇権を手にしているのは、アメリカであるが、この覇権の基盤は、疑いなく太平洋である。なぜならば、アメリカの覇権への挑戦の意志を有しているのは、今の所、ヨーロッパではなく、アジア=ユーラシアにおける専制的地域大国の群だからである。それはつまり、中国とロシアである。そして、太平洋における海上主権は、中国とロシアの海上勢威を抑制する肝要な防塁であり、これによって、中国とロシアは大陸に封じこめられ、アメリカの世界的な(海上)覇権に比肩する力を持つことができないでいる。それは

          現代海上覇権

          ヨーロッパ史小論

           ヨーロッパ圏域が原初有していた歴史的な特質は、その圏域が異民族の勢力の危機にさらされやすい地域に存在していたということである。これは既に古代ローマにおいて顕著にあらわれている。ローマと、フン族、パルティア、ゲルマン民族との衝突は、既にヨーロッパ圏域の不安定性の確たる証拠である。このような不安定性に依拠して、ヨーロッパはヨーロッパとしての圏域的、精神的存在を確立していったのであり、その根底にあるのは、被侵略性なのである。この被侵略性は、安全保障の思考の基盤になる要素である。そ

          ヨーロッパ史小論

          マキャベリを救え

           マキアベリの政治哲学は、技術論であるが故に、種々の応用可能性を持っている。『君主論』を、サラリーマンの会社での生存戦略に転用する解説者などは容易に想像できるであろう。あるいは『戦略論』を企業の組織論に置換するというようなことを試みる研究者も存在するかもしれない。  これは言い換えれば、政治現象というものが、最も極端な人間現象でもあるということを意味している。政治的なものほど人間的なものはないのである。それゆえ、政治に関する技術論には、決まった解答などはないのであって、マキア

          マキャベリを救え

          デモクラシーの精神所産

           デモクラシーの時代においては精神的な所産の価値基準が決定的に分離する。その分離は二つの方向に分かれる。一つは研究という分業とそれ以外の分業という世界である。それ以外というのは、一国の経済体における研究以外の労働と事業に属する人間たちである。言い換えれば、精神(知性)の分離を決めるものは、デモクラシーの原理である分業と経済の原則になるのである。  貴族時代における知性は、貴族と庶民という人間的区別によって分裂していた。そして、何より、知性は貴族専有のものであった。それゆえ、知

          デモクラシーの精神所産

          海洋国家

           海洋国家としての島国は、その海洋の戦備を生産力によって、そして通商によって確保し、増大せしめていく。海上防衛のための兵士は陸軍と比較して少数の人員によって構成され得る。というのも、海上における艦隊における収容人数は、海上兵器上の制限条件によって、少なくなるからである。それゆえ、海上戦備における専門的人材の比率は大きくなり、一般兵は相対的にすくなくなることは必定である。だから、海上戦備が軍事力の多くを占めている国では、生産力確保の為の人員の問題に必ずしもとらわれることはないだ

          フウイヌム

           ガリヴァー旅行記においてフウイヌムの国民は呑気にもヤフーが干戈を使えるようになれば内戦を始めるだろうなどと言っている。これは文明国民の典型的な平和気質を象徴している描写である。ヤフーが組織的戦闘を行いえないという楽観である。だが現実は違う。ヤフーあるいはヤフーの如き蛮族は、たとえ武器を創造する力はなくとも、それを戦略的・戦術的に使用する力は持っているのである。そう、一度使い方を覚えてしまえば、である。戦闘の知性は永遠に動物的で野蛮であり、そうであるが故に発達するという真理を

          国家主権と近代科学

           国家主権を打ち立てる存在を規定することは近代社会科学にとっては禁忌である。なぜならば、近代社会科学とは、国家主権が存在することが前提となっており、それ以前の事は神話として隅に置かれるからである。しかし、科学的思考があらゆる問題について把捉を求めるのであるのならば、この国家主権を打ち立てる存在についての普遍的な認識の獲得の努力が怠られることがまかり通ってはならないだろう。国家主権が、社会科学への理論へ提供される要素(概念)となることができたのは、その要素が現実における様々な国

          国家主権と近代科学

          双子は別人

           ファシズムと共産主義は双生児ではない。なぜなら、兄弟は第三者の力を借りて殺しあうことはない。その関係はもはや兄弟ではない。先の大戦はファシズムが永遠の一人っ子であることを証明し、共産主義、そしてそれと手を組んだ「民主主義」の両者が真の兄弟であることを示したのである。  現代の政治世界における問題点を詳査する時、我々は「民主主義」をいかにして超克するかという提起に想到する。なぜなら、その「民主主義」はあらゆる政治思想・理論を支配し、統括しており、時代的精神を体現しているからで

          双子は別人

          日本、永遠なる実験場

           日本を一つの理想地帯と見做す、西洋民主主義の独善的認識に騙されてはならない。それが日本について、あいまいさ、親和感、同化性などの表現を使って、民主主義発展の救済のヒントを与えている表象を付与するのは、ただの異国情緒への幻想にすぎない。彼らは日本を開国せしめる前も、その情緒に陶酔していたのである。マハンは日本の美徳を称揚すると同時に、最も厳酷な民主主義的使命を日本に強制することに対してやぶさかではなかった。しかり、彼らはただ自らが植民地支配におおいて遭遇した野蛮極まる土人たち

          日本、永遠なる実験場

          個人と社会

           人間の二つの部分。個人と社会。この二つが交錯することはない。それは別な次元を夫々構成しており、一人の人間に二人の存在を抱かせている。  社会的存在としての人間の原基は、民族である。この基盤の上に諸種の社会性は置かれるのであるが、その状態が逆転するようなことはない。人間は自らの民族性を放棄することは能わず、たとえそれを超越するような社会性を自らに課しも、差し詰め民族性によってそれは溶かされることになる。  個人的存在としての人間の原基。それは愛する家族である。人間は確かに自己