ヨーロッパ史小論

 ヨーロッパ圏域が原初有していた歴史的な特質は、その圏域が異民族の勢力の危機にさらされやすい地域に存在していたということである。これは既に古代ローマにおいて顕著にあらわれている。ローマと、フン族、パルティア、ゲルマン民族との衝突は、既にヨーロッパ圏域の不安定性の確たる証拠である。このような不安定性に依拠して、ヨーロッパはヨーロッパとしての圏域的、精神的存在を確立していったのであり、その根底にあるのは、被侵略性なのである。この被侵略性は、安全保障の思考の基盤になる要素である。それを考えると、大航海時代以降のヨーロッパの世界進出は、この安全保障の思考から派生した政策と見做す理由が大いにある。モンゴル襲来、イスラム世界との宗教的闘争という形で、なおも続いていた異民族との記憶に新しい経験の中で、ヨーロッパは常に安全保障の思考を回転させていたのである。この危機感こそが、ヨーロッパの世界進出へとつながっていくのであり、地政学の表現では、それは、ヨーロッパが海の支配権を確立することによって、前掲の異民族の勢力の陸地からの攻撃を押さえようすることであった。
 このような描写から考えられることは、ヨーロッパという地域は最も脆弱な安全保障的環境を有するがゆえに、そこから歴史上かつてみたことのないような安全保障の力を拡充していったということである。これは言い換えれば、最大の力を獲得するためには、最弱の環境が必要になる場合があるということである。マキアベリが言っているような、人間が厳酷な環境においてこそ強さを培うことができることと同義である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?