新旧の止揚
民族主義や宗教主義といった社会精神の拡大は、それ自体で興起するわけではない。国家が固有する民族や宗教に抑制しようとする新奇な精神、つまりデモクラシーの精神に対する世界観が政治や社会に対する支配権を持とうとすることに対する反抗からそれは生まれる。デモクラシー側からの民族主義や宗教主義に対する否定は、ただデモクラシー側の専横に発するものである。デモクラシーが社会の絶対理念でなければならないなどという強制力は存在しないし、存在してはならない。しかし、民族主義や宗教主義という反作用は、正にこのデモクラシー側の横暴に対する抗拒を意味しているのである。たとえば、デモクラシーはデモクラシーを否定するという民心を決して許しはしない。民主主義者たちは、その時、民心そのものがないかのように、あるいはそのような民心が普遍的なものではなくて、特定の政治勢力なり社会勢力の発意であるように見せかけるのである。
デモクラシー時代における民族主義や宗教主義は、デモクラシーの全体主義に対する、国家が国家である、民族が民族であるための自由を勝ち取る闘争を意味するものである。それはいわば国家が国家の本姿を取り戻そうとする自然的な衝動なのである。
マキアベリは言っている。「変えるということは、元に戻すということだけなのだ」
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