現代海上覇権

 現下、海上覇権を手にしているのは、アメリカであるが、この覇権の基盤は、疑いなく太平洋である。なぜならば、アメリカの覇権への挑戦の意志を有しているのは、今の所、ヨーロッパではなく、アジア=ユーラシアにおける専制的地域大国の群だからである。それはつまり、中国とロシアである。そして、太平洋における海上主権は、中国とロシアの海上勢威を抑制する肝要な防塁であり、これによって、中国とロシアは大陸に封じこめられ、アメリカの世界的な(海上)覇権に比肩する力を持つことができないでいる。それはまた、ヨーロッパ勢力をアメリカがその覇権の構成要素として組み込んでいることにも由来するわけだが、というのも、ヨーロッパがアジア=ユーラシアの大陸勢力に対する防波堤としてアメリカと結託しているという状況が存在するからである。このような挟撃によって、アジア=ユーラシアの大陸勢力は、アメリカが宰領する海上覇権による囲い込みに接することになるのである。そして、この囲い込みの勢力の中に当然日本も加わっている。
 アメリカが日本に期待する役割は、当然ヨーロッパが有する防波堤的な役割である。しかし、それはヨーロッパのごとき陸地防衛ではなく、海上防衛としての防波堤なのである。つまり、日本が有する四海の主権が保持されることは、アメリカの太平洋の主権が保持されることと同義を持つということである。日本列島にあるアメリカ軍の基地は、日本の四海を固守する役割を最終的には担うことになり、それはアメリカにとって、その太平洋の主権の存廃にかかわる致命的な問題の原因になりうるものなのである。
 ところで、地政学的世界におけるこのような安全保障の関係において、前提となるのは、国家の性質が変化を蒙らないということになる。もし、日本が日本でなくなったとき、ヨーロッパがヨーロッパでなくなったとき、アメリカの安全保障網は決定的な変化を迫られることになるだろう。しかし、現下における日本とヨーロッパは、社会内部の大々的な変転の危機に直面している。そして、この危機をもたらしているものは、ほかならぬ、アメリカンデモクラシーなのである。このデモクラシーは、それを受容した国家の根本的な社会を変革する可能性を持っており、それは言いかえれば、国家が国家として存立するための、歴史的・文化的・民族的世界に混交をもたらすものであり、ひいてはそれが国家主権の分裂や瓦解を招来する可能性を持っているものであるということである。それは、デモクラシーそのものに発するというよりも、アメリカという国の文化と精神であるアメリカンデモクラシーが強制的に、他文明圏に移植されたことに発するのである。冷戦時には、共産主義とのイデオロギー対立という緩和作用が、このアメリカンデモクラシーの破壊作用の効果を被覆していた。しかしながら、現在では、もはや、アメリカンデモクラシーは、ただ他国の国家主権を脆弱にせしめるという作用しか齎しはしないのであって、そうであるが故に、アジア=ユーラシアにおける大陸国家は、アメリカンデモクラシーを頑として拒否するのである。しかしながら、日本とヨーロッパ諸国は、アメリカの間接的な政治的支配を受けており、アメリカから安全保障の助力を得ると同時に、アメリカンデモクラシーも導入しなければならないような状態に陥っている。これによって、日本とヨーロッパの実体社会の中にアメリカ文化が浸染し、国家の民族的・精神的・文化的原理を改廃することになり、国家の主権の危機が発生するわけだが、これは疑いなく、大陸国家の勢力には一つの絶交の機会である。なぜならば、アメリカンデモクラシーは、他国の間接的侵略の可能性を高ぜしめる社会を用意する。大陸国家はアメリカンデモクラシーを峻拒しつつ、アメリカンデモクラシーの支配下にある国家に対して、アメリカンデモクラシーの隙を利用するのである。
 アメリカンデモクラシーが、強制的には、国家主権を崩壊せしめる要因をつくる細菌的要素である事実はすでに明白な根拠を有している。そして、このイデオロギーの悪性の本質は、国家を構成する根本要素である国民・民族精神を融化せしめてしまうことである。


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